●緑豊かな見晴らしの御山、男山と航海祈念塔 |
駅の南側に回って男山(142.5m)へ向う。 |
この辺りはもともと砂地や芦原が広がる低湿地帯だったという。しかし、男山だけは豊かな緑で覆われていたらしい。頂上には「石清水八幡宮」が鎮座し、春には桜で満開に。社号は山腹の霊泉・石清水に因む。石清水八幡宮へは八幡駅前からケーブルカーが便利だが、徒歩で登っても20分少々。九十九折の雑木林の参道を歩くのも赴きがある。
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駅近く、頓宮の西側に「航海記念塔」という巨大な石の五輪塔がある。 |
「鎌倉時代後期のもので、石塔では日本一の高さです。石清水八幡宮を創祀した奈良・大安寺の高層、行教(ぎょうきょう)律師の墓との説もありますが、摂津尼崎の豪商が日宋貿易の帰り路、石清水八幡宮で祈って海難を逃れた、その恩返しのために建立したものと伝えられています」。 |
いまも海運業の人たちや安全な航海を祈念する人が訪れるという。 |
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●武門の神を祀る石清水八幡宮とエジソン記念碑 |
石清水八幡宮は貞観2年(860)、朝廷によって創建された神社で八幡大神、比咩大神、神功皇后の三神を祀っている。その前年、宇佐八幡宮に参籠した行教が、八幡大神より「都近く移座して国家を鎮護せん」との神託を受けたことに端を発する。 |
八幡大神は武門の神様。鎌倉時代に奥州を征服した源義家は、男山八幡宮で元服式を挙げて「八幡太郎義家」と名乗ったとされ、この神社を源氏一門の氏神として祀った。以降、足利、豊臣、徳川の各一族も石清水八幡宮を武門の神として崇めたといわれる。 |
社殿は3度消失し、現在のものは徳川家光が営造したもの。 |
「八幡造りの様式で重文です。本殿や楼門は日光東照宮と同じ豪華絢爛な造りです。石畳の参道に並ぶ石灯籠の数や種類は日本有数。歴史的価値のあるものが多く、灯籠を研究している学者さんも訪れます」と田辺さんはいう。 |
境内にはエジソン記念碑がある。エジソンが白熱電灯を発明した際、石清水八幡宮の真竹をフィラメントの材料に使ったことに因んで昭和9年(1934)に建立された。現在の碑は昭和59年(1984)に再建されたもの。 |
では、地球の裏側にいたエジソンがどうやって八幡の竹を見つけたのか?
こんな疑問に田辺さんは次のように答える。 |
「1879年にエジソンは光電球の実験に成功しました。でも、このときのフィラメントは木綿糸にススとタールを塗り付けて炭化させたもので長持ちしなかったんです。そして色んな植物繊維で試していたんですが、あるとき実験室にあった日本の扇子が目に止まったんですね。縁取りの竹を細く裂いて使ってみたら大成功。エジソンはすぐに助手を日本に送って八幡の真竹にたどりついたというわけです」。 |
八幡の真竹はその後タングステンフィラメントが作られるまでの間、アメリカに輸出され電球の材料になったという。八幡市とエジソンの生誕地であるマイランとは友好都市になっている。 |
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●松花堂昭乗の絵の具箱をヒントに生まれた松花堂弁当 |
一方、「八幡大神は神であると同時に、八幡大菩薩とも呼ばれる仏でもあったんです。明治時代の神仏分離まで石清水八幡宮は神仏習合が続き、山中には男山48坊と言われる多数の僧坊がありました」と田辺さん。 |
松花堂昭乗は、そんな僧坊で修行した社僧の一人。
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「江戸初期、寛永の文人として知られる昭乗は、真言密教を学び、やがて阿闍梨(あじゃり)になりました。堺の生まれで書や画、茶の湯でも優れた才能を発揮し、住職となった滝本坊近くに松花堂という茶室を建てました」。 |
男山の南にある市立松花堂庭園には、その茶室が復元されている。茅葺きの宝形造の松花堂は茶室というより小さなお堂のよう。天井には極彩色の日輪と2羽の鳳凰が描かれている。 |
「有名な松花堂弁当は、昭乗が愛用した四つに仕切られた絵具箱がルーツです。昭和の初期に料亭「吉兆」の創始者、湯木貞一氏が松花堂を訪れたときにこの箱を見て懐石料理を盛りつけることを思いついたのがそもそもの始まりです」。
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庭園内にある吉兆・松花堂店では、予約すれば松花堂弁当を賞味することができる。 |
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