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第三十三話
三軒の家から始まった新田開発
〜地名と橋名が語る大正区の歴史〜
 
 
文/写真:池永美佐子
「12月号なので大正区界隈を歩きましょう。第九もありますし」。
ええ〜っ、第九って、あのベートーベンの!?
大阪案内人・西俣稔さんの予期せぬ提案に、思わず耳を疑う私。
それにしても大正区と聞いて思い浮かぶのは大阪ドームぐらい。大阪市の西の端にあって、海に面し、かつては安治川と木津川に隔たれて「陸の孤島」といわれた土地。ドームで第九のコンサートでもあるのだろうか・・・。
高鳴る期待を胸に、21年を締めくくる年末号は大正区界隈を歩いた。
●ルーツを辿れば三軒の家から始まった
今回の待ち合わせはJR環状線の大正駅。
スタートに当たって西俣師匠愛用の黒い鞄の中から出てきたのは、弘化2年(1845)の古地図。
「大正駅のある場所は、三軒家という地名なんですけど、古地図を見ると、いま立っているのは、尻無川と木津川に挟まれた島の上のほうにある勘助(かんすけ)島と書かれているところです。今をさかのぼること400年、この当たりは、島というだけあって葦が生い茂る未開拓の砂州やったんです。三軒家というこの地名は、中村勘助という人がこの地を開拓して三軒の家を建てたのが始まりですわ」。
へ〜、たった家が三軒!
「なんや三軒と思うかもしれないけど、いま大正区の人口は7万数千人です。その始まりが400百年前にここにあった三軒の家にあると思うと感激しませんか。ついでに軒数の地名は各地に残っています。一ツ家は環状線の天王寺と新今宮の踏み切り名に。二軒茶屋は玉造駅東の旧伊勢街道に。四軒町は明治初めまで高麗橋西にありました。そして五軒家は富田林市に、六軒家川は此花区で七軒家は東大阪市にあります。八軒家は、ご存知のように天満橋の船着場ですね。九軒町は西区の新町にありました。こんな地名から昔の町並みが浮かびます」。
江戸時代の古地図
真ん中の扇形の上部が
「勘助島」
 
●地名が語る新田開発の歴史
「じゃあ、その三軒家の跡地に行きましょう」。
駅の北出口から大正橋のある方向に向かってまっすぐ歩き出した師匠。3分もいかないうちに小さな公園に到着した。
大正橋のたもとにある公園の片隅に「皇紀二千六百年」の碑と並んで「三軒家濱一町」と刻まれた石碑が立っている。
「勘助島だけではないんです。古地図を見てください。尻無(しりなし)川を挟んで市岡、石田、田中・・・とか並んでいる。これは、人の名前なんです。大正区とともに隣の港区も新田開発に携わった人たちの因む名前が多く残っているんです。たとえば、市岡は、市岡与左衛門が開発した土地です。市岡家は2代目の孫左衛門の代で台風にあって壊滅し、代わって和田家が土地を引継いだんですけど大正時代になってから市岡家の子孫との間でその土地をめぐって裁判になったそうです。まあ、それは余談として、左の石田は石田三右衛門が開発した土地。その横の田中は田中又兵衛で、左端の八幡というのは八幡屋忠兵衛ですね。下の福崎は、福崎孫四郎です。みんな人の名前なんです。新田開発した人の功績を称えて付けたんですね」。
今ではマンションが林立するこの地。しかし、こうした先人たちがいなげば、この風景もないだろう。あらためて「いま」という時代が先人立ちのご苦労の上にたっていることを実感する。
「三軒家村濱一町」の碑
●昭和の時代に誕生した「大正区」そのわけは?
ちなみに「大正区」という地名。てっきり大正時代に関係があるかと思いきや、誕生したのは昭和に入ってからだという。師匠が解説する。
「三軒家村が大阪市内に編入されたのは明治30年。それまでは大阪府西成郡三軒家村やったんです。その後、大正14年に港区になり、さらに昭和7年、人口が増加して新たに区となる際に、新たな区名を公募したんです。その中でいろいろあったんですけど、新港区では港区の附属みたいやし、泉尾(いずお)区では読み辛いということで、当地に初めて架けられた大正橋にちなんで付けられたんです。当時、三軒家村は尻無川と木津川に囲まれた陸の孤島で、不便を極めていた住民たちの大正橋に対する感謝の気持ちが込められているんですねぇ」。
●橋を渡りながら、目で聴き足で奏でる「第九」
公園から目と鼻の先にある、木津川にかかる大正橋を渡ってみる。
その橋の中ほどで立ち止まった師匠。
「この橋は前の橋の老朽化で昭和49年に新設されたんです。欄干が粋でしょ。ほら、五線になっているんです」
見れば、確かに鉄柵が五線譜のようになっていて、音符が並んでいる。
「それだけではないんです。この音符。よく見てください。ほら、楽譜はベートーベンの第九交響曲、歓喜の歌になっているんです。橋ができた喜びをこの歌に託して橋を作ったんですねぇ」
♪タタタタ タンタンタンタン♪・・・歓喜の歌を口ずさむ師匠。さらに、足元を見ると色々と黒色のタイルが鍵盤のように敷き詰められていて、車道との境目にはなんとメトロノームをかたどった縁石まで!
「大正区には、もう一つ、第九にまつわる歴史があるんです。このあと最後に回りますが、南恩加島(みなみおかじま)に、第一次世界大戦のドイツ兵捕虜(ほりょ)収容所があったんです。当時、捕虜収容所は日本に12ヵ所あって、「大阪俘虜(ふりょ)収容所」と呼ばれたこの収容所は大正3年(1914)に開設されました。でも、当時はまだ余裕のある時代で捕虜収容所といっても、朝夕2 回の点呼を受けるぐらい。あとは演劇やコンサート、あるいはサッカーなんかのスポーツを楽しんでいたんですね。ここの捕虜が徳島県板東捕虜収容所に移り、初めて第九を演奏しました。
大正区ではそんな歴史を知った区民が中心となって2008年に「第九合唱団」が結成されたそうです。悲惨な戦争やけど、それを礎として友好の活動につなげているというのはすばらしいことですね。ただし、大正橋の第九の欄干とドイツ人捕虜の話が結びついていたかどうかは、まだ確認はしていませんけど」。
なるほど。大正区で体験する第九とは、こういうことだったのだ! 
 
大正橋の第九の欄干
ピアノ鍵盤ふうの地面と
メトロノーム型縁石
●ひっそり佇む、南海高野線の起点「汐見橋駅」
大正橋の下を流れる木津川には、四天王寺を建立する際に木材を積み下ろす港があったという。
「木を積む港、つまり津があったから木津川です。橋の南に見える環状線の鉄橋の、その次の橋は大浪橋です。この橋名の由来は、大きな波ではなくて、大正区と浪速区を結ぶのでその頭文字を合わせて付けたんです」。
大正橋を渡ると浪速区。千日前通りに面して古い船具屋が残っていて港町の風情が漂う。
古地図を見ると、北を流れる道頓堀には「日吉橋」「汐見橋」「幸橋」などが架かっている。これらは、現在、千日前通りにある交差点名になっている。
大正橋から東に進むと、町名は、地下鉄の駅名になっている「桜川」に。
「古地図を見てください。ここにサクラ川という川が流れていたんですね。今は埋め立てられて跡形もないけど、川岸には桜が並んでさぞ美しい風景やったんでしょう」。
見れば糸のように細い川が描かれている。
桜川。何を隠そう、この町は、小学校2年のときに京都から大阪に越してきた私が、10代の青春を過ごした思い出の地なのだ! 当時はすでに川も桜もなかったし、町名の由来など考えたみたこともなかったけど、昔々は桜で埋もれていたなんて想像するだけワクワクする。
その桜川からさらに少し東に行くと、レトロな南海汐見橋駅に到着する。
「汐見橋線の開通は大正4年。もともと南海高野線の起点は難波ではなく、この汐見橋でした。ここから高野山まで延びていたんです。しかし、後に難波が運営上の起点になって、この線は南海線(本線)や高野線と接続する岸里玉出までになり、今ではすっかり忘れられた線になっています。車輌も2輌編成、1時間に2本しか走っていません」。
厳密に言えば、汐見橋線というのは通称。正式には「南海線(本線)の支線」になるらしい。
地理的に言えば「JR難波」からわずか500mほど離れた都会の一角にあるのに!
ン十年ぶりに見る駅は、昔から鄙びていたけど、さらに年季が加わって駅舎の中は時間か止ってしまったかのようにひっそりしている。改札口の天井近くに描かれた観光地図は、彩色の絵の具がひび割れしている・・・。
感慨深く眺めていたら師匠の声がした。
「ここから電車で津守駅まで行って、そこから渡し舟でもう一度大正区に入ります」。
え〜っ、この大阪で渡し舟? ?
ホームで待っていると、静かに電車が入ってきた。見渡すと他に乗客はいないみたい。電車は貸切り状態で発車した。
今も残る船具屋
町名に当時の風情を
残す「桜川」
南海「汐見橋駅」
 
※続きは次号で。西成区の津守から渡し舟で渡って再び大正区を歩きます。
 
 
 
プロフィール
文/写真:フリーライター・池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。
関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説 に初挑戦?!
 
案内人:西俣稔
3歳から大阪育ち。ユニークな大阪ガイドを引き受けている。
これまでに延べ1万人を案内。
ガイドブックにはない情報と独自の語り口にファンが急増。只今、三線と韓国の打楽器「長鼓」(チャング)に熱中。
 
 
 
サソ