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◆第1章◆
人材登用
- ベンチャー企業社長・信長に学ぶ人材活用術 -
桶狭間で今川義元を破ることにより、織田信長は戦国という市場の一角に残ることができました。また大企業・今川を破ることにより、尾張に織田信長ありとアナウンスメント効果がありました。ですがまだまだ片田舎のベンチャー企業です。
失敗が命取りとなるベンチャー企業を成長させていくために、信長が行ったのが人材の活用です。
企業の最も重要な経営資源は人です。人材の優劣が企業の優劣を決めるのは昔も今も変わりません。そこで信長は「3つのR」を実行しました。
1.Recruiting :優秀な人材をリクルートする。
足利義昭の家来であった明智光秀の実力を見抜き、リクルートしました。そして僅か三ヶ月後には、京都奉行に抜擢しています。
軍事、徴税、経済振興、治安、行政等、京都市政全般を担当できる人材は、当時の織田家にはいませんでした。そこで外部から明智光秀という人材を調達します。他にも滝川一益、細川藤孝、堀秀政、金森長近等は外部から入り、後に戦国大名となった人材です。
2.Right Job:やる気のでる仕事を与える。
報酬という面もありますが、人材を生かすも殺すも、やはり仕事の内容です。古参の柴田勝家、丹羽長秀などはもちろん、アルバイト上がりの木下藤吉郎や途中入社の明智光秀など、身分や社歴に関係なく、次々と困難ですがやりがいのある仕事(タスク)が与えられます。
3.result:成果
そしてきっちり仕事に対する成果を問います。経済の重要性に着目し、楽市楽座など色々な施策をうった信長ですので、前例踏襲のような仕事のやり方では満足しません。
アルバイトあがりの木下藤吉郎や途中入社の明智光秀が、美濃への墨俣拠点を作る、丹波を鎮圧するなど、成果を上げれば、報酬で報いていました。毎日がストックオプションのような生活となります。そして信賞必罰も明確に行いました。古参社員といえどもだらだら仕事をしたり、成果を上げなければリストラです。
ベンチャー企業ですので、小さな失敗が命取りになります。必然的に全員が仕事の損益分岐を意識したスピード経営をしていかざるをえません。
実はこういう仕組みが、後々北陸や関東、四国と各方面軍のプロジェクトが作られた時に、大きすぎない組織で経営のノウハウを学べる基礎となりました。
つまり織田信長の元で経営が実地で学べる大学のようになっていたのですね。そして織田家の家臣団を中心に多くの人材が輩出することとなります。
水谷哲也
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※三英傑のイラストは、原田弘和様にご提供いただきました。無断で転載することは禁止されております。
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