FUJITSU ファミリ会 関西支部FUJITSUファミリ会関西支部

第十一話
山の辺の道を通って神代の昔にタイムトリップ
〜日の昇る神の山、三輪山のなぞをさぐる
 
 
文/写真:池永美佐子
日本には、古墳時代以前から円錐形の秀麗な山を「神」そのものと崇める原始信仰がある。写真家の田辺聖浩さんは「その代表が富士山、西では三輪山です。神々の宿る神聖な山を神奈備(かんなび)といいますが、とくに三輪山は日の昇る神奈備として我が国の信仰の原点でもあり、わが国最古の聖地でした」という。
そういえば、先月号で取り上げた上賀茂神社のご神体もまた神社の後方にそびえる円錐型の神山で、そのルーツは三輪山にあると書いたばかり。
「古代国家成り立ちを知るには三輪山をさぐるのが一番」という田辺さんの案内で、大和の文化発祥の地といわれる桜井市三輪の地 (JR三輪駅〜巻向駅)を歩いた。
●大物主(おおものぬし)が宿り、「箸墓伝説」とも深くかかわる三輪山
三輪山(標高467m)には今も「大物主(おおものぬし)大神」が宿るという。大物主は、日本書紀や古事記に出てくる蛇体の神だ。出雲造神賀詞の「因幡(いなば)の白うさぎ」で有名な「大国主 (おおくにぬし)」と同神でもある。
田辺さんによれば、三輪の語源として古事記にはこんな話があるそうだ。
「神代の昔、大和盆地に住んでいた活玉依毘売(いくたまよりひめ)が夜毎に通って来る男によって懐妊するのです。父母はその男の正体を知りたいと思って、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すよう姫に教えます。翌朝、糸をたどると三輪山の社まで続き、大蛇がドクロを巻いていた・・・。男は山に住む大物主大神だったんです。糸巻きには糸が三勾(=三把)だけ残っていたのでこの山を"三輪"と呼んだのです」。
姫の名といい、その姫が見知らぬ男によって懐妊する筋書きといい、はて、どこかで聞いたことが・・・そう、先月号で紹介した上賀茂神社の伝説とそっくりではないか。
一方、三輪山は、第十代崇神天皇の叔母で、巫女でもあった倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)と大物主の神婚伝説でもある「箸墓伝説」とも深くかかわっている。
伝説では、百襲姫が、夜な夜な通ってきて日中は姿を見せない夫を不振に思い尋ねたところ、夫は「日中はお前の櫛箱の中に入っている」と答える。それで姫は朝のくるのを待って櫛箱をあけると、なんと中には美しい小蛇がいた。驚いた姫がショックで座り込んだところ、床にあった箸が陰処(ほと)に突き刺さって死んでしまう・・・。
その百襲姫の墓が、三輪山の北西にある箸墓(はしはか)古墳だという。箸墓は卑弥呼の墓という説もあるが、定かではない。
これらのことから、田辺さんは次のように解説する。
「記紀などに書かれている話は、京都の賀茂社の伝説と同じく、この地が他者からの侵略を受けたことを表すものです。西方にある二上山では石器作りに欠かせない金剛砂やサヌカイトが採れたこともあり、この一体は古くから非常に魅力的な土地だったのでしょう。三輪山麓、山門を居所にした大和王権の人間が当地の神と通じることは、祭祀権を握ることであり、この地を征服したことを物語っています。ただ上賀茂では、侵略された人たちが和議の道を歩んだのに対して、この地の人たちは敵対し闘ったのではないでしょうか。私は箸墓伝説についても、大物主に抵抗した百襲姫が自害したと読み解いているんです」
真実は、「三輪山のみぞ知る」ということかもしれない。血塗られた過去を封印するかのように三輪山は、いまも変わらぬ神秘的な姿で私たちを魅了する。
 
●神の化身、白蛇が棲むといわれる「巳の神杉」
「大神(おおみわ)神社」は、この三輪山をご神体として大物主大神を祀る、日本最古の大社で大和一の宮である。広大な境内には本殿は設けず、拝殿の奥にある独特の「三ツ鳥居」を通して、三輪山を拝するという、古代の信仰のスタイルを貫いている。現在の拝殿は、徳川四代将軍家綱が再建したもので、その技術の高さから重要文化財に指定されている。

拝殿前に樹齢600年の杉の大木がある。根元の洞に、白蛇が棲んでいるところから、「巳(み)の神杉」と称せられ、神杉の前には、お神酒とともに巳さんの好物とされる生卵がお供えされている。江戸時代には、「雨降杉」とも言われ、雨乞いのお詣りをしたという。

「三輪山の神とされる蛇は、水神であり、雷神でもあったのです。古代の人たちにとって三輪山は神秘的であると同時に何がひそんでいるかわからない不気味さを覚え、山に立ち昇る霧や雲から山内に棲む精蛇をイメージしたのでしょう。鬱蒼とした森林から流れ出る水は、種々の農作物を育み、暮らし支える命の源だったのです」。田辺さんが解明する。
 
