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山形県内の足跡

東北の旅シリーズ   奥の細道編

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山形県 最上川

7月19日(旧暦6月3日)、新庄から7キロ程離れた本合海から乗船しています。
現在は『乗船の地』の標と句碑が最上川に面した高台にありました。今も舟下りは行われていますが、完全に観光化されています。
今の舟下りの乗船場は古口にありますが、当時、古口には新庄藩の船番所が置かれていました。
本合海から乗船した芭蕉一行は、清川で上陸しています。
現在、清川の関跡には清川小学校が建っていました。一角に芭蕉像と句碑がありました。

「乗船の地」

当時の本合海は、主に旅人や商い荷物の発着港として利用されていましたが、料金を払えば簡単に乗船できるような制度ではなかったようで、芭蕉一行は、風流(甚兵衛)や高野一栄(平右衛門)が書いてくれた添状のお蔭で ようやく乗船できたようです。


「戸沢藩船番所跡」

一里半下って到着した古口(戸沢村)は、当時最上川舟運の船着場として栄え、新庄藩は、庄内藩との境目に近い当地に関所を置き、通行の取り締まりを行いました。
芭蕉と曽良は、城下で受け取った出手形(通行手形)を差し出すために、 ここで一旦上陸しました。


「清川の関跡」

小学校の一角に、芭蕉像や「芭蕉上陸之地」の石碑、「五月雨を」句碑などが建ち、清川が芭蕉および「おくのほそ道」ゆかりの地であることを顕彰しています。
句碑は昭和31年(1956)の建立で、芭蕉像と石碑の方は、「松尾芭蕉像建立委員会」の呼びかけで集った募金などをもとに、平成2年(1990年)に建立されたものだそうです。



【参考文献 JTB「奥の細道を旅する」】
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