●日本の近代化を担ってきた偉人たち。西区で師弟の関係が脈々と |
外骨ゆかりの地から、あみだ池筋を下ると東に「花乃井中学」がある。その校庭の一角に「花乃井」と刻まれた石碑と井戸の跡が。 |
「ここはかつての石見津和野藩の武家屋敷のあった場所で、名水が湧いてたんやね。明治天皇が大阪を訪れた際に地元の人たちがこの名水を献上したところ、花乃井の銘を与えられたそうや」。一角には、埋め立てられた江戸堀川に架かっていた花乃井橋の親柱も。 |
美しい校名は、その名にちなんだもの。町名には採用されていないが、こうした形で歴史を伝えてくれているのはありがたいことだ。 |
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このあたりには益次郎や外骨のほかにも、大阪と日本の近代化に貢献した人々にまつわる石碑があちこちに建っている。 |
花乃井中学の南向かい、江戸堀中公園にあるのが「中天游(なかてんゆう)邸跡」の碑だ。 |
「中天游はあんまり知られていないけど、医者で、適塾を開いた緒方洪庵の師匠。けど、医業は嫁さんに任せて、自分は蘭学に没頭して思々斎塾(ししさいじゅく)という蘭学塾を開いたんや。その嫁さん。さだ、というんやけど、お父さんに医学を仕込まれて色白の美人やったことから、小町先生と呼ばれたとか。男たちの間では、小町先生に手を握ってもらっただけで病気が治ったと言われていたそうや」。 |
ちなみに中天游の師匠が、橋本宗吉。「当時エレキテルと呼ばれた電気エネルギーを研究した草分けの人や。のちに妖怪使いと弾圧されて脳卒中で倒れるんやけど、橋本宗吉を最後まで看たのが中天游なんやね。そして、橋本宗吉の師匠が、天文学者の間長涯(はざまちょうがい)で、その間長涯の師匠が同じく天文学者の麻田剛立(ごうりゅう)。みんなこの西区で勉強したんです。西区と関りをもっている」。 |
何だか頭がこんがらがってくるが、要するに近代日本の基礎を築いた学者や科学者たちの多くは師弟関係にあって、この地から巣立っていったことは確か。 |
間長涯は、寛政暦をつくった学者で、彼のつくった天文観測機が、のち伊能忠敬に伝えられ、日本地図作成に大いに役立ったといわれる。 |
その「間長涯天文観測の地」の碑が、かつて長堀川畔に建てられたが、長堀川の埋め立てたため、現在、なにわ筋西側のグリーンプラザに移されている。 |