富士通総研

「実学」3題

富士通総研経済研究所 研究顧問(情報セキュリティ大学院大学 教授( 4月1日から同学長就任))
林 紘一郎

2009年4月

はじめに

私どもの大学院は、「実学」を旨としており、世間でもその言葉を何気なく使っているが、本当のところ、それは何を意味するのだろうか?

ここでは、学問的(あるいは訓詁学的)論議をするつもりはない。仮の定義が必要なら、「空理・空論ではない、実践の学」(『広辞苑』の第一の定義)とでも考えて、前に進もう。空理を避けるため、以下では具体的な事例を中心に、一緒に考えていただきたい。

労働法とそのゼミの効用

私は法学部の出身で、ゼミは必修ではなかったが、興味があって3つほどに参加した。そのうちの1つに、「4年生用のゼミなので3年生には単位はやらないよ」と言われつつ自主参加した、石川吉右衛門教授の「労働法ゼミ」があった。

その年は「不当労働行為」をテーマにし、毎回外部講師を招くという、当時としては全く異例の運営をしていた。企業の労務担当や、労使双方の弁護士、組合の幹部から社会運動家まで、全員は思い出せないがバラエティに富む講師陣によるレクチャーだった。ハーバード・ロー・スクール帰り(染まり)と言われた教授肝いりの、純アメリカ方式だったのだろう。

中でも、ゼミに太田薫氏を呼んだのには驚いた。当時「昔陸軍、今総評」という異名を取りつつあった、その総評の議長であり、当時の社会情勢からして大学のゼミに来るなどは、大方の人の「想定外」であった。なにせ1961年のこと、60年安保のほとぼり、未だ覚めやらぬ時期である(若い読者には、この雰囲気は分からないかも知れない。「インターネット法」の講義に、「ひろゆきさん」を呼ぶとでも言えば良いのだろうか?)。

さしもの石川教授も、この時ばかりは独断専行はまずいと思ったようで、教授会に諮ることとされた。その結果は、「1ゼミで独占するよりも、法学部全体で聞くのが望ましい」との決定になって、ゼミ生は「独占的利益」を放出させられた。

その後私は、縁あって電電公社に入社し、2年目の1964年暮れには人事係長の部下として、表彰と懲戒を担当していた。この担当は、通常は表彰に重きがあり、官庁に準じて叙勲の候補者を推薦するのがルーチンという平和な職場で、懲戒が繁忙を極めるような先例はなかった。

ところが12月に赴任した直後に、総評の有力組合の1つである全電通(現在のNTT労組)が、東京市外局で抜き打ちストを打つなど、不穏な情勢となった。当時はストが法律的に禁止されていたので、これは公社の懲戒事由に該当し、免職などの措置が必要になった。忘れもしないクリスマス・イブの日に徹夜をして、組合幹部10名強の免職等の辞令と30日分の平均賃金の支払い準備、辞令の受け取りを拒否された場合の「内容証明」による送達準備、同じく賃金の供託準備などをする羽目になった。

この際、労働法の講義とこのゼミは、役に立ったのだろうか? 大いに役に立ったとも言えるし、ほとんど役立たなかったとも言える。役に立った面からいえば、わずか数名で上記の作業を一晩で仕上げた訳だから、基礎知識に欠けていたら、どこかでとんでもない間違いを起こしたかも知れなかった。例えば、即時解雇の場合には原則として30日分の平均賃金を支払わねばならないが、この知識は労働法を習っていれば、当然知り得るものであった。

しかし、このケースでは教科書的な知識だけでは役立たない面もあった。というのも、対象となる組合幹部は、既に長期間にわたって組合専従者として活動していて、電電公社員の身分は有するものの、公社から給与を受け取ってはいなかったからである。そこで、平均賃金の算出をどうするかが問題になった。やむを得ず、専従者とならず引き続き社員であったとすれば、どのような賃金水準になっていたかを推計し、その上で2割増しとした。法の趣旨からして、多目に支払うことがリスクを減らすと考えたからであった。こんなことは教科書に書いてあるはずもなく、「現場の知恵」に属する。

同様に、内容証明郵便や供託の趣旨は、法学部出身者なら概念的には理解できる。しかし、その実務となると経験できるチャンスはほとんどないが、私は得がたい経験をした。何せ暮れの超繁忙期に、手間隙のかかる内容証明郵便を多数持ち込んだため、東京中央郵便局の事務室内部に入って、職員を助けることができたのである(中央郵便局からすれば、当該職員は職務規律に違反したことになるが、今日では当然時効である)。

一橋的実学

時は過ぎ、私のサラリーマン生活も年期が入った頃に、電電公社の民営化という大イベントに遭遇することができた。私は計画局総括課長という恐ろしい職務を命ぜられ、公社を「総括」(赤軍派の用語では「死」を意味していた)して、民間企業としてのNTTを生み出す役割の一端を担った。

このような大事業を遂行するには、内部の知恵だけでは足りないどころか、大間違いをする恐れもある。そこで私は、努めて外部の方々との接点を開拓することにした。その範囲は、政治家やジャーナリスト、官庁や産業界のリーダー、組合幹部等々の広がりがあった。しかし従来最も疎遠だったのが、意外にも学者グループで、私がお付き合いを開始した方も多い。

中でも今井賢一教授には、思い出がある。ある会合で、「経営の意思決定において、最も重要な要素は何か」という議論が始まった。名だたる経営学者・経済学者が揃っているので、どんな高尚な理論が飛び出すかと思ったら、今井先生の一言は、「それは締め切りでしょう」という意外な(そして平凡な)ものだった。

