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第二十一話
文明開化発祥地、西区川口を歩く
 
 
文/写真:池永美佐子
大正中期には東京を凌ぐ人口日本一の都市として、「大大阪」と呼ばれた大阪。
西区は、今でこそ人通りの少ない地味な街になっているけど、廃藩置県によって初めて大阪府が誕生した時には府庁が建設され、明治22年(1890)には、北区や南区・東区(合区で中央区に)とともに市内最初の区になるなど、日本の近代化を担った大阪の要となる街だった。
その西区で安治川に面した川口地区は、明治元年に国際港として物流の拠点となり、洋館が建ち並ぶ外国人居留地が設けられたところ。
クリスマスソングが溢れるこの季節、「ハイカラ文化や異人館は神戸だけではありません」と力説する大阪案内人、西俣稔さんに、川口界隈をガイドしてもらった。
●船場商人にお尻を向けて非難された江之子島府庁
今回のスタートは地下鉄阿波座駅。西出口を上がって角に郵便局がある江之子島の一角は、明治6年(1874)に初めて大阪府庁が建てられた場所だ。 西俣師匠の解説。
「江之子島政府と呼ばれた当時の府庁は、ドイツの古城風で、それは立派な建物やったんです。でも、庁舎の玄関を船場とは反対の西側に作ってしまったために、誇りある船場商人から批判を食らいました。自分たちに尻を向けるんかと。これからの大阪は世界に目を向けなあかんということで港のある方向に玄関を付けたのは、時代の要請なんですけどね」。
その府庁も、大正15年(1926)に老朽化を理由に現在の場所、大手前へと移転。空っぽになった江之子島の建物は「大阪府立産業技術総合研究所」の前身の大阪府工業奨励館として使われたが、昭和20年の空襲で焼失した。
現在、この地に残っている建物は、再建された府立産業技術総合研究所だが、同研究所が平成8年(1996)に和泉市に移転したのを最後に、使われることもなく間もなく取り壊される予定とか。
ところで、江之子島という地名の語源は「へのこ」が変化したもの。
「へのことは、広辞苑にも載っているけど、男の子のオチンチンのこと。今は埋め立てられた百間川(ひゃっけんがわ)に挟まれて島になっていた江之子島の地形が、へのこに似ていたから」と、地名研究家でもある師匠の解説だ。
旧大阪府庁の建物を再利用した、今はなき大阪府工業奨励館
(写真資料提供=大阪府立産業技術総合研究所)
●神戸よりも早く、西洋文明を開花させた川口外国人居留地
ここから北西方向にある木津川橋を渡って、木津川と安治川の間に挟まれた三角地帯が「川口地区」。明治元年の大阪開港に伴い、新たに作られた治外法権の外国人居留地で、イギリス人、アメリカ人、オランダ人などの欧米系の商人やキリスト教関係者が定住した。
「外国人居留地ができたのは、堺事件がきっかけです。堺事件は慶応4年(1868)、土佐藩士が堺港に上陸したフランス兵十数名を言葉の行き違いから殺傷してしまうんです。これに対してフランス側は、高額な賠償金と土佐藩士20人の切腹を求めてくる。それで11人が切腹したところで、あまりにもむごたらしいその光景にフランス側がもういいと切腹を中断させた事件なんですけど。風習や言葉の違いが国際問題に発展するなら、外国人と生活の場を分けたほうがいいということでできたんです」。
居留地にはレンガ造りの洋館が並び、牛乳、パン、ラムネ、メリヤス、マッチ、洋傘、洋服、靴、オルガン、クリーニング、精肉などを売る店や、洋食、中華の食堂、カフェなど、あらゆるハイカラな店が次々と現れた。
「この地から西洋文化が大阪各地に広がっていったんですね。まさに文明開化発祥の地なんです。また、キリスト教宣教師たちの努力によって、私立のミッションスクールが作られた、私学の発祥地でもあるんです。プール学院、梅花学園、大阪女学院、大阪信愛女学院、桃山学院、平安女学院・・・ちなみにプールという校名は、人名に因んだもの。プール付きの学校とかいうのとは違いまっせ(笑)」。
へ〜、伝統校なのにほとんど伝えられていない真実が、こんなところで明らかに!
でも、そんな居留地が、いまほとんど消えてしまっているのはどうして?
「昭和20年の空襲で焼けてしまったから。しかし、それ以前にも理由がある。安治川の川幅が狭く大型船が入港できないので国際港が神戸に移っていったんですね。居留地の制度は、明治32年(1899)の不平等条約改正によって廃止されて衰退していきました」。
一方、外国人居留地として区切られたこの一角のほかにも、日本人も一緒に住むことが認められていた「川口雑居地」があったという。外国人居留地から少し西にある川口聖マリア幼稚園の横に「川口雑居地跡」の案内板が立っている。
「ここは主に中国人が住む中華街ですね。中国人が経営する理髪店やおいしい中国料理店も多く、理髪店はここが発祥の地といわれています。でも、ここも空襲で無くなってしまって・・・」。
どちらの居留地も、戦後再建していれば神戸に負けない観光地になっただろうに・・・。
 
