橋イラスト

東海林太郎さんという歌手がいた。若い人は知らないだろうなぁ。「とうかいりんたろう」ではなく「しょうじたろう」。黒淵の丸メガネをかけて直立不動で歌う昭和の歌謡界の大御所だ。その代表曲に『野崎小唄』(1935)という歌がある。
 ♪野崎まいりは屋形船でまいろ お染久松せつない恋に 残る紅梅 久作屋敷 今も降らすか春の雨♪ (第2番)

「お染久松(おそめひさまつ)」は実在する人物。舞台は江戸中期の大坂、東横堀川に架かる瓦屋橋。宝永年間(1704〜1711)、橋の袂(たもと)に屋敷を構える豪商、油屋太兵衛の娘、お染(16歳)と丁稚、久松の情死事件がモデルになっている。二人は恋仲になり、お染は子どもを宿していたが親が決めた縁談が進んでいた。久松は蔵に幽閉される。未来を絶たれた久松は蔵の中で首を吊り、お染は蔵前で喉を剃刀で突いて心中した。センセーショナルな事件は、犯罪や心中など世俗の事件を芸人が物語にして大衆や人家の前で聞かせる「歌祭文(うたざいもん)」に詠まれて広がり、「お染久松」は浄瑠璃や歌舞伎の人気演目になった。

東横堀川に架かる「瓦屋橋」は地味な橋だが、「お染久松」事件のおかげで時代をまたいで知られるところとなった。瓦屋橋の西詰め、南西角にあった油屋太兵衛の屋敷や「お染蔵」と呼ばれた蔵は、戦災に会うまで残っていたらしい。
大阪市が設置した顕彰碑によると、瓦屋橋が架けられたのは元禄時代の中期以降。当時の橋は長さ約38m、幅約3.8mの木橋で、約15年おきに架け替えが行われており、橋筋の町々によって維持された。鋼桁の近代橋になったのは昭和7年で長さ37.7m、幅6.5m。現在の橋は昭和41年(1966)に架け替えられ、同45年に歩行部の改修で幅は9mに拡幅された。平成10年(1998)には橋面が改修されている。
瓦屋の橋名は、地名に由来する。橋博士、松村博氏の『大阪の橋』(松籟社)によれば江戸時代、この辺りは「南瓦屋町」と呼ばれ、瓦の窯や土取場があって瓦生産が行われていた。土地は幕府の御用瓦師、寺島藤右衛門の請地(管理権を委任された土地)だった。寺島氏はもともと豊臣秀吉の御用瓦職人だったが、大坂の陣で徳川側に内通したため屋敷を焼き打ちされた。しかし、その功績によって徳川幕府から瓦の土取場として4万6千坪(約15ha)の土地を借り請けることになったとされる。瓦屋町の北側に隣接し、「人形の町」して知られる松屋町も、瓦屋町の瓦職人たちが仕事の合間に素焼きの人形を焼いたのが始まりといわれる。

さて、「お染久松」の続きをもう少し。事件後まもなく紀海音(きのかいおん)が浄瑠璃『お染久松 袂(たもと)の白絞(しらしぼり)』を発表。大坂・竹本座で初演されると大ヒットしたが、これらをもとに「お染久松」は次々に脚色されていくつもの戯曲が生まれた。中でも事件から70年以上も後の安永9年(1780)、竹本座で初演された近松半ニの『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』は、不朽の名作として今も浄瑠璃や歌舞伎の演目になっている。
上巻「野崎村の段」では、お染との仲を引き裂かれて野田村へ帰された久松を、養父の久作が娘のお光(みつ)と祝言させようとする。そこへ縁談にせっぱ詰まったお染が訪ねて来る。久松を密かに慕っていたお光も最初は嫉妬するが、二人が心中を決意していることを知ると二人の幸せのために身を引いて尼になる。祝言の当日、綿帽子の下のお光の髪が切られている姿が痛々しい。紆余曲折の末、お染と久松は心中して幕切れとなるが、情熱的なお染に対して、けなげなお光を登場させることで、さらに話はドラマチックに盛り上がる。
東海林太郎の『野崎小唄』も『新版歌祭文』野崎村の段に沿ったもの。物語にちなんで大東市にある野崎観音(大東市)の境内には、油屋によって建てられたお染久松の比翼塚があるほか、境内にある野崎会館には、この「いろはかるた」の作者、島本貴子さんの手による「お染久松」の絵巻物が奉納され展示されている。

「お染久松」事件から300余年。今の時代に生まれていれば何のハードルもないものを。お染と久松はあの世で仲良く添い遂げているのだろうか。
それにしても、瓦屋橋の味気ないこと! 佇まいもさることながら、上方芸能のルーツでもある一大物語を紹介する案内もないのは、寂しすぎる。2025年の大阪万博開催に向けてベイエリア開発もいいが、見慣れた街角に大阪の財産が溢れていることに気づいてほしいと願う。

瓦屋橋
瓦屋橋
瓦屋橋
瓦屋橋
欄干に設置された顕彰碑
瓦屋橋
東横堀川に架かる「瓦屋橋」
一本北の「東堀橋」から望む
(写真撮影=池永美佐子)


瓦屋橋の位置
地図_瓦屋橋

島本貴子
京都生まれ、大阪育ち。大谷女子専門学校卒業。14年間大阪で中学校家庭科教師として勤務。河村立司氏に師事し漫画を学ぶ。山藤章二氏「似顔絵塾」の特待生。「大阪の食べもの」「浪花のしゃれ言葉」などをテーマに「いろはかるた」を多数制作。このイラストも自作。

池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味はランニングと登山。山ガール(山熟女?!)が高じ、2015年、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに登頂。
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