郷土の三英傑に学ぶ


◆第4章◆ 郷土の三英傑に学ぶ工夫

- 秀吉 戦を土木事業に変えてしまう -

hieyoshi
司馬遼太郎氏の講演録に戦争と土木に関する話が掲載されています。

第二次世界大戦で、アメリカ軍が日本軍のたてこもっていた島を占領すると、すぐにブルドーザで整地をはじめ、飛行場を作り上げました。

作った飛行場を拠点に、別の島へ出撃して行くのを見ていた捕虜が「戦争は土木なんだ」とつぶやいたという話です。

武器や糧食を準備するためのお金、また集めた物資の的確な輸送、そのための土木事業が戦争の要になるとアメリカ軍は理解、実行していました。それにひきかえ日本軍は...という講演でしたが、はるか昔の戦国の世ではちゃんと土木で戦争しておりました。

■高松城攻め

土木を活用した戦争でもっとも有名なのが高松城の水攻めです。

1582年、秀吉は姫路を出発、毛利の支配する備中に侵入し、高松城の攻略を始めました。城主は清水宗治で、最初は調略を行いましたが拒否され、開戦となります。
高松城の三方は深々とした沼で覆われ、また一方は大堀となっており、非常に堅固な構えです。また攻めるには細い一本の道を使うしかなく、城から鉄砲で狙い撃ちされる攻めにくい城です。
大軍で力攻めは難しいと判断した秀吉は、黒田官兵衛の策を採用し、水攻めを行うことにします。

■リードタイム短縮をお金で買う

城の西に足守川が流れていることに目をつけ、近くの住民を募って土のうを運ばせることとしました。この時、秀吉は住民に土のう1俵を運べば銭百貫、米一升の破格な手間賃を支払うと伝えました。
地域に巨額のプロジェクト特需が舞い込みました。住民は昼夜兼行で土木工事に協力し、作った堤防は高さ7m、幅は底が21mで上辺は10mありました。堤防の長さは3キロに及び、わずか12日間で作り上げました。

TOC(制約条件の理論)を紹介した「ザ・ゴール」シリーズの最新刊「クリティカルチェーン」にリードタイム短縮をお金で買う手法が紹介されていますが、戦国の世に秀吉が既に実現していました。

使用した費用は銭が63万5040貫、米は6万3504石という膨大なものでした。現在の価値に換算しても100億円強という巨額です。

従来の鉄砲や刀での戦いではなく、経済と土木で戦をするという今までの武士の発想にない戦でした。まさに第二次世界大戦のアメリカ軍です。

■高松城から天下とりへ

いよいよ足守川の水を堰き止めました。梅雨が到来し城の周辺は水浸しに、やがて水位が上がり高松城は湖に浮かぶ孤城になってしまいました。

救援に来た、毛利軍も湖に浮かぶ城を前に手が出せず、結局は持久戦となります。

そこへ秀吉軍に驚くべき情報が入ってきます。秀吉が天下とりへの第一歩を進めることになる本能寺の変の知らせです。

水谷哲也
※三英傑のイラストは、原田弘和様にご提供いただきました。無断で転載することは禁止されております。

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