これは仕事をしたことがある人なら、誰でも実感していることであろう。締め切り間際にならないと進捗がはかばかしくなかったり、間際になってから良いアイディアが浮かんだりすることは日常のことである。つまり今井先生はビジネスマンではないが、ことの本質を言い当てている。「この人なら話が合いそうだ」と直感し、厚かましくもその後交流を深めることができた。民営化の直後から一橋で、「情報通信産業論」という講義を持たせていただき、それが『ネットワーキングの経済学』を書くきっかけになり、やがて学者に転向する基礎になった。

ところが、しばらくして、この今井発言には実証の裏付けがあることが分かって、びっくりした。日本の自動車産業の強みの一つとして、デザイン部門と製造部門が頻繁に情報交換していることは広く知られている。しかし、それだけでは強みにならないところ、両者の間には「締め切りをいかに設定するか」というノウハウがあって、それが比較優位をもたらしている、という仮説を検証中だったのである。

つまり、私が単なる「思い付き」や「ひらめき」で発言されたと思っていたことも、実は地道な実証研究を背景に言われたことだった。実学とは飽くまでも「学」の一種であり、学問的背景なしの「現場の知恵」にとどまっていては、学問にならないことを痛感した次第であった。

慶応的実学

学者に転向した私が最初に職を得た慶應義塾も、「実学」を旨とした教育機関である。塾の創設者の福澤諭吉が、「実学」の必要性を説いたことは広く知られており、今日でもその雰囲気は残っている。「福澤学」が成り立つほどだから、「実学」について論じた書物もかなりあるが、私が読んだ限りで最も秀逸なのは、藤原銀次郎(藤原工大=慶應義塾大学理工学部の前身の創設者)の『福澤諭吉 人生の言葉』(実業之日本社、2008年。なお旧版の『福澤先生の言葉』は1955年刊)であろう。そのエキスの部分を、少し長くなるが引用する。

「私は明治22年にここ(慶應義塾)を卒業いたしまして、新聞記者(松江日報)になった。それから新聞の社長になった。その後またいろいろの仕事をしましたが、一番困ったのは勘定が分からないということです。それで福澤先生がお書きになった書物を拝見し直して、どうもここが先生のおっしゃられたところなのだろうと、次から次へと重要な点を発見したが、学生の時代から実はそういうことを少しも勉強しておらなかったので非常に困ってしまった。学業をなまけていたテキ面のむくいがつくづく思い知らされたわけです。

それから新聞屋をやめて三井銀行に入社した。ところが、間もなく大津の三井支店に支店長代理としてやられたのです。そのときに何が一番大切かというと、やはり物の勘定をするということだった。銀行でしたから札の勘定が一番最初の仕事であった。ところが私、それが一番の下手ときていたから非常に困った。また支店長が不在の時には、千円とか、二千円、大きくなると一万円、そんな手形を持って来たのを割引してやらねばならぬ。

そうすると、その時分、ただ一枚の紙に書いた一万円の手形に、一万円の金を渡してやることになる。それが非常に恐ろしくなって、しまいには、手形の伝票に判を押す私の手がブルブル震えてみんなに笑われたことがある。数学の修練を積んでいなかった私の銀行勤めにはそんなことがあったのです。

ここで私が、みなさんに特に申し上げておきたいことは、学校で教わることは、好き嫌いや、得手不得手で怠けられることなしに、何でもトクとよく勉強しておかれるがよいということです。嫌いだと思うこと、不得手だと考えられることこそ、一層身を入れて十分自分のものにしておかれることであります。金勘定に思わず手が震えたということなどは、私が生来気の小さいセイもあったのでしょうが、福澤先生のお示しを軽くみてしまって、今日でいう簿記、その頃の「帳合之法」というのを怠けたために、数字いじりが不得手の上にも不得手になり、物の勘定が下手な上にも下手になって、銀行屋さんになっても、その後のいろいろな職場についても、非常に困りもし、損をしたのであります。」(同書p.153-154)

この件は、私の実体験にも合致している。私は30代の前半を、予算を担当する主計課というところで過ごしたが、その直前まで現在のNTTデータの前身になる部門で、SEとして働いていたので、経理の知識は皆無と言ってよかった。転勤して最初に戸惑ったのが、数字を3桁ごとに区切って扱う方法で、「万円・億円という方がよっぽど分かりやすいのに」とぼやいたものである。

ところが次第にこの方法に慣れてくると、その合理性に気がつくようになった。その経験は、アメリカ生活においてとりわけ役に立った。ご承知のとおり英語が母国語でない人は、thousand?million?billionという単位が即座に理解できず、特に母国通貨に換算した値をすぐに頭に浮かべることが難しい(ちなみに、hundred thousand dollarが邦貨でいくらかを言ってみてほしい)。

これは学問分野でも役に立つ、というよりも基本的知識のはずである。ところが、このことをわきまえていない研究者が、いかに多いかには驚かされる。例えば、人口にせよ、売上高にせよ、「万人、万円」という単位で図表を作る人がいるが、「万」という単位に特別の意味がある場合は別にして、世間常識を知っている読者には読みにくくて仕方がない。

こうした「インテリの常識」を実学として重用することが、福澤の意図した「実学」であるかどうかは、分からない。なにせ「science」(福澤流表記では、サイアンス)も「実学」に含めた人の意見であり、その含意はもっと深いところにも及んでいると思われる。

まとめ

確かに「商学部を出ても簿記が分からない」「情報工学を修めたがソフトウエアの作り方が分からない」といった状況が、実学の趣旨に合致しないことは明らかであろう。しかし「簿記は完璧にできるが、財務諸表を見ても経営上の問題点が分からない」とか、「プログラムはうまいが、プロジェクト管理はできない」といった人に、本当の「実学力」があるとも言えまい。

平凡なようだが、「実学は実でもあり学でもある」ところに、その本質と困難(場合によっては面白さ)があるようだ。

全文はPDFファイルをご参照ください。

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