ヴォーリズが半世紀以上を過ごし、活動の拠点とした近江八幡を訪ねた。
ヴォーリズと満喜子夫妻 (ハイド記念館 展示パネルより)
寄付するではなく、自らが海外宣教をすることが大切だと思うようになったのだ。大学卒業後、働きながら海外宣教をと望む彼に対して、ニューヨークの国際YMCA本部から下りてきた就職先が、近江八幡にあるこの高校だった。
「近江八幡は自分が選んだのではなく、神が決めた地」。そう考えるヴォーリズは、近江八幡を「世界の中心」と語り、着任当事からこの地に骨をうずめる覚悟をしていた。
また、大正7年(1918)年には、八幡の北之庄に「近江療養院」を開院している。現在、ヴォーリズ記念病院という総合病院になっているが、開院当初は当時不治の病であった結核療養所(サナトリウム)だった。彼自身が幼少から腸結核で闘病したことに加え、設計事務所で働いていた遠藤観隆が肺結核で他界したことが病院開設に駆り立てた。この世の不安や悲惨と闘うヒューマニズムこそ、近江ミッションの考える使命でもあった。