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第十八話
空襲で消えた西区の歴史をたどる
 
 
文/写真:池永美佐子
「西区で歴史的に代表的なものを3つ挙げなさいといわれたら何がある?」
今回のスタートに当たって、まち歩き師匠で大阪案内人の西俣稔さんが問いかけてきた。
フフフ・・・小学校時代は隣の浪速区桜川で育った私。西区のことなら任せてちょうだい!
「創業200年、大阪名物、粟おこしで有名なあみだ池大黒がありますよね。いま、若者であふれかえる堀江のオレンジストリートは、もともと家具屋街で・・・」
あれれ?? その後が続かない!
「西区は明治22年に北区、東区、南区と共に大阪で最初にできた区やのに、なぜか陰が薄いんやね。けど、明治時代には川口に国際港や外国人居留地があって、大阪で一番初めに市電が通ったのもこの西区。大正時代には江之子島に府庁や市役所もあったし。昔は水の都、大阪の中心地やったのに・・・何で印象が薄いか。その一つに大阪大空襲で西区は焼き尽くされたからなんや。空襲前には12万余りやった人口が、空襲後にはわずか1万3000人余りになってしもた。そして、行政の中心が今の中央区に移ったんです」。
そんな歴史が埋もれていたとは! 「大阪の中心地やった」という師匠の言葉に目をぱちくりさせながら、その背中を追った。
●今はなき堀川と、戦禍に生き残った教会
地下鉄四つ橋線・肥後橋駅の南口を出てから土佐堀通りに沿って西に歩く。
近代的なビルやマンションが立ち並ぶ肥後橋の近くに、師匠が「日本一」と称する商店街がある。それが、肥後橋商店街。
「ただし、日本一は日本一でも、日本一短い商店街や」。
長さ79メートルの長さに17店舗。通ってみると、確かにアッと驚く短さ。
ちなみに大阪には日本一長い天神橋筋商店街や、日本一安いと噂される千林商店街もある。「なんでもウリにするのが大阪。ええこっちゃ」と師匠。
師匠からもらった1800年頃の地図を見れば、北の土佐堀川から南の道頓堀川までの間に今はなき「江戸堀川」「京町堀川」「阿波座堀川」「立売堀川」「長堀川」・・・が流れている。
「この道も元は江戸堀川。江戸時代の初めに開削されたからこの名がある。けど、これらの川がなくなったのも空襲で瓦礫の捨て場になったから。それで川を埋めてしもたんや」という。何百年も前の話ではない、つい50〜60年ほど前の出来事なのだ!
商店街を南に突き抜けて南交差する江戸堀川の道をさらに西へ進むと、なにわ筋に出る少し手前で、ビルとビルの間に突如、赤レンガ建築の荘厳な教会が現れる。
「ここは日本キリスト教団大阪教会といって、日本プロテスタント教会の中では最も長い歴史を持つ教会の一つやね。建物は、日本でも有名なアメリカ人建築家ヴォーリズの設計や。1922年(大正11)に建造されたものやけど、レンガ造りやったために奇跡的に戦火を免れたんやね」と師匠。
教会はさらに1995年(平成7)の阪神・淡路大震災で半壊したが、8ヵ月後に復興。1996年(平成8)には文化庁の登録文化財になっている。
 
 

肥後橋商店街

 
日本キリスト教団大阪教会
●軍国日本の基礎を築いた「大村益次郎」と反権力のジャーナリスト「宮武外骨」
なにわ筋を越えて土佐堀通りを西に進むと、江戸堀フコク生命ビルの前に「大村益次郎先生寓居跡」の碑がある。
明治維新の要人として知る人も多いこの人物は、幕末期の長州藩の医師で兵学者。明治維新、初代の兵部省兵部大輔(後の陸軍次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者とも言われる。そして緒方洪庵の弟子として、ここから1kmほど離れた適塾に通った塾生でもあった。大阪や関西にゆかりが多く、この歴史散歩でも何度か登場している。
一方、大村益次郎の碑から200mほど西、あみだ池筋と交わる交差点の南東角に、「宮武外骨ゆかりの地」の碑がある。
若い人は知らないだろうけど、外骨といえば、明治時代の反骨のジャーナリストだ。
「益次郎が権力側の象徴なら、外骨は反権力の象徴や。時の悪政に反抗して扇町にあった監獄とかにぶち込まれても懲りないで・・・。滑稽(こっけい)新聞は、外骨が笑いを武器に世相を強烈に批判したパロディ新聞で、この場所は滑稽新聞社のあったところ。外骨にかかると、益次郎のつくった砲兵工廠も、焼き芋の絵を入れて、放屁(ほうへい)やて(笑)。対極のような二人にまつわる碑が、50年の時のズレがあるけど目と鼻の先に建っている。これも大阪ならでは」。
ところで外骨なんて! へんな名前ですねぇ。
「もちろんペンネームやね。本名は亀四郎。亀は甲羅が外にあるから外骨や。さらになんと戸籍まで変えてしもた。15歳で東京に行って吉原の遊廓通い。しかも生涯で6回結婚して、その上に愛人が16人もいたそうや。最後に結婚したのは74歳やて!」。
話すほどに師匠のテンションが上がっていくように感じるのは、気のせいかしら?
「大村益次郎先生寓居跡」碑
 
