●町名まで変えた名門・北野高校の威力 |
十三公園から淀川通を渡ると府立北野高校がある。卒業生には佐伯祐三、手塚治虫、森繁久弥、有働由美子ほか、最近では橋下徹大阪府知事など多くの著名人がいる。 |
「まず注目してもらいたいのが、北野という名前やね」。 |
創立135年を迎える北野高校は、昭和23年に6・3・3制の導入で北野中学から男女共学の高校になった。創立は明治6年(1873年)、現中央区の南御堂で設立し、その後、校舎を中之島や堂島などへ移転後、明治35年(1902年)に現北区の北野芝田町に移り、北野中学になった。 |
「ここに移転したのは昭和6年。普通なら学校名は所在地の町名がついて十三中学になるところやけどOBらの強い要望で北野の名が残ったんやね。それだけやあらへん、同じ年に、高校の横に新設された中学校が、北野高校にあやかって新北野中学としたことから、町名までもが「十三南之町」から「新北野」に変わったんや。北野という地名は、もともと大融寺の北の野というところからついたんやけど、北区の町名変更で消えてしもて、ここにしか残ってへんねん」。 |
地名そのものが学校と一緒に引越ししたとは、やっぱり名門校の威力か! |
許可をもらって校内に足を踏み入れると、これが府立高校かとわが目を疑いたくなるようなモダンな建物が並んでいる。5年前に立て替えられた校舎は、OBの建築家、竹山聖氏の設計によるもの。そんな中で師匠が「これだけは見逃さずに」と強調するのは校舎の西端の壁だ。ここにだけ昭和6年築の旧校舎の壁が保存されている。 |
「壁の上のほうを見て。ボコボコ穴が空いている。昭和20年、米軍機の機銃掃射による弾痕跡や。28個ある。当時、学校警備に当たっていた生徒さん2人が焼夷弾を受けて亡くなったんや」。 |
壁は校舎建て替えの際に教職員やOBらの強い要望で残されたという。壁の前には「受難乃碑」が建っている。 |
また、校庭のサッカーゴールの近くには1本のクスノキがグラウンドで部活に励む生徒を見守るかのように佇んでいる。 |
「この樹は、2001年の米国の9・11テロの時に留学の下見で米国を訪れたために、その犠牲となった元サッカー部員の男子生徒を偲んで同級生たちが植えたんや。彼の死を無駄にしない、絶対に戦争やテロは許さない、そんな願いをこめて。樹は、生きていれば25歳になる彼と同じ樹齢や。戦争体験が風化する中で、こんな話も伝えていかんと」と師匠。 |
校舎とクスノキに向かってそっと黙とうを捧げた。 |