緑地西橋イラスト

平成2年(1990)に大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」。その会場となった鶴見緑地公園の西側の入り口に美しいアーチ型道路橋がある。
下を流れるのは川ではなく車だが、「緑地西橋」という名のこの橋はドイツ生まれの143歳!現存する鉄橋(鋼鉄製の橋)としては日本最古というから驚きだ。
しかも、感動するのはその波乱万丈の人生ならぬ、橋が歩んできた歴史。
橋の袂に説明碑があるので読んでみよう。

「この橋は、明治六年三月長堀川に架けられた心斎橋の弓形の桁を用いて、つくられた。当時、心斎橋は、日本で五番目に架けられた鉄橋(ドイツ製、橋長三十七・一メートル幅員五・二メートル)で、その規模の大きさは多くの人を驚かせたという。 しかし、明治四十一年に撤去され、石づくりのアーチ橋に主役の座をうわばわれてからは、境川橋、新千舟橋、すずかけばしと、次々にその身の置きどころを代えていった。 そして、このたび当地で五度目の奉公をすることになったが、がっしりとした鉄の骨組みに、文明開化の昔をしのぶことが出来る。          平成元年三月 大阪市」

もともとは長堀川に架けられた「心斎橋」だったという。
明治41年に新しく石造りのアーチ橋に付け替えられたのを機にお役御免となったが、すぐに再就職が決まり、昭和2年(1927)までは境川運河で「境川橋」として勤務。さらに翌年から昭和46年(1971)までの43年間は大和田川に架けられ「新千船橋」として活躍した。この時点で98歳! さすがに引退かと思われたが、2年後の昭和48年(1973)年、心斎橋架橋百周年を記念して鶴見緑地公園に移設され「篠懸橋(すずかけばし)」の名をもらって再復活。そして、平成元年(1989)、緑地公園の改修で現在地に移設されて以来、現在に至っている。花博会期中は、京阪本線関目駅からの歩行者ルートとして利用された。

ちなみに「心斎橋」という名は、諸説あるが、江戸初期、橋を架けたとされる伏見商人、美濃屋の岡田心斎(新三)に由来するという、郷土史家の故・牧村史陽氏の説が通説となっている。
岡田心斎は、幕府に命ぜられて大坂落城で荒廃していた大坂の町を復興。仲間の商人たちと力を合せて長堀橋の開削や周辺の整備を行うと同時に私費で橋を架けたといわれる。

その後、何度かの架け替えを経て、木橋だった心斎橋が大阪府によりドイツ製のこの鉄橋に変わったのが明治6年(1873)3月。大阪の鉄橋では2番目、第1号鉄橋の高麗橋から2年半後の完成だった。
高麗橋が7本の橋脚によって支えられていたのに対して、この橋は橋脚かがなく巨大な弓形のトラス(三角形に組んだ構造)で吊り上げられている。
完成時には異国情緒漂う豪壮なこの鉄橋を見ようと、連日大勢の見物人が押し寄せ、文明開化のシンボルとして錦絵にも描かれた。かるたの絵は、その頃の光景だ。

しかし、町の発展とともに橋幅の狭さなどを理由に旧心斎橋は撤去され、上記のような運命をたどることになった。

余談だが、架け替えられた新しい心斎橋は高級花崗岩を使用し、欄干に4基ずつ鉄柱のガス灯を設置したハイカラなもの。自腹で工事を請け負った小西荘次郎が石の材質や意匠に凝り過ぎたためにお金が回らなくなり、ついにはギブアップ。大阪府にバトンを渡して行方知れずになったというエピソードがある。
その心斎橋も昭和37年(1962)、長堀川の埋め立てに伴って撤去されたが、2年後の昭和39年(1964)、保存を求める地元の人たちの強い要請で長堀通を横断する歩道橋として甦った。しかし、この橋も地下鉄長堀鶴見緑地線の工事のために撤去。現在はクリスタ長堀が完成した平成9年(1997年)、もともと橋のあった場所に復元されたガス灯と石造の橋の一部に、かろうじて昔の姿を留めている。

この緑地西橋は、旧心斎橋の外側の弓型のトラスの主構のみを転用している。
平成25年(2013年)には、公益社団法人 土木学会が歴史的土木構造物の保存に資することを目的に認定・顕彰する「土木学会推奨土木遺産」に選出された。

それにしても、人間なら大河ドラマの主人公にもなりそうな橋なのに、名前が「緑地西橋」とは、あまりにイージーではないか。「元祖心斎橋」とか、「シルバー大橋」「白銀橋」「長寿橋」のような風格ある名前を付けてあげたらよかったのに。
高齢社会ニッポンの希望の星として、生涯現役で頑張ってほしいと願わずにはいられない。


緑地西橋と説明碑
緑地西橋
写真提供:大阪市建設局

緑地西橋の位置
地図_緑地西橋

島本貴子
京都生まれ、大阪育ち。大谷女子専門学校卒業。14年間大阪で中学校家庭科教師として勤務。河村立司氏に師事し漫画を学ぶ。山藤章二氏「似顔絵塾」の特待生。「大阪の食べもの」「浪花のしゃれ言葉」などをテーマに「いろはかるた」を多数制作。このイラストも自作。

池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味はランニングと登山。山ガール(山熟女?!)が高じ、キリマンジャロ登頂を目指して修行中。
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