大津波は、安政元年11月4日と5日(1854年12月23日と24日)に起こった。両日ともマグニチュード8.4の巨大地震で、震源地は最初が東海沖、続いて紀伊半島から四国沖だった。津波は房総半島から九州にまで押し寄せ、全半壊建物は約6万棟、流失家屋約2万棟、死者約3千人に上ったという。
卓越した見識と人望、行動力を備えた梧陵は、維新後は政界で活躍した。
明治元年(1868)紀州藩勘定奉行を経て、同4年(1871)には新政府で初代駅逓頭(現在の郵政大臣)に就任。近代的な郵便制度の創設に当たった。晩年は郷里に戻り、和歌山県議会初代議長を務めた後、民主主義を広める活動を展開した。
65歳で長年の憧れだった欧米へ出発したが、翌年の明治18年(1885)、旅先のニューヨークで没した。その死を悼んで親友の勝海舟や福沢諭吉らによって横浜で会葬が営まれた。