技術の歴史は「標準化」の歴史でもあります。各社がそれぞれ独自の規格で製品をつくっていても、事実上の標準といえるような製品が現れると、それと互換性をもたせようという動きがわき起こってくるのです。コンピュータについてもそれは例外ではなく、富士通は重大な局面に立たされることになります。
1970年代に至るまで、各コンピュータメーカーは独自路線でマシンを作っていたため、特定のメーカーが作ったハードウェアの上では、他社製のアプリケーション・ソフトウェアは動きませんでした。
そんな中、爆発的な勢力を誇り、事実上の国際標準となりつつあったのがIBM製のマシンです。つまり、このマシンとアプリケーション・ソフトウェアを共有できる互換性のあるマシンを作れば、より多くのユーザーを獲得できる可能性がありました。しかし、このIBM製のマシンと互換性のあるマシンを作ったメーカーの大半は、逆に自社ユーザーを取られ、消えてゆきました。
このような状況下、富士通は「国際標準の土俵で競争相手を上回る製品を作るしか道はない」と判断し、思い切った戦略の転換を行います。まず、コンピュータの貿易自由化が迫る中、IBM互換のアーキテクチャ(設計思想)を共有する条件で日立製作所と提携しました。
また、IBMで「360シリーズ」の設計を担ったアムダール博士が独立し、「アムダール社」を設立した際には富士通が出資し〔注:1997年には100%子会社化〕、共同でIBM互換機の開発を進めました。そして、アムダール社ブランドの商用1号機「470V/6」を富士通川崎工場で製造します。審査が非常に厳しいことで有名なアメリカのNASA(アメリカ国立航空宇宙局)に同機が採用されたのは、その翌年のことでした。
さらに、アムダール社との共同開発とは別に、富士通社内でもIBM互換機の開発を進め、従来の富士通マシンユーザーがIBM互換機にスムーズに乗り換えられるよう配慮した「FACOM Mシリーズ」は大成功を収めました。