川口居留地跡の石碑
 
川口雑居地の跡地に建つ
聖マリア幼稚園
●信者と大阪市民の情熱で蘇った川口キリスト教会
そんな川口地区で唯一、当時の面影を残して佇んでいるのが、川口キリスト教会(日本聖公会川口基督教会)。居留地時代の建物は現存しないが、大正8年(1915)に、米人建築家ウィリアム・ウィルソンの設計で再建された。ツタがからまる赤レンガの建物は、国登録有形文化財になっている。
「この教会はクリスチャン信者のよりどころであったほか、隣接していた松島の遊郭で働いていた女性たちの駆け込み寺でもあったんです。建物は大正時代の建築やけど、よく見てください。塔の途中からレンガの色が変わっています。あれは1995年の阪神大震災で塔が傾き、上半分が倒壊した塔の上を継ぎ足したから。壁面も大きな亀裂が入って一時は復元不可能と解体の危機にさらされていたんです。
でも、復元を望む信者さんや市民の要望でなんと5億円もの寄付金が集まったんですね。川口は地名が示すように河口近くで地盤が弱い。それで地下35mの地層に18本の杭を打ち込んだり、1500tもの重さのある傾いた建物を特殊なジャッキ持ち上げたりして復元したんです。ほんま、大阪の誇りです」。
礼拝堂に足を踏み入れると、重厚感あふれる空間にステンドグラスから美しい光が差し込み、いかにも静謐な雰囲気を醸し出している。
今月13日(土)には、 14時から、賛美歌と造り付けの巨大なパイプオルガンが奏でるチャペルコンサートが開かれるそうだ。
 
川口キリスト教会
●大阪中央卸売市場と、かつて国際港だった痕跡を残す赤レンガ倉庫
川口地区の北を流れる安治川の対岸には大阪中央卸売市場が陣取っている。
「大阪中央卸売市場は、大正7年に起こった米騒動をきっかけに物価の安定を図るために大阪市が開いた公設市場です」。
昭和橋の西詰めとV字につながる端建蔵橋(はたてくらばし)の袂には、住友倉庫がある。
このあたりは倉庫街で、中央卸売市場と併せていまも物流の中心的機能を備えている。
住友倉庫のある場所から少し西に行くと「富島倉庫」とドデカイ字で書かれた三角屋根に赤レンガの倉庫が現れる。
「富島倉庫は、もともと郵政関連の倉庫で昭和40年代に三井倉庫が買い取ったんです。当時は大阪港から入荷した沖縄の黒糖や北海道のビートや米を保管していたけど、今は保冷設備もないので書類が入っているようです」。
廃退的なムードが漂うかつて国際港で、この辺りはかろうじてその痕跡を残している。
 
大阪中央卸売市場
富島倉庫
●宮本輝「泥の河」の舞台になった安治川と昭和橋
川口地区の東を流れる木津川に架る橋で、木津川の1本北にある昭和橋は、宮本輝の小説「泥の河」の舞台になった場所。
「泥の河は、昭和31年、戦後間もない時代を背景に安治川に住む人たちの人間模様や友情を描いた話です。太宰治賞を受賞したこの作品は映画にもなりました。物語は昭和橋の袂にあるうどん屋の息子の信夫と、この川で暮らす貧しい水上生活者の子ども喜一がこの昭和橋で出会うところから始まります。この近くに福島天神という神社のお祭りに二人は親に小遣いをもらって出かけるんですけど、喜一のポケットは穴が開いていて大事なお金を落とすんです。地面を這って必死で探す二人。でも見つからない。そして喜一は盗みを働くんです・・・」。
昭和橋の西詰めから安治川を臨むと、小さな船が停泊している。そして川の右岸には、物語に出てくる食堂の息子さんが経営するレストラン「若松」が見える。あわただしく車が往来する橋の上とは違って、50年前にタイムスリップしたかのような光景・・・。
「いじめや惨たらしい事件が目立つ今、この小説は何が大事なのかを訴えかけているような気がします。小栗康平監督から映画化の話が来たとき宮本輝は尋ねたそうです。こんな映画売れますかと。監督はこう答えました。お金にはならないと思うけど、いいものは残ると。私はこの作品をいま一度、世に知らしめたいと思って映画上映会を計画しているんです」。
 
「泥の河」の舞台、昭和橋から安治川を臨む
 
ルポのあと、「泥の河」の文庫本を求めてあわてて本屋に走った私。一気に読み終えると、「懐かしさ」や「切なさ」という言葉では言い尽くせない、心の奥底に眠っていたような優しい想いがこみ上げて胸がキュンとした。
深い歴史を刻んだ西区は、フタを開けると今まで知らなかった面白いストーリーがいっぱい。街歩きはこのあとさらに安治川へと続いて西区の核心に迫る・・・。
 
 
*※次回はJR環状線西九条から安治川トンネルをくぐって、安治川べりと九条界隈を歩きます。
 
プロフィール
文/写真:フリーライター・池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説 に初挑戦?!
 
案内人:西俣稔
3歳から大阪育ち。ボランティアでユニークな大阪ガイドを引き受けている。これまでに延べ1万人を案内。
ガイドブックにはない情報と独自の語り口にファンが急増。只今、三線と韓国の打楽器「長鼓」(チャング)に熱中。
 
 
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