橋イラスト

鉄鋼大手、電鉄大手、大手百貨店…。「大手」という名前からどんなに立派な橋かと思ったら…長さこそ約50mあるが、幅は10m弱。頭上に高速道路が走る2車線道路なので拍子抜けしてしまう。堺筋本町駅と北浜駅の中間地点にあって東横堀川を挟んで大手通に架かる「大手橋」。東の大阪城正面「大手門」に通じることから命名された。でも、この橋名が付けられたのは大正時代以降だ。
橋の歴史はもっと古い。大手橋の前は「思案橋」と呼ばれていた。橋の起源ははっきりしないが、江戸初めにはこの橋名が確認されている。思案橋の名の由来は諸説あり、それがまたおもしろい。まず、地形にまつわる説。大手橋の西側は行き止まりの丁字路になっている。そのため橋を渡った人が北側の淡路町通へ行くか、南側の瓦屋通へ行くか。「はて、どっちに?」と思案することから付いたという。
一方、秀吉の五奉行の一人、増田長盛に命名を依頼したが、なかなか決まらなかったからという説。「とんち」で有名な曽呂利(そろり)新左衛門が秀吉から命名を相談され、思案したという説もある。いずれも決め手に欠けるが、個性的なキャラクターも手伝って曽呂利説がよく知られている。

曽呂利新左衛門は豊臣秀吉のお伽衆(とぎしゅう)の一人。お伽衆とは大名などの話し相手をする家来。今でいう政策ブレーンだ。和泉国大鳥郡生まれ。本名は杉本甚右衛門。生年はよく分からないが、『堺市史』によれば没年は慶長8年(1603)9月22日。本職は刀の鞘師(さやし)で、どんな刀でも「そろり」と鞘に入ったことからから曽呂利というあだ名がついた。茶道や歌道を嗜み書や画でも才を発揮した。博学で話術に長け機智に富んだ曽呂利は秀吉のお伽衆として起用された。その中で生まれた数々のとんち話や狂歌が、『堺鑑』『甲子夜話』『和泉名所図絵』などの書物に残されている。ちなみに前記の曽呂利の経歴内容も、貞享元年(1684)刊行の『堺鑑』によるものだ。

有名なのは、猿顔と噂された秀吉の面相。「わしはそんなに猿に似ているか」と問われた曽呂利。「殿が猿に似ているのではなく、猿の顔こそ殿にソックリなのでございます。殿のようになりたいと願うのは人間も猿も同じにございます」と返した。
秀吉の耳の匂いを嗅ぐ話もある。秀吉から「そちに褒美を取らせる。望みのものをいってみよ」と問われ「では時々、殿の耳の匂いを嗅がせてください」と所望した。以来、決まって諸大名が訪れると秀吉の前でクンクンと秀吉の耳を嗅ぐ。大名側には自分の事を秀吉に耳打ちしているように見える。大名たちは曽呂利の機嫌をとって贈り物をするようになった。
堺市堺区宿屋町に『曽呂利』という和菓子店がある。その包装紙には秀吉の耳に鼻を近づける曽呂利のイラストが描かれている。創業者で先代社長の日下義臣(くさかよしおみ)氏の家が、曽呂利の屋敷跡 (堺区市之町東)にあったよしみで、この屋号となった。墓がなかった曽呂利を偲んで350回忌にあたる昭和31年(1956)9月命日、日下氏の呼びかけにより堺市の妙法寺で法要が営まれた。境内に『妙法曽呂利宗拾居士』の弔碑が建立されている。

その他、「大きなもの比べの狂歌合戦」「夢に黄金を見て糞する話」など、中味を聞かずとも想像力が掻き立てられるユニークな逸話がたくさん残る。地域史研究者の三善貞司さんは、『なにわ人物伝』(大阪日日新聞)の中で曽呂利の逸話を紹介する一方、「一休和尚のとんち話と同じく、出版文化が盛んになった寛文年間以降に創作された話で、新左衛門とは何の関わりもない」と書いている。

話がえらく脱線、いえ、脱橋してしまった。
現在架かっている鉄筋コンクリートの大手橋は、大正15年(1926)に架設された。建設後60年を経て平成元年(1989)に改修され、アーチや床版を補強して戦時中に金属供出で消えた高欄と照明灯が復元された。
橋の西詰めの突当りを北側へ曲がると、すぐに右手に川岸の東横堀緑地に降りる細い道がある。この道を下って川岸に立つと、東横堀川の水面に映るアーチが円を描いて優美で大正レトロな大手橋が現れる。
橋を渡って大阪城の大手門へ向かってみよう。お連れがあるなら曽呂利のとんち話の一つもすれば、あなたの株がグンと上がることまちがいなしだ。

大手橋
難波橋
東横堀緑地から大手橋を臨む
難波橋
東の袂に橋梁顕彰碑がある
写真撮影=池永美佐子


大手橋の位置
地図_露天神社

島本貴子
京都生まれ、大阪育ち。大谷女子専門学校卒業。14年間大阪で中学校家庭科教師として勤務。河村立司氏に師事し漫画を学ぶ。山藤章二氏「似顔絵塾」の特待生。「大阪の食べもの」「浪花のしゃれ言葉」などをテーマに「いろはかるた」を多数制作。このイラストも自作。

池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味はランニングと登山。山ガール(山熟女?!)が高じ、2015年、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに登頂。
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