富士通は「FACOM100」によってコンピュータの開発に成功したものの、まだ事業として打ち出せるようなレベルではありませんでした。そんな中、五代目社長の岡田完二郎が大きな決断を下します。写真は岡田が掲げた理念のひとつ「限りなき発展」です。このような力強いスローガンのもと、岡田は次々と改革を行ってゆきました。
コンピュータの開発は、巨額の先行投資を必要とする「冒険」でした。これを支えたのが1959年に社長に就任した岡田完二郎です。「いずれ通信とコンピュータは一体になる」。岡田はこう喝破し、コンピュータ開発によって経営が傾かないようにするために、通信機器を扱う「通信工業部(通信部門)」と電算機などを扱う「電子工業部(コンピュータ部門)」とを別々の事業部門として独立させました。
また1962年の年頭の辞では「コンピュータに社運を賭ける」と明言し、「通信と電子の富士通(Communications & Electronics)」という新しい経営方針を打ち出します。ちなみに当時の売上高比率を見ると、通信部門が80%、コンピュータ部門はわずか10%にも満たない状況でしたが、これらの決断は会社にとって大きな転機となりました。
そんな中、この冒険を支えた通信部門は主流交換機の転換で後れをとりましたが、技術力を高めて高品質を取り戻し、海底同軸ケーブル方式の開発やデジタル技術を全面的にとりいれた伝送方式の研究・実用化などで収益を伸ばしていきます。電算機部門もFACOMブランドのコンピュータを次々と世に送り出しました。ひとつの頂点は、1968年発表の「FACOM230-60」です。世界初の2CPUのマルチプロセッサとICの全面採用、新方式によるOSなど画期的な工夫がなされ、多くのユーザーから高い評価を受けて大ベストセラー機となりました。
1968年は、第一銀行(現在のみずほ銀行)にオンライン預金システムを納入した記念すべき年でもありました。日本経済の動脈に関わるこの商談は、コンピュータ事業における飛躍を決定的なものにし、富士通は国内トップのコンピュータメーカーになっていきました。
また、通信機器やコンピュータに用いられる半導体でも独自の技術開発が行われ、当初は社内向けのみの供給だったものを国内他社、海外へと外販し始めました。すべては「コンピュータに社運を賭ける」という岡田の宣言から、わずか10年足らずの間の出来事でした。