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ほっ!とコーヒー 第20回

帰らざる日々


「この書類、5部ばかりコピーとってきて。それと昨日の会議資料、修正してプリント出力しておいてくれた?え、まだ?すぐにやっておいてって言ったじゃない。しょうがないな」

ほんと、最近の若いやつは仕事の段取りがなってなくて、かなわんよ。会議資料なんか、会議が終わったらその日のうちに修正して持ってくるのが当たり前じゃないか。ちょっとコピー頼めば、つまらなそうな顔でふくれるし。面倒くさいからイヤなのか、簡単過ぎてイヤなのか、どっちなんだろうね。

だいたいコピーなんていう便利なもんは、若い時分には見たことさえなかった。会社で配付する資料は、みんながり版刷りだったもんね。

「あ、できた?どれ・・・何これ、第一営業課の月販達成会議じゃなくて・・・。そうそう、地区担当部署の年度決算会議。しっかりしてくれよ。紙が無駄だろ」

どうすんのよ、こんなキレイな紙なのにバンバン湯水のごとく使っちゃって、もう。
そう言えば、がり版に使ったのはザラ紙だったな、たしか、わら半紙だった。今で言えば上質紙なんだけど、もっとザラザラしてて、和紙みたいに繊維が見えてたもんね。

学校ではがり版刷りの試験用紙や教材が当たり前だった。教科書のほかに、算数テストや漢字テストなんかが毎日あって、先生がいつも前日の夕方、印刷室でせっせとがり版刷ってた。よく先生が字を間違えて刷ったもんだから、直すに直せず、黒板に正誤表書いていたね。
理科の先生は教科書をほとんど使わないという信念にあふれていて、子どもながらその意気に感じたものだったけど、なんせ絵が下手くそなのが玉にキズ。じゃがいもと石ころの区別がつかないものだから、教材にもならない。

中学校の時の学校新聞もがり版刷りだった。オイラその時、新聞部員だったからね。当時のテレビ番組で“事件記者”ってのがあって、新聞記者が難事件を取材しながら解決していく姿にちょっと憧れて、メモ帳片手に、取材のまね事をしたもんだ。取材は楽しいんだけどね、その後の印刷がもう大変。印刷室に新聞部員数人が集まって、鉄筆と鉄板で原紙に原稿を書き写すんだけど、正直むつかしいのよこれが。オイラは普段から筆圧が高かったんで、つい力が入りすぎて蝋引きの原紙を破くこと、しばしばだった。そうすると字はさることながら、横顔が抜群に綺麗な副部長が「もう、貸して」って鉄筆を取りあげると、カリカリ、カリカリ、見事に原紙を仕上げていく。一心に原紙を見つめるその、なんと言うか、その・・・。いけねえ、思い出にふけっちゃったよ。

コピーやらプリンタやら便利にはなったけどさ、この時代は、一心さと言うか一途さと言うか、苦労して何かを作り上げる心根が消えちゃったんじゃないか。インクまみれの狭い印刷室で、可愛い副部長と片寄せ合って・・・。あの真剣な眼差し、インクで汚れた指先。副部長、今どうしてるかな、きっと綺麗な奥様になっているんだろうね。

「何、できたって?いや綺麗にできたね、実に・・・イラストまで入っちゃって、って。これオイラの似顔絵じゃないか。会議資料にこんなおちゃらけの漫画、誰が描いたのよ。ナニ?オイラがニヤケテたから、その横顔を描いたって?くだらないところばっかり器用なんだから」


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