郷土の三英傑に学ぶ


◆破 章◆

- リストラにあった秀吉、アルバイトから正社員へ -

秀吉
尾張の中村に生まれた秀吉ですが15歳の時に家を出ました。
理由は継父とソリがあわなかったからです。
家を出たからには、自分の才覚で生きていかなくてはなりません。
厳しい時代でもありましたが、反面、チャンスのある戦国時代ですので、武士になるのが近道と考え、浜松に向かいます。

秀吉が生まれた尾張の織田家といえば、まだまだ中小企業で、武士を目指すのなら、やはり大企業であった今川家への仕官を考えたからです。

浜松では、今川家の幕下であった松下加兵衛に運良く仕えることができました。
まずは主君に認めてもらうのが第一ですので、骨身おしまず働きました。
最初は草履取りから始め、次第に引き上げられて蔵の管理をまかせられるまでになりました。

この蔵の品物はちょいちょい盗まれており、そこで秀吉は知恵を働かせ犬を買い、犬と共に蔵を管理したため、盗難がピタっと止まりました。
これが主君の松下加兵衛にも認められ、納戸役にまで引き立てられます。

面白くないのが古参メンバーです。
いきなり入ってきた新人が次から次へ役を任命され、しかも主君の覚えがよく、これが嫉妬を浴びることになります。

さて、それから物がなくなると、「猿が盗んだのでは無いか」といわれる始末。
朋輩のいじめが段々とエスカレートする中で、終に主君の松下加兵衛は秀吉に暇を与えることにしました。
このままでは家中の人間関係がおかしくなると判断したためです。
この時、秀吉は18歳になっていました。

失意の中で、浜松から尾張に戻りました。
尾張に戻りましたが、いつまでも家にゴロゴロしているわけにもいかず、既に信長に仕えていた幼友達の勧めで信長に仕えることになります。
織田家でも草履取りから始め、松下家と同じように骨身おしまず働きました。
違ったのは先輩や朋輩に気を配ったことです。
秀吉の性格上、どうしても目立つ行動をとってしまいます。
そこで持ち前の愛嬌をさらに生かすようにし、先輩を立てるところは立て、気を配ることにしました。
これが後に秀吉に会った人は、その快活さや笑顔、人懐っこさ、細やかな心遣いに魅了され、たちまち虜になったと伝えられる、「人たらし」秀吉となります。

松下家での失敗を見事に生かしたと言えます。
秀吉は織田家にアルバイトのような不安定な身分から入りましたが、やがて足軽頭となり、正社員へと登用されていきます。

時は流れて、小田原征伐の後、天下統一が実現しました。
秀吉は今川義元が敗北して以来、零落していたかつての主君、松下加兵衛を遠江久能城1万6千石の大名にしています。
最初の武家奉公を教えてくれた、その恩義に報いています。

水谷哲也
※三英傑のイラストは、原田弘和様にご提供いただきました。無断で転載することは禁止されております。

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