●谷町界隈寺と坂が多いわけは |
谷町筋の西側を渡り「地蔵坂」と呼ばれる急な坂を下ると、その名も「中寺」という寺町が広がる。ところで、谷町界隈には寺が多いのはどうして? |
「豊臣秀吉の防衛戦略やったんやね。大坂城を取り囲んで北は大川、西は東横堀川、東は猫間川や大和川があるけど、南は防衛が弱い。それで上町台地の岩盤地形を利用しつつ寺を固めて防衛柵にしようと。とくに南にある下寺町には、26もの寺がぎっしり並んでいてネズミも通れないほど。これぞ秀吉の時代から踏襲された寺町の姿なんや」。
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また、この辺りは寺と同時に坂が多い。これについて師匠は、次のように説明する。
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「古代の地形そのままやねん。大昔は大阪湾が今の御堂筋あたりまで繰り出し、岩盤だった上町台地から海岸線に下る地形が坂になったというわけや」。
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この後に巡る「天王寺七坂」は、そんな坂の中でもとりわけ風情ある坂が人知れず伝えられ、隠れた名所にもなっている。
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●「縁切坂」も「相合坂」もある高津宮。恋の道は昔も今も・・・ |
中寺の南方、一段高い丘の上にある高津宮は、仁徳天皇ゆかりの神社だ。境内には絵馬堂という舞台があり市内が一望できる。かつてここからナニワのまちを眺め、かまどに煙が上がらないことに気付いた仁徳天皇は、貧しい民の暮らしを案じ、税金免除したという話が伝えられている。仁徳天皇については、昨今実在するか否かが議論されるが、
「それは学者にお任せするとして」。 |
師匠が注目するのは、参道にある小さな石の反り橋だ。この橋は「梅乃橋」と言い、かつてはその下を「梅川」が流れていたという。師匠によれば「上町台地は、昔から水が湧くところとして知られているけど、この川の水源もその湧き水やったんやね。梅川は上町台地を西に流れ、なんと道頓堀の源流とも言われている」というから驚き!
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いっぽう、高津宮には境内に通じる四ヵ所の階段があるが、西の階段は、明治時代中期まで三下りと半分の坂だったため、離縁状を意味する「三行半(みくだりはん)」にからめて「縁切坂」と呼ばれていたとか。そこで、明治中期、神社では一策を講じ、新たに左右、2つの石畳の階段を設け、上で落ち合うようにしたという。こちらは「相合坂(あいあいざか)」と呼ばれている。いかにもダジャレ好きの大阪人のセンスがしのばれる粋なネーミングだ。
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