◆第2章◆
ここ一番の決断の時
- 課長から取締役へ 藤吉郎・金ケ崎城のしんがり決断 -
会社が明日にもつぶれるかもしれない事態になった時、あなたならどうしますか?織田家絶体絶命の危機にとった木下藤吉郎の決断を見てみましょう。
永禄十三年、信長が天下布武に動き出しました。室町十五代将軍となった足利義昭の権威を使い、まず近畿の大名に朝廷と幕府に礼参せよと触書を出しました。これを無視したのが越前の朝倉義景です。
そこで朝倉征伐軍を出すことになりました。順調に手筒山城を落とし、金ヶ崎城、疋田城と破竹の勢いで進軍していきます。この後は、木目峠を越え、明日には越前国内へなだれ込もうというとき、軍中に知らせが届きました。浅井長政が敵方についたという情報です。
信長は、最初この情報が信じられませんでした。その後、同様の注進が次々と届きます。浅井離反は事実でした。
このままでは挟み撃ちに合い全滅です。
この時に信長が思い出したのが桶狭間の戦です。何万もの今川軍が、今川義元という総大将を失うことで瓦解してしまいました。総大将である信長は何としても京都まで逃げ帰らなければなりません。逃げる時間をかせぎ、兵力を温存するため、敵をくい止めるしんがりを誰に命じるか?
信長が各将の顔を見ていくと、末席の木下藤吉郎が立ち上がりました。
「殿、しんがりは、この猿めにお命じください。」
「猿か。生きて帰れぬかもしれぬぞ。」
「もとより覚悟の上。」
「よし、しんがりはそちにまかせる。」
藤吉郎にとっても大きな賭けです。アルバイトから織田家に入り、墨俣に城を作り、稲葉山城の攻略に参加し、京都奉行を務めるところまで出世してきました。それも成果主義の織田家があってこそです。ところが今、その織田家が存亡の危機を迎えています。
この時、藤吉郎35歳。このまま織田家がつぶれてしまったら、自分の働きを認めてもらえそうな職場は他に無く、存亡の危機となった今、一番しんどいところでがんばろうという気持ちが一番強かったようです。
また、もし生きて帰れば、恩義に感じた武将からは今までのように猿、猿と見下さず、一目おいてくれるようになるはずです。
先に戦線から離脱する諸将が藤吉郎に声をかけていきます。
「藤吉郎殿。すまぬの、後を頼む。」
「藤吉郎殿。京で会おう。」
柴田勝家ら日ごろ仲が悪かった武将たちも、これが今生の別れと声をかけていきます。誰も猿とは言いませんでした。
撤退を開始した信長は駆けに駆け、朽木峠から無事に京都に入りました。
しんがりを申し出た藤吉郎はもとより死ぬ気はありません。金ヶ崎城に入り、数多くの旗指物を立て、かがり火をたき、鉄砲を打ち鳴らしながら時間をかせぎます。後は必死で追撃を振り切り、京へ命からがら逃げ帰ってきました。 この2ケ月後に姉川の合戦となり、藤吉郎は小谷城への最前線である近江の横山城を預かることになります。
ついに念願の城持ちへの出世ですが、誰もが納得しました。
水谷哲也
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