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第23話
天秤棒に夢をのせ、商道の本質を究めた近江日野商人
 
 
文/写真:池永美佐子
 
琵琶湖の東、鈴鹿山麓に位置する滋賀県蒲生郡日野町。まちの中心部にある町立日野小学校の校庭に、道中合羽(どうちゅうかっぱ)に三度笠を身に付けた旅人風情の若者像が立っている。
この名もなき若者は「近江日野商人」。
近江商人の中でも、とりわけ出店数の多かった日野地域出身の商人に限って付けられた名称だ。
手にする長い棒は、荷物を運ぶときに使う天秤棒だが、近江日野商人は行商から始めて財をなし、千両の富を得てもなお天秤棒を肩に行商に出たことから「近江の千両天秤」と言われる。
天秤棒を持つ近江日野商人
 
 
初々しいお顔。
モデルは20代か?

「大坂商人」「伊勢商人」と並ぶ日本三大商人の一つとされる「近江商人」。鎌倉末期、琵琶湖の東部「近江国(おうみのくに)」に誕生し、昭和の戦前期まで全国各地を行脚しながら商業活動を行った人たちを指す。

トヨタ、丸紅、伊藤忠、高島屋、日本生命、ワコールなど、いま日本経済の根幹をなす老舗企業の中にも、この地にルーツをもつ企業は多い。
「近江商人」の定義はこの地域出身というだけでは収まらない。本宅や本店が近江にあり、かつ他地域へ行商した商人を言い、地元だけで商売する「地商い」とは区別される。また、近江の中でも、近江八幡・日野・五個荘(ごかそう)から特に多く輩出した。
 
 
●城下町として栄えた日野
「近江日野商人」の出身地である日野は、戦国時代、蒲生氏郷(がもううじさと)が治める日野城の城下町として栄えた。とくに漆器(日野椀)、薬、鉄砲づくりは有名で、それぞれの職人町があったようだ。
氏郷は信長や秀吉に仕えた戦国武将だったが、「楽市楽座」を開設するなどして商工業の活発化にも力を注いだ。また、氏郷は戦の功績が秀吉に評価され(反対に実力を恐れて移封されたという説もある)、後に奥州会津若松92万石の大名となったが、これを契機に日野と奥州との交流が始まり、日野商人の行商活動を支える基盤になった。

後ろ姿。三度笠を持つ
 
 
●独自の商業倫理で全国に店を広げた近江日野商人
昔の風情を残す街道と
「日野まちかど感応館」
近江日野商人の特色は、大店(おおだな)ではなく、小型店の拡張が多かったことにある。
出店数では他の近江地域より群を抜いていた。「千両も貯まれば新しい店を出す」といわれ、「日野の千両店(せんりょうたな)」とも呼ばれた。とくに酒や醤油の醸造では、北関東を中心に支店・枝店を展開して店を増やしていった。このスタイルは、本店を核として全国展開する現在のチェーン店のビジネスモデルになっている。
また、近江商人の中でも、日野商人のみが会員数400名を超える商人組合「日野大当番仲間」を組織し、個々の商人が商いやすいように、さまざまな仕組みを整えていたという。
そんな中で、日野商人たちは、心学をベースとして「仁・義・礼・智の心が信用を産む」という独自の商業倫理を確立した。心学とは江戸時代に石田梅岩(ばいがん)が始めた生活哲学だ。「感謝の心をもって地味でコツコツと働く」という家訓の背景には、こんな心学の教えがある。
一方、日野商人の一人である中井源佐衛門の考案した『中井家帳合法』は、貸借対照表(バランスシート)と損益計算書を含む、現代の複式簿記にあたる画期的な決算書の構造をもっていたといわれる。源左衛門は子孫のために「倹約と勤勉と先祖崇敬こそが商いを志す者の道である」と説いた「金持商人一枚起請文」を書き残している。
このほか、八幡、五個荘と共通する近江商人の商いの理念として 「三方よし」がある。商売は自分、相手、社会全体のためにならなければならない、という考えは、300年を経た今も商売の原点として生き続けている。
 
 
●銅像を建立した日野小学校の卒業生たち
町の中心を通る街道には、白壁の土蔵や板塀の古民家にまじって、行商をしながら全国へ進出したかつての日野商人たちの本宅が残る。
歴史民俗資料館「近江日野商人館」は、旧山中兵右衛門の本宅を活用した資料館。館内には「社会奉仕の実践を・小口のお得意ほど大切に・一攫千金を狙うな・偽装をするな」など「慎み」を十カ条にまとめた山中家の家訓をはじめ、日野商人の足跡や行商の品、道中具など珍しい資料が展示されている。

「日野まちかど感応館」は、日野商人の行商の主力商品となった合薬「萬病感應丸」の創始者、正野法眼玄三の薬店で、観光協会を兼ねている。

日野小学校の校舎をバックに颯爽と立つ近江日野商人は2代目。初代銅像は昭和16年(1941)、ここの卒業生である高井兵三郎氏が、近江日野商人の商いの精神を子どもたちにも伝えたいと、自身の還暦記念に建立した。その後、太平洋戦争下の金属類回収令で一旦姿を消したが、昭和48年(1973)、大正9〜11年の卒業生有志により「卒業後半世紀記念」として再建された。

銅像の台座には建立の経緯を記した説明板があるが、風化していてきちんと読めないのが残念だ。

「近江日野商人館」
日野小学校の校舎をバックに
 
 
 
大阪駅からJR琵琶湖線と近江鉄道を乗り継ぎ、銅像に辿りつくまで3時間半。それでも近江商人のルーツを求めて町を訪ねるビジネスパースンは少なくない。近江鉄道・日野駅からは、駅前にレンタサイクルがあるのでおすすめだ。
日野街道を通ると、商売上手な近江商人のイメージとはかけ離れた、質素でひっそりとした町並に驚くが、「遠いのによう来てくれはったなぁ」と歓待してくれる町の人たちに、心学の商業倫理を大切にした近江日野商人のDNAが息づいていると感じた。
 
 
 
プロフィール
文/写真:フリーライター・池永美佐子
京都生まれ、大阪育ち。
関西大学社会学部卒業後、新聞社、編集プロダクション、広告プロダクションを経てフリー。
雑誌やスポーツ紙等に執筆。趣味は温泉めぐり。現在、恋愛小説 に初挑戦?!
 
 
 
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