「宮武外骨ゆかりの地」碑
●日本の近代化を担ってきた偉人たち。西区で師弟の関係が脈々と
外骨ゆかりの地から、あみだ池筋を下ると東に「花乃井中学」がある。その校庭の一角に「花乃井」と刻まれた石碑と井戸の跡が。
「ここはかつての石見津和野藩の武家屋敷のあった場所で、名水が湧いてたんやね。明治天皇が大阪を訪れた際に地元の人たちがこの名水を献上したところ、花乃井の銘を与えられたそうや」。一角には、埋め立てられた江戸堀川に架かっていた花乃井橋の親柱も。
美しい校名は、その名にちなんだもの。町名には採用されていないが、こうした形で歴史を伝えてくれているのはありがたいことだ。
 
このあたりには益次郎や外骨のほかにも、大阪と日本の近代化に貢献した人々にまつわる石碑があちこちに建っている。
花乃井中学の南向かい、江戸堀中公園にあるのが「中天游(なかてんゆう)邸跡」の碑だ。
「中天游はあんまり知られていないけど、医者で、適塾を開いた緒方洪庵の師匠。けど、医業は嫁さんに任せて、自分は蘭学に没頭して思々斎塾(ししさいじゅく)という蘭学塾を開いたんや。その嫁さん。さだ、というんやけど、お父さんに医学を仕込まれて色白の美人やったことから、小町先生と呼ばれたとか。男たちの間では、小町先生に手を握ってもらっただけで病気が治ったと言われていたそうや」。
ちなみに中天游の師匠が、橋本宗吉。「当時エレキテルと呼ばれた電気エネルギーを研究した草分けの人や。のちに妖怪使いと弾圧されて脳卒中で倒れるんやけど、橋本宗吉を最後まで看たのが中天游なんやね。そして、橋本宗吉の師匠が、天文学者の間長涯(はざまちょうがい)で、その間長涯の師匠が同じく天文学者の麻田剛立(ごうりゅう)。みんなこの西区で勉強したんです。西区と関りをもっている」。
何だか頭がこんがらがってくるが、要するに近代日本の基礎を築いた学者や科学者たちの多くは師弟関係にあって、この地から巣立っていったことは確か。
間長涯は、寛政暦をつくった学者で、彼のつくった天文観測機が、のち伊能忠敬に伝えられ、日本地図作成に大いに役立ったといわれる。
その「間長涯天文観測の地」の碑が、かつて長堀川畔に建てられたが、長堀川の埋め立てたため、現在、なにわ筋西側のグリーンプラザに移されている。
●米軍の飛行場だった靱公園と、切られずに生き残ったクスノキの秘話
御堂筋から四ツ橋筋、なにわ筋をまたいで、あみだ池筋まで東西に広がる靱(うつぼ)公園。この一帯は、江戸時代以来、海産物を取扱う問屋・仲買が集中していたところだったという。
「靱という名前は、海にいるウツボと違って、もともとは矢を入れる道具のこと。豊臣秀吉がまちを巡視した際に、魚商人たちが「安い、安い」と掛け声で魚を売っているのを耳にして「やすい」とは矢巣居、つまり矢を入れる靱に居は戻すこと、すなわち天下泰平じゃ、と言ったことにあやかってつけられたそうや」。
そんな海産物拠点も、1931年(昭和6)、大阪市中央卸売市場が開場されたのを機に閉鎖され、大阪大空襲で荒地に。そして戦後、米軍の小型機発着の飛行場になったという。「東西に細長い形をしているのは滑走路の跡やね」。
飛行場は1952年(昭和27)に米軍から大阪市に返還され、市の戦災復興区画整理事業によって3年後の1955年(昭和30)10月、この大公園に生まれ変わった。
花乃井の井戸と橋柱
「中天游邸跡」碑
「間長涯天文観測の地」碑
 
ところで、靱公園の中央、なにわ筋沿いに赤い鳥居で奉られた、それは見事なクスノキがある。この巨木を囲む一角は、境内こそないが「楠永神社」というレッキとした神社だ。
「クスノキは飛行場建設の時に米軍によって伐採されかかったんやけど、牧村史陽さんという大阪の町人学者が「この木は神木なんで切ったらあかん。切ればご神体の白蛇のたたりがある」と言ったんで切られずに済んだんやね。でも、後から分ったんやけど、これは伐採を食い止めようと牧村さんが考えた作り話。語り継ぎたいエピソードやね」。
そんな歴史を知るや知らずや、巨木はみずみずしい緑の葉をそよそよとゆすらせて大空を仰いでいる。
楠永神社のクスノキ
まち歩きはさらに続くが、まだまだ書きつくせないほどのネタが詰まっている・・・。
西区を歩けば、宝探しをするようなワクワク感がこみ上げて。
「ほんま、知れば知るほどに大阪が好きになりますねぇ」と、いつもなら師匠が言う台詞を私がつぶやいている。
 
 
*次回は、「適塾」のある北浜界隈を通って船場を歩きます。どうぞお楽しみに!!
 
プロフィール
文/写真:フリーライター・池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説 に初挑戦?!
 
案内人:西俣稔
3歳から大阪育ち。ボランティアでユニークな大阪ガイドを引き受けている。これまでに延べ1万人を案内。
ガイドブックにはない情報と独自の語り口にファンが急増。只今、三線と韓国の打楽器「長鼓」(チャング)に熱中。
 
 
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