福島県内の足跡

福島県 白河市
白河の関
関明神に参拝した芭蕉らは旗宿に一泊した後、白河の関を訪れている。
関明神から白河の関までは車で15分位である。
「白河の関」は、「勿来の関」と「念珠ケ関」と共に奥州三関と呼ばれている。
白河の関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻みまた文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。 関の位置については久しく不明であったが、江戸時代中期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると推定され、
寛政12年(1800年)に「古関跡」の碑が建てられ、今日に至っている。関が置かれた年代については不明であるが、 承知2年(1835年)、延暦18年(799年)の太政官符には「白河関」の名が認められることや歴史的な背景からみて、 大化の改新以後7、8世紀頃には存在していたものと考えられる。また、廃絶も明確ではないが12、3世紀頃と考えられている。
昭和34年から38年までに実施された発掘調査では、竪穴住居跡等の古代から中世にいたる遺構が発見され、 縄文土器、土師器・須恵器・鉄製品などの遺物が出土している。白河の関の全体像についてはまだ未解明な点もあるが、 現在も奥州三関の一つとして多くの人々に親しまれ、歴史のひとこまに触れることができる場となっている。

古関の碑
白河藩主松平定信が寛政12年8月、ここが白河の関跡であることを確認して建立した碑である。

古歌碑
関跡の中には白河神社があり、本殿の脇には古歌碑が建っている。

芭蕉と曾良の像
村上帝の御代(946年966年)平兼盛が、奥州下向の時、この関を過ぎ「便りあらばいかで都へつけやらむ、今日白川の関こえぬと」と 歌によせて都しのんでいる。白河の地名は「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という 能因法師の歌で広く世人に親しまれている。能因法師は若くして和歌を藤原長能に学び、また漢文学にも精通し、 30才の頂出家して諸国行脚し、至る処で和歌を詠じ、その和歌は鋭く透徹したものが多い。平安時代で、 後冷泉天皇の永承年間60余才で没した。源頼朝も文治5年(1189年)、奥州征伐の折りにここを過ぎ、 白河神社に奉幣しているが、その時梶原景季の一首をものして「秋風に草木の露をはらわせて君がこゆれば 関守もなしと詠じて、頼朝の感賞に預かったという。
【参考文献 JTB「奥の細道を旅する」】
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