●ご神体の神山や三輪山を模した「立砂」 |
二つの大きな鳥居をくぐると本殿、雅楽殿、細殿(ほそどの)の前に、円錐型の盛砂が現れる。これは「立砂(たてすな)」と呼ばれ、神社創建以前のご神体である後ろの神山や奈良の三輪山を模したとされる。秦氏の守護神、松尾大社のルーツもまた三輪山にある。 |
ちなみに「立砂」は料亭の店先などで縁起を担いで置かれる「盛塩」とは別物。田辺さんによると「盛塩は、中国の後宮で帝の訪れを待つ側室たちが、帝の乗った牛車を止めようと家の前の道に置いたのが始まりとされています。これが水商売をする人の間で広まったのです」という。 |
神社の脇を覆う雑木林には、加茂川の分流のせせらぎが流れている。「楢の小川」と呼ばれるこの川は、境内を出ると「神明川」と名前を変えて神社の門前に広がる社家(しゃけ)の町をめぐり、さらに南にある下鴨神社へと流れていく。 |
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●すばらしい水のリサイクルシステムが整った社家の町 |
門前には、川をまたぐ土橋と漆喰(しっくい)の土塀に囲まれた家々が立ち並ぶ。「社家」は上賀茂神社で働く神官たちの住まい。室町時代ぐらいに建ち始め、江戸の最盛期には300軒近い社家が並んでいたとされるが、いまは20軒あまり。その中ほどにある「西村家庭園」は、唯一、一般公開している社家の建築だ。(ただし冬場は休館。3月末から公開) |
社家の各家では、明神川の水を塀の下にある吸門から取り込み、庭の池に注いでいる。そして生活用水として使った水は水門から土中に吸収され、浄化されて再び川に流される。
こんなにすばらしい水のリサイクルシステムが、何百年も昔に考え出されたとは驚きだ。 |
田辺さんが話す。 |
「社家の人たちは、もともと神官というよりも杜氏であったのではと、私は推測しているんです。いまもこの地で栽培されるすぐき漬けは、もともと神官たちが自家栽培で作っていた乳酸発酵の漬物ですが、この製法は酒づくりと酷似している。この点からも酒造りに長けた秦氏の勢力が関わっていたことがうかがえます」。 |
上賀茂神社から西、徒歩15分ほどのところに大田神社がある。小さい神社だが、朱塗りの鳥居や木造社殿がある延喜式内の古社だ。上賀茂神社よりも歴史が古く、実は賀茂氏の元祖・氏神だという。ここは木の実やケモノなど豊かな食料の宝庫だったようだ。境内には、落雷で切り株となった巨大なクスノキが、いまもご神木としてうやうやしく鎮座している。 |
横の大田ノ沢には、歌人、藤原俊成が「神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色に見ゆらむ」と詠ったカキツバタの原種が群生し、初夏には見物の人でにぎわう。 |
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●神秘に満ちた下鴨神社 |
上賀茂神社から加茂川に沿って下ること3km。賀茂川と高野川が交わる三角地帯にある下鴨神社は、上賀茂神社の祭神、賀茂別雷命の母親と祖父である玉依媛命と賀茂建角身命を祀る神社。だから「賀茂御祖(みおや)神社」という正式名称が付いている。建立は定かではないが、紀元前とも言われ、上賀茂神社とともに神秘のベールに包まれている。
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森の奥に立ち並ぶ社殿郡は国宝2棟、重文53棟。本殿の奥には、井戸の上に祀られた御手洗社(みたらしのやしろ)がある。ここから湧きだす清水で満たされた御手洗池では、葵祭の斎王代の禊(みそぎ)や、土用の丑の日に足をつけて穢(けが)れを払う「足つけ神事」(御手洗祭り)が行われる。御手洗池から湧き出るアワを人の型にかたどった「みたらし団子」は、ここが発祥の地とされている。
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神社の楼門そばに「相生(あいおい)社」がある。神皇産霊神(かむむすびのかみ)という縁結びの神を祀っており、社の前には「連理の賢木(れんりのさかき)」と呼ばれる、2本の木がからまりあって途中で1本に結ばれたご神木がある。不思議なことにこの木が枯れると、糺の森に同じように結ばれた木が見つかるという。現在のご神木は4代目だとか。 |
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