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ほっ!とコーヒー 第9回

粉ジュースの素は、日本中の子どもの指先をオレンジ色に染めていた


日本中の子ども

おや、道を間違えたのかな。いつものビルの角で曲がったと思うけど。

へ〜、この町にもこんな下町があったんだね。道沿いはみな木造の長屋みたいだけど、そういえば子どもの頃のわが家に似てるな、この格子窓。家と家の隙間は猫の通り道になってる。

この湿った晩飯の匂い。夏休み前の夕暮れ時の匂いだ。外が暗くなっても帰らないけど、この匂いが路地に流れてくると、子どもは無性に家に帰りたくなったものだ。

子どもの頃、夏の午後は路地裏での缶ケリかメンコと相場は決まってた。そんな時、片手には何かしら駄菓子を持ってたね。

夏はなんたって粉ジュース。俺は平凡なオレンジ味が好きだったけど、メロン味とかレモン味、なかにはコーラ味なんかもあって、友達の持ってる袋にも指を突っ込んで、一日中舐めていた。

昭和33年、最初に粉末ジュースを作ったのは名糖産業。だけどワタナベのジュースの素がベタベタしないので、よく売れてた。でっかい缶入りの粉末ジュースのお中元をもらったこともあったな。

「ホホイのホイ」だっけ、あのCMソング、エノケン(*1)が歌ってたって、今の人たちは知らないだろうな。だいたいエノケンを知らないもんね。

粉末ジュースも、昭和44年のチクロ騒ぎで人工甘味料が話題になり、あっという間にお菓子屋から姿を消してしまった。今でも同じようなのを売ってる、って聞いたことがあるけど。

おや、焼き鳥の良い匂いがしてきた。大人になったらやっぱりこれに限る。ちょっと寄り道していくかな。

(*1) エノケン
榎本健一(1904-1970)。昭和の喜劇王と呼ばれる。昭和7年、浅草にエノケン一座を結成し、以後、舞台で繰り広げる軽妙な歌と踊りで一世を風靡した。

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