鑑真と並ぶ奈良時代の二大高僧として、小学校の教科書にも載っている身分の高いお坊さんなのだけど、私にはやっぱり「行基さん」の呼び名のほうがピンとくる。
舞台は奈良時代。行基は天智天皇7年(668)河内国大鳥郡(現・大阪府堺市)に誕生した。父の名は高志才智(こしさいち)、母は蜂田首虎身(はちだのおびととらみ)の娘古爾比売(こじひめ)。高志氏は、漢系渡来人、王仁(わに)の後裔、西文(かわちのふみ)氏の流れを組む家系だ。
弟子たちを引連れる行基軍団の回りには次第に人が集まった。手伝いたいと願い出る人たちが後を絶たず、体力のある者は労力を、資力のあるものは資金を提供した。行基は資金を集めて公共事業を起こす敏腕プロデューサーでもあった。
一方、民衆を惹きつける行基を恐れた朝廷は、「僧尼令」に違反するとして弾圧した。しかし、行基による墾田開発や土木工事 の成果は大きく、弾圧すると地方豪族や民衆の反発を招くことから次第に弾圧を緩めた。
天平17年(745)には、その功績が認められて朝廷より日本最初の「大僧正」の位を贈られた。行基は東大寺の「四聖」の一人に数えられる。
大仏造立は順調に進んだが、完成を前に天平勝宝元年(749)行基は81歳で没した。東大寺大仏が完成したのは、その3年後の天平勝宝4年(752)。開眼供養には、行基がインドから迎えた菩提僊那が導師を勤めた。
遺骨は生駒にある往生院で火葬され、竹林寺に奉納された。
没後、行基は朝廷から「菩薩」の称号が下され「行基菩薩」となった。