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ほっ!とコーヒー 第12回

ほっと!コーヒー
僕たちの路地裏シアター"紙芝居"フォーエバー


駄菓子屋、最近ほとんど見なくなったね。昭和30年代も終わるころ、小学生だった僕たちは学校から帰ると真っ先に、駄菓子屋に仕入れに行ったもんだ。その日夕方まで遊ぶためのおもちゃとか、駄菓子を手に入れるためにね。
お小遣い10円のつかい道はだいたい決まっていたものさ。

週の半分くらいは紙芝居につかっていたっけ。子どもが学校から帰る時分になると、自転車の荷台に木の箱を乗っけた紙芝居のおじさんがやって来る。
開演30分くらい前から拍子木をカチカチ叩いて子どもを集めるのさ。最近あまり使わない言葉だけど、三々伍々っていうのかな、急がなくても良いのに家の中から慌ててとび出してくるやつ、恥ずかしそうに電柱の影でひっそり開演を待っている娘、通り掛かりで母親にお小遣いせびっているやつ。あの当時紙芝居は、僕たちの路地裏シアターだったんだ。
時間がゆったり漂っていた。何時までたっても始まらないで、拍子木の音だけが町中に響いていた。集まった子どもは友だち同士でじゃれあっていた。

今日の観衆がほぼ集まったとみるやおじさんは、薄っぺらい煎餅に水飴を乗せた菓子を箱の中から出し、1個10円で売りはじめる。言わば観覧チケットの代わりだね。割りばしが付いていて、それを舐め舐め、しばし紙芝居見物となる。お菓子を買えない子もたくさんいて、10メートルくらい離れてチラチラと観劇する。おじさんだって別に、そこまで離れていたなら追い払うつもりはない。なにせ天下の公道で興行しているわけだから、大きな顔はできない。
時間はほんの10分程だったかな。10枚か20枚くらいの紙芝居を大きな声で演じたら、妙にキリの悪いところでお仕舞。次にやって来てその続きを演じるのは三日後。でも子どもはほとんど内容なんかどうだって良い。何度も見て覚えてしまっていたからさ。

なにが楽しかったのかな。でも楽しかったな。
テレビが町にやって来て、やがて家の中にもやって来てから、おじさんはいつの間にか来なくなっていた。

紙芝居:昭和ひとけたの時代に大流行。戦後すぐ復活し、大ヒット作「黄金バット」はテレビでも放映される。昭和28年のテレビ放送開始を契機として、昭和30年代の終わりごろまでには徐々に街角から姿を消していった。最近では、イベント、学校などさまざまな分野で、手軽なコミュニケーションツールとして見直されるようになってきている。


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