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琵琶湖の東、鈴鹿山麓に位置する滋賀県蒲生郡日野町。まちの中心部にある町立日野小学校の校庭に、道中合羽(どうちゅうかっぱ)に三度笠を身に付けた旅人風情の若者像が立っている。 |
この名もなき若者は「近江日野商人」。 |
近江商人の中でも、とりわけ出店数の多かった日野地域出身の商人に限って付けられた名称だ。
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手にする長い棒は、荷物を運ぶときに使う天秤棒だが、近江日野商人は行商から始めて財をなし、千両の富を得てもなお天秤棒を肩に行商に出たことから「近江の千両天秤」と言われる。
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近江日野商人の特色は、大店(おおだな)ではなく、小型店の拡張が多かったことにある。 |
出店数では他の近江地域より群を抜いていた。「千両も貯まれば新しい店を出す」といわれ、「日野の千両店(せんりょうたな)」とも呼ばれた。とくに酒や醤油の醸造では、北関東を中心に支店・枝店を展開して店を増やしていった。このスタイルは、本店を核として全国展開する現在のチェーン店のビジネスモデルになっている。 |
また、近江商人の中でも、日野商人のみが会員数400名を超える商人組合「日野大当番仲間」を組織し、個々の商人が商いやすいように、さまざまな仕組みを整えていたという。 |
そんな中で、日野商人たちは、心学をベースとして「仁・義・礼・智の心が信用を産む」という独自の商業倫理を確立した。心学とは江戸時代に石田梅岩(ばいがん)が始めた生活哲学だ。「感謝の心をもって地味でコツコツと働く」という家訓の背景には、こんな心学の教えがある。 |
一方、日野商人の一人である中井源佐衛門の考案した『中井家帳合法』は、貸借対照表(バランスシート)と損益計算書を含む、現代の複式簿記にあたる画期的な決算書の構造をもっていたといわれる。源左衛門は子孫のために「倹約と勤勉と先祖崇敬こそが商いを志す者の道である」と説いた「金持商人一枚起請文」を書き残している。 |
このほか、八幡、五個荘と共通する近江商人の商いの理念として
「三方よし」がある。商売は自分、相手、社会全体のためにならなければならない、という考えは、300年を経た今も商売の原点として生き続けている。 |
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大阪駅からJR琵琶湖線と近江鉄道を乗り継ぎ、銅像に辿りつくまで3時間半。それでも近江商人のルーツを求めて町を訪ねるビジネスパースンは少なくない。近江鉄道・日野駅からは、駅前にレンタサイクルがあるのでおすすめだ。 |
日野街道を通ると、商売上手な近江商人のイメージとはかけ離れた、質素でひっそりとした町並に驚くが、「遠いのによう来てくれはったなぁ」と歓待してくれる町の人たちに、心学の商業倫理を大切にした近江日野商人のDNAが息づいていると感じた。
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プロフィール
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●文/写真:フリーライター・池永美佐子
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京都生まれ、大阪育ち。
関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。 |
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説
に初挑戦?! |
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