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社会保障を巡る議論で忘れられがちな論点
-社会保障は「保険」である-

研究員 河野 敏鑑

2009年4月

年金記録問題や後期高齢者医療制度(長寿医療制度)、社会保険庁のあり方など、昨今は、社会保障制度が大きな論点としてマスコミや国会で取り上げられることが多い。国会で与野党が対立し、選挙が近くなるたびに“税方式”と“保険料方式”のどちらがよいのか、制度の一元化をどう考えるのかといった議論が生まれ、新聞報道などでは、財政的に維持可能なのか、保険料率や消費税率はどうなるのか、個々人の負担はどうなるのか、どのような属性の人が得をし、あるいは損をするのか、といった視点から制度の選択が論じられることが多い。しかし、制度の評価を行う際に、ともすれば、忘れられがちな視点がある。それは、「社会保障は保険である」ということである。公的年金をはじめとする社会保障制度の多くにおいて、「被保険者」という表現を使うのは、まさに保険の原理を用いているからである。

保険者が民間であろうと政府のような公的機関であろうと、保険である以上、あらかじめ保険料を集めて基金を設け、所定の保険事故が発生したときにのみ、被保険者は基金から支払いを受けることとなる。また、保険事故の発生確率をあらかじめ予測した上で、保険料(日本の場合は国庫などの負担も)と保険金が決定される。実際の確率と予測された確率は一致するとは限らないが、被保険者数が多くなれば、大数の法則によって、両方の値(確率)の違いは小さくなることが予想される。

保険の原理を用いている以上、保険事故が発生しない限り、保険金(年金)は支給されない。したがって、民間保険において、交通事故にも火災にも巻き込まれなかった大勢の幸せな人が保険金をもらえないのと同様に、社会保障制度においても保険事故の発生しない人には、保険金(年金)は下りないはずである。つまり、通常の貯蓄のように、支払った分とその運用結果がすべて受け取れるわけではない。

よって、事後的に見て、社会保障制度と通常の貯蓄を比べれば、健康な生活を送り、平均的な余命で亡くなる夫婦といった、“モデルケース”に出てくる人にとっては、通常の貯蓄の方が有利に見えるのは、当然の理屈である。逆に、夫が早く亡くなったり、要介護状態が長く続いたり、障害を負ったりといった、不幸にして保険事故に巻き込まれた、平均的でない人生を送ることになった人にとっては、通常の貯蓄に比べて、社会保障制度の期待収益率は、事後的に見れば、高くなるはずである。

つまり、平均的な人生を送った人が支払った金額以上もらえるのか、あるいは、通常の貯蓄より有利になるのかどうかを制度の評価基準に据えるのはミスリーディングである。そもそも保険とは、平均的でない事態に備えるものである。計算をするのなら、障害を負う確率や、本人や家族の死亡率・発症率を求めた上で、それに伴って、収入・所得がどのように変わるのか、確率分布を求め、社会保障制度によってどのように変化するのかを計算するべきである。その結果、算出されるリスク(分散)の低下こそ、公的年金制度による社会的なメリットである。

一方、社会保障制度の存在は、社会的なコストを生んでいる。まず、保険料の徴収が、人々の行動を変化させることによってコストが生じている。代表的な例としては、パートやアルバイトが、保険料負担を避けるため、あえて、収入を一定金額(例えば、130万円)以下になるように労働を抑制するといった行動が挙げられる。これによって、労働供給が減少するという社会的なコストが生じている。

第二に、保険金(年金)の支払いの際に、人々の行動を完全に監視できないため、保険事故の発生確率自体を変えるような行動を取るというコストが生じている。例えば、公的年金は所得を得る能力の低下を保険事故として設計されている。ただし、個々人が所得を得る能力が低下しているのか否かは、死亡などの場合を除いて、第三者が個別客観的に判断するのは極めて難しい。そこで、老齢・障害・死亡の3つを保険事故とし、実際の所得とあわせて保険事故が生じたか否かを判断している。そのため、高齢者が早期退職し、実際の所得を低くとどめ、保険事故を意図的に生じさせるというインセンティブが発生する。これが、モラルハザードと呼ばれる現象で、労働力が減少するといった社会的なコストを発生させている。

ここ数年、社会保障制度の「改革」が繰り返されているが、国民の不満は一向に解消していないように見える。財政面での対応に終始し、制度によってヘッジされるリスクの減少というメリットと、人々の行動が変わることによって生じるコストをどのように考えるのか、という人々のインセンティブを踏まえた制度の選択肢(メニュー)をそもそも有権者の前に提示してこなかったことが、本質的な解決に至らない理由の一つではないだろうか。

これまで、社会保障制度の議論では、財政的な側面やマクロ的な観点が強調され、本稿で述べたようなミクロ経済学的な、インセンティブに関する観点は、ややもすればこれまで軽視されてきた。確かに財政的な裏づけのない政策はありえないが、収支をあわせること自体は、社会保障制度にとって制約条件にすぎず、最終目標ではない。単に支払った金額が社会的な負担となり、受け取った金額が社会的な受益となるかのような議論の進め方は、多くの人に社会保障制度の本質を誤解させることにつながりかねない。

本稿で示したような視点は私のみならず、多くの研究者が共有していると思うが、専門的過ぎるのであろうか、なかなか取り上げられることは少ないように思われる。こうした視点も踏まえた議論が展開されるように、議論のたたき台や場を作ることが、政治的な思惑を超えた解決策を生み出すことにつながると考えられる。また、マスメディアやシンクタンクに対しては、今後こうした議論のたたき台や場を作ることが求められていくものと考えられる。

全文はPDFファイルをご参照ください。

PDF 社会保障を巡る議論で忘れられがちな論点
-社会保障は「保険」である-
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