 
●狭井神社から神の山、三輪山へ登る
明治に入るまで常人は足を踏み入れることのできなかった三輪山も、いまでは誰でも入山できるようになった。大神神社の北側にある摂社の「狭井(さい)神社」の社務所で300円を納めて白いタスキを受け取り、お祓いを済ませて登る。2時間ほどで下山できるが、3時間以内に下山しなければならない。赤松や杉、桧などに覆われた山は、樹木一本、葉っぱ一枚に至るまで神が宿るとされ、伐採することは許されない。山頂近くには巨石を環状に三段に積み重ねた原始信仰の祭祀遺跡「磐座(いわくら)」が鎮座している。
狭井神社の本殿横には、飲めば万病に効くといわれる「ご神水」の湧く薬井戸がある。
以前は釣瓶で汲んでいたが、今はボタンを押すと薬水が出てくる、磐座を模した石造りのタンクが据えられている。
●訪れる人を古代神話の世界へ誘う、山の辺の道
この界隈は、日本最古の市場である海柘榴市(つばいち)が開かれ、文化や経済の中心地でもあったという。大神神社を中心にして日本最古の産業道路「山の辺の道」が、山添の村と村を結んで曲がりくねりながら南北に伸びている。
中でも狭井神社を通って、檜原神社を経由し、北の天理方面に向って伸びる15キロの道には、古社寺や古墳、万葉歌碑をはじめ多彩な伝承の舞台が展開し、訪れる人を古代神話の世界へ誘ってくれる。
この日はあいにくの小雨。さらさらと音を立てて流れる狭井川(さいがわ)を渡って石畳の小道を進むと、突然雨足が強くなってきた。見れば、ベールをかぶせたような風景の中に赤い鳥居が・・・。水の神様、龍神を祀る「貴船(きふね)神社」だ。
そこからのどかな田圃を過ぎると、坂道のつきあたりに白壁の建物が見えてくる。「玄賓庵(げんぴんあん)」は、本堂に不動明王坐像を伝え、玄賓僧都(げんぴんそうづ)が修行した場所と言われる。謡曲「三輪」ゆかりの舞台としても有名だ。
ここからさらに、鬱蒼とした竹薮を進むと、「桧原(ひばら)神社」に到着する。ここは崇神天皇の時代に、天照大神を祀った神跡で「元伊勢」と呼ばれる。ここにも「三ツ鳥居」があり、古い神祀りの様子がしのばれる。
境内からは、「大和は国のまほろば」と謳われた大和平野が臨め、畝傍山・耳成山・天香具山の大和三山を見下ろす景勝地になっている。
 
●田道間守が蓬莱山から伝えたミカン発祥の地
桧原神社を越えるとミカン畑が多い。このあたりは、ミカン発祥の地でもあるそうだ。
2000年前、西方の海の彼方、蓬莱山にある不老不死の良薬になる非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)という珍しい果物があることを知った垂仁天皇が、田道間守(たじまもり)に命じて捜しに行かせたのが、ミカンの始まりだといわれている。しかし田道間守が苦労してその木を探し出し持ち帰ったときにはすでに天皇はなく、嘆き悲しんだ田道間守は天皇の御陵(※近鉄橿原線尼ヶ辻にある)の前で持ち帰った木を捧げたところで息絶えてしまったという。ミカン類を「柑橘」というのは、彼の名の田道間花(たじまはな)が詰まって「橘」になり、それが転じたそうだ。「田道間守はお菓子(果物)の祖神でもあるんです」と田辺さんはいう。
道端では、地元で採れたミカンを並べた無人販売所があちこちに見られる。
●相撲発祥の地「カタヤケシ」のある相撲神社
「景行天皇向日代宮跡」の碑を右に見てながら、大兵主(おおひょうず)神社の方へ向う途中に「相撲(すもう)神社」がある。ミカンと同じく垂仁天皇の時代に、野見宿彌(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が、日本で初めて相撲をとった場所として日本書紀に伝えられ「カタヤケシ」と呼ばれている。
ちなみに勝負は野見宿彌の勝ち。肋骨をへし折られた当麻蹶速は死んでしまったという。
また、出雲出身の野見宿彌は、埴輪(はにわ)を伝えた人物ともいわれる。
田辺さんの話。
「体の大きな力人(ちからびと)は英雄だったのです。野見宿禰は、優れた兵士であると同時に土師(はじ)氏の祖神ともいわれています。それまでは身分の高い人が亡くなった時、お墓に側仕えの者らを一緒に生き埋めにして弔ったのですが、そんな悪習に代わる何かいい方法はないかと天皇から相談を受けた野見宿禰が土器で人形をつくることを提案したのです。天皇はこの功をねぎらい野見宿禰に"土師”姓を賜ったと言われています」。
相撲神社という名の割りには入口に標識がある以外、何もないところだが、奥に小さなお社が建ち、目を凝らすと境内には土俵らしき広場がある。
 
さまざまな時空に出会える山の辺の道は、古代と現代を結ぶタイムトンネルのようだ。今ここにある時間も私たちの命も暮らしも、太古の昔から連綿とつながっているということを改めて感じさせてくれる。
厳寒のこの時期は、散策する人もまばらだが、道すがら鶯の鳴き声も聞こえて・・・春は、もうすぐそこだ。
次回は大阪と京都の中間地点にある京都府八幡市を歩きます。お楽しみに!!
「やまと青垣山」と
称される三輪山
(写真提供=田辺聖浩)
二上山の日没
(写真提供=田辺聖浩)
「巳の神杉」。
根元に蛇穴がある
狭井神社の三輪山登山口
ご神水の湧く薬井戸
水の神様を祀る貴船神社
三つ鳥居のある桧原神社
ミカンの無人販売所が
あちこちに
相撲神社
 
プロフィール
文/写真:フリーライター・池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説 に初挑戦?!
案内人:田辺聖浩
京都は西陣の生まれ。写真家、入江泰吉氏に師事。
以降商業カメラマンとして活動する傍ら、文化財や仏像の写真撮影に力を入れている。趣味はクルマと星の観察。只今「神様がつくった絵」と題して空や雲を撮っている。
 
 
サソ