人口減少経済における金融政策運営
客員研究員(一橋大学教授)
渡辺 努
2005年10月
本文
少子高齢化に伴って政府は様々な対応を迫られている。年金や医療保険改革に象徴されるようにその多くは財政面の政策課題であるが、すべてがカネの問題かというと決してそうではない。少子高齢化に伴って経済の作動の仕方に大きな変化が生じるのだから、それに合わせて政府の行動パターンを変える必要が様々な局面で生じることは想像に難くない。以下では、金融政策に焦点を絞り、少子高齢化の進展がその運営に及ぼす影響について考察してみよう。 ところで、人口動態が超長期的な現象であるのに対して、中央銀行が行う金利や貨幣供給量の調整は数年単位の比較的短い期間の出来事である。したがって、両者は別次元の問題であり、少子高齢化が金融政策運営に及ぼす影響はさほど大きくないように見えるかもしれない。しかしそうした認識は必ずしも正しくない。少子高齢化は金融政策の運営に重要な影響を及ぼすのである。
この点は次のように考えれば明らかである。まず、金融政策とは、単純化して言えば、名目利子率を操作することによって物価上昇率をゼロにしようとする中央銀行の行動である。この名目利子率と物価上昇率の間には、大雑把に言って、「名目利子率=実質利子率+物価上昇率」という関係が存在する。いま中央銀行が「物価上昇率=ゼロ」を政策目標として掲げているとすると、中央銀行は「名目利子率=実質利子率」という状態を維持するように名目利子率を調整する。
ここで問題になるのが実質利子率である。これは、今日の財と明日の財の交換比率であり、資本の限界生産力とも密接に関係している。少子高齢化はこの実質利子率に重要な影響を及ぼすのである。すなわち、少子高齢化によって労働人口が減少すると、資本に比べて労働が稀少になる。逆に言えば資本は労働との比較で潤沢に存在するので、資本・労働比率が上昇し、資本の限界生産力は低下する。このため少子高齢化経済では実質利子率は低くなる。
少子高齢化に伴う実質利子率の低下に対応して中央銀行は名目利子率を低下させる。これは名目利子率の趨勢的な動きを決めるものである。一方、実質利子率は短期的・循環的な要因によっても変動する。中央銀行はこうした実質利子率の短期的な変動に対しても名目利子率を調整することによって「名目利子率=実質利子率」という状態を維持しようとする。このように、実質利子率の変動を名目利子率が追跡するというのはいつの時代でも金融政策の要諦であり、それは少子高齢化経済でも変わらない。しかし、少子高齢化経済では、実質利子率のベースとなる水準(ある程度の長期間における平均的な水準)が低くなっているというのが重要な差異である。
この差異はどのような含意をもつだろうか。実質利子率が正の領域で変動している限り大きな問題は生じない。しかし、何かの要因で実質利子率が大きく振動し、負の領域に入ってしまった場合にはそれまでと質的に異なる新しい問題が発生する。すなわち、名目利子率がマイナスになることはあり得ないから、負の領域に入り込んでしまった実質利子率を追跡することは不可能であり、中央銀行は「物価上昇率=ゼロ」という政策目標の実現に失敗してしまうのである。
もちろん、少子高齢化経済で実質利子率が低下すると言っても、常時マイナスというわけではない。いかに労働人口が減少しても、資本の限界生産力がマイナスになるとは考えにくいからである。懸念すべきはそうした事態ではなく、少子高齢化に伴って実質利子率のベースとなる水準がゼロに近くなっているときに、その他の短期的・循環的な要因が実質利子率を低下させる方向に作用すると、実質利子率がマイナスの領域に入り込む確率が高まるということである。これが、少子高齢化の進展が金融政策運営に及ぼす最も重大な影響である。
ケインズとその後継者たちは、名目利子率がゼロより下には下がらないことを重視し、中央銀行が名目利子率をゼロまで下げているにもかかわらず十分な景気刺激効果が得られず不況やデフレーションが続く状況を「流動性の罠」と呼んだ(Keyenes (1936/1971))。そうした状況を考える際に彼らの念頭に少子高齢化経済の到来があったかどうかは確かではないが、実質利子率がマイナスになるための重要な前提条件は資本が労働に比べて相対的に多く存在するということであり、少子高齢化経済ではまさにその