社会の価値観の変異と家庭教育の崩壊
上席主席研究員 柯 隆
2007年4月
中国の「改革・開放」政策が経済成長に偏重し、格差の拡大を放置してきた。その結果、成長はしているが、国民の不満が増幅する一方である。不思議なことにかつての貧しくて平等な社会に逆戻りするのが嫌だが、現状については満足もしていない。その結果、中国社会は経済の高成長とともに、不安定化しているのである。
実は、安定した社会を構築するには、絶対的な経済成長ではなく、社会構成員のすべてにとって公正でなければならないのである。ジョン・ロールズは社会の公正(justice as fairness)を合理的なもの(the reasonable)と理性的なもの(the rational)に区別する必要があると指摘する(「正義論」)。ヘーゲルは存在するものがすべて合理的であると述べている。しかし、合理的なものは必ずしも理性的なものとは限らない。
身分判断の価値基準の変化
計画経済では、金銭的な力は社会のなかで最重要な要因ではなかった。重要なのは人々の社会における位置づけ、すなわち、「身分」である。例えば、個人経営者よりも国有企業の労働者のほうが身分的に有利だった。計画経済から市場経済への移行によって、社会契約、すなわち、社会の秩序が大きく変化し、金銭的な価値観が社会の種々の活動を凌駕するようになった。人々の身分を判断する材料は、どのような企業に勤めるかではなく、(1)どのような仕事をしているのか、(2)町のどのエリアに住んでいるのか、(3)家が借家なのか、マイホームなのか、が身分判断の新たな尺度になっている。
中国には、インドのカーストのような身分制がないが、社会の価値観が変化することによって、所得格差の拡大に伴い、「身分」に見合った処遇がされるようになった。
計画経済の社会と市場経済の社会を比較すると、一つだけ共通した点がある。すなわち、いずれも知識を軽蔑することである。計画経済はその人の背後にある権力がものをいう。市場経済はその人の持つ財産と資金力がものをいう。ド・トクヴィルの言葉を援用すれば、「金銭が権力の源泉となる国では、人間の重要性は所有する富の多寡に比例する。」(「旧体制と大革命」)
日本では、学校のいじめ問題が騒がれているが、中国では、子供同士のけんかにおいて金持ちの家の子が貧しい家の子に対して、「(僕の)話を聞かなかったら、おやじに頼んで、お前のおやじを買っちゃうぞ」と暴言を放した、という事件が起きている。すなわち、子供の間でお金が万能であるということになっているようだ。
バートランド・ラッセルは「子供に完全な自由を与えるべきではない。若者に、大人になってから社会に順応できるように、若いころに彼がこの宇宙の中心ではないことを認識させるべき」という。祖父が2期に亘ってイギリスの首相を務めたラッセル氏は、若いころ食後のデザートが2種類出されても、1種類しか選べないという厳格な家庭教育を受けていた。恐らく日本も中国も急速に豊かになったから、親が子供に対する理性的な心情、すなわち、平常心を失ったのではなかろうか。子供に自らが経験した苦労をさせたくない、という親心は分かるのだが、ラッセルがいう順応性を育成するために、苦労させなければならないのである。
物質的な豊かさと精神的な豊か
思想史においてプラトンによって精神的な世界と物質的な世界を区別されるようになった。戦後の日本と「改革・開放」政策以降の中国はいずれも経済発展によって物質的な面で満足するようになっているが、精神面の豊かさは実現されていない。成人病をもたらす飽飲飽食は見た目では単なる食欲の放縦によるもののようにみえるのかもしれないが、実は、精神力の脆弱さを背景とする自律神経の乱れが一番の原因である。途上国では、金持ちが太るのに対して、先進国では、貧しいヒトが太る。その背景に物質の誘惑に対する精神力の強弱の相違がある。
計画経済はすべての中国人を極度の貧困に陥れた。現在の60代の中国人のほとんどはかぼちゃやキャベツをみるのも嫌という。なぜならば、1960年代の初期に飢饉が発生し、食べ物がない時代なので、嫌なほどかぼちゃとキャベツを食べた。また、食料不足により、80年代の半ばまで食料配給チケットが配布され、職種によって毎月配布される食料の量が異なる。新鮮な野菜や肉を買うために、早朝3時や4時に起きて並ばないと、買えない時代だった。
80年代からの経済の自由化によって豊かになろうとする中国人の欲望は一気に芽生えた。これは中国経済が発展する原動力であると同時に、社会の活気そのものである。一方、70年代後半、「改革・開放」政策の直前に一人っ子政策が実施され、現在、30代以下の世代はほとんど自己中心の傾向が強い一人っ子である。もやしのように大切に育てられた一人っ子は社会の価値観の急変によって進むべき方向性を失ったのである。
ミクロ的には、親が一人っ子のために最善を尽くし最高の学校教育を用意しようとしている。しかし、学校教育よりも大切なのが家庭教育であることを忘れてはならない。家庭のなかでのコミュニケーションが重要だし、適度な緊張感と規律を保つことが不可欠である。一人っ子の家庭をみると、親と双方の両親の計6人の大人は1人の子供に「栄養」を与えている。必要以上に「栄養」を与えた結果、肉体的には肥満になり、精神的には脆弱になっている。勉強はできるかもしれないが、社会のストレスに耐え切れず、自殺する少年が増えている。
他方、マクロ的に、市場経済化が「金銭万能主義」という大きな流れを作り出しているなかで、個々人はそれに追随するだけになっているのでは、悲劇が起きる。皆に追随することが合理的(reasonable)かもしれないが、重要なのは理性的(rational)かどうかを冷静に考えることである。
皮肉なことに、日本と中国は経済の発展段階が異なるが、直面している社会問題はあまりにもよく似ている。この先、同床異夢ではなく、呉越同舟の関係において互いに協力して共通した問題を解決していくことが期待される。
全文はPDFファイルをご参照ください。
PDF 社会の価値観の変異と家庭教育の崩壊 [171KB]
