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●街道沿いには水路が!
小さな橋が物語る街道の風景 |
再び旧京街道に戻って都島通を西に進むと「旭国道筋商店街」がある。 |
「この辺り、戦後は闇市があったところです。家を失った人たちが細い水路の上にバラック小屋を建てて住んでいたんです」。
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安くておいしそうな食堂や飲み屋、電気店など個人経営の小さな店が並ぶが、老朽化してシャッターが閉じている店も多い。 |
「注目して欲しいのは、街道沿いには水路がつきものだったということです。その痕跡がここ」と、店と駐車場の間の隙間に回った師匠。
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そこには地面に埋もれて長さ4mほどの小さな石橋が!
袂には「中橋」と刻まれた親柱も。 |
「昔はこの橋の下を流れていた水路を使って、農作物なんかを運んでいたんです。水路は埋められたけどなぜか、この橋だけが残っているんです」。
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親柱には「大正3年」と架設の年度が刻まれている。街道ができた当時からすると新しいが、今は渡る人もないこの小さな橋は、100年近くもここにひっそりと佇んでいたのだ。でも、この商店街も府の整備でいつ撤去されるか分からない。そのときにはこの橋もなくなるだろう。近代化の陰でまた一つ、もの言わぬ歴史の証人が消えていくと思うとやりきれない。 |
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再び表通りに出て商店街を進むとJR城東貨物線の高架をまたいで今度は「野江国道筋商店街」の看板に変わる。 |
「ガードのこっちは都島区で、向うの商店街は旭区です。昭和18年(1943)に大阪市は、河川か国道か国鉄線を市区の境界線と決めたんです」。 |
「ちょっと、道の向こうを見てください、あの建物、何やと思います?」 |
師匠が大通りをはさんで商店街の向こう側にある小さな平屋の建物を指差した。
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さあ、公民館にしては狭すぎるし、交番?
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「公衆トイレです(笑)。実は昭和6年(1931)に京阪電車が高架化されるまで野江駅があったんです。京阪電車は明治43年(1910)に創業されたとき、ここを通っていたんですね。当時は1両だけの路面電車でした」。 |
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