| 2008年 31号 発行日: 2008年12月5日 |
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2008年度FUJITSUファミリ会 秋季大会
開催日:2008年10月30日 開催地:ホテル新潟
[Flash/15KB/135秒] Flashによる SLIDE SHOW
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特別講演「まちをアートで元気に」
北川フラム 氏 |
アートディレクター/新潟市美術館館長
北川フラム 氏
現代美術がまちをいかに元気にし、そこに住む人々をつなぎ、さらには多くの観光客を呼び寄せるかということを、氏が手がけてきた再開発プロジェクトや芸術祭など、多くの例を挙げながら語っていただいた。

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北川フラム 氏 プロフィール
経歴
1946年 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。
東京芸術大学卒業。
主なプロデュースとして、日本全国80校で開催された「子供のための版画展」、現在のガウディブームの下地をつくった「アントニオ・ガウディ展」、全国194ヵ所、38万人を動員し、アパルトヘイトに反対する動きを草の根的に展開した「アパルトヘイト否!国際美術展」等。
まちづくりの実践では、94年度日本都市計画学会計画設計賞を受賞した「ファーレ立川アート計画」、新潟県十日町市を中心とした、過疎の地域活性化プロジェクト「越後妻有アートネックレス整備構想」の総合ディレクター等多数。
長年の文化活動により、2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、平成19年度国際交流奨励賞・文化芸術交流賞受賞。
現職および公職
地中美術館総合ディレクター、女子美術大学芸術学科教授、アートフロントギャラリー主宰、まちづくり環境評価検討会委員、文化戦略に関する懇談会委員等。
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世界に発信するまちづくり
現在、2009年新潟市で予定されている「水と土の芸術祭」の開催準備をすすめています。本日は、どうしてこういう活動をするまでに至ったのかをお話させていただきます。
私は、アートプランナーとして、1994年10月に、「ファーレ立川」アート計画を完成させました。これは、東京駅から約30分に位置する立川駅北口に広がる広大な米軍基地跡地の一部、約6ヘクタールの敷地に展開された、ホテルやデパート、映画館、図書館、オフィスビルなどの文化施設からなる新しいまちです。当時の丸の内地区の倍くらいの土地に業務核都市(注1)としてのモデル地区をつくろうとスタートしたわけです。この再開発のコンペティションに私は、「世界を映す街」、「ファンクション(機能)をフィクション(美術)に!」、「驚きと発見の街」という3つのテーマを提案いたしました。
(注1)業務核都市:東京圏における住宅問題、職住遠隔化等の大都市問題の解決を図るため、東京都区部以外の地域で相当程度広範囲の地域の中心となるべき都市のこと
コンペティションの準備期間から考えますと、当時の時代は、1989年にベルリンの壁が、1991年にソ連が崩壊する、日本の首相も翌朝には変わっている。つまり、この時代は世界が共通化してきたような感があります。しかし同時に、パンドラの箱を開けたようにいろいろな価値観が噴出し、民族問題、南北問題、宗教など、現在に続くさまざまな問題が出始めた時代でもあります。
このような時代背景の中、国が威信をかけた再開発が、「ファーレ立川」でした。世界は同時的に存在しますが、実に多様です。自分たちがここにいるということを世界にアピールするには、まず、人とまちがつながらなければいけません。ここでは、それまでのような誰も反対しないようなニュートラルな作品だけを展示する従来のパブリックアートとは違い、数多くの世界的に有名なアーティストの作品に自由に触れることができます。この計画は、現在でも世界のまちづくりの基本になっています。 |
1:ナイジェリアの12の首長たちの像 ©S.Anzai
14体あるとバザールのような楽しさがあるのか、訪れた人たちが像と像の間から首を出して記念写真を撮る姿が見受けられる |
2:地下の駐輪場のためのサイン
<ロバート・ラウシェンバーグ(アメリカ)> ©S.Anzai
・作家自身が使っていた自転車を利用してつくられている |
3:緑と赤の数字で囲われた高さ8mの排気筒
<宮島達男(日本)> ©S.Anzai
それぞれの数字は変わるスピードに違いが生じるため、美しいハーモニーがうまれる |
4:ベンチの機能を持った車止め
<ヴィト・アコンチ(アメリカ)> ©S.Anzai
まちのコンセプトにあわせた作品は子供たちも楽しめる |
1995年1月17日に、阪神・淡路大震災が起こりましたが、前年に完成した「ファーレ立川」のことが、NHKの「日曜美術館」で2月に放映されました。放送後、仮設住宅に住む方々から、「今度まちづくりをするときは、こういう楽しいものがあるまちにしたい」という電話が何本もあったというお知らせをNHKからいただきました。私は、被災された方々がこのような、まるでお遊びしているようなものをどのような気持ちで見られるだろうかと内心、心配していたのですが、実際はそうではなかったのです。名作中の名作といわれるアートがあることによって、まちがどれだけ豊かになっているかということを想像してみてください。その後私は、阪神・淡路大震災後の川崎製鉄と神戸製鋼跡地の再開発ディレクションにもかかわることになりました。
そして、これも世界で初めてですが、「ファーレ立川」では、オーナーの方や商工会議所、立川市やボランティアでツアーをお手伝いしてくださる方々が共同で、2年前に1つの宣言をしました。それは、「立川はまち全体が美術館なので、今後、美術館はつくらない。その代わり国の施設や、新しい民間の会社などをつくる際には、全体の考え方に合わせて美術作品を展示させてもらう。そして、まち全体を楽しいものにしよう」という宣言です。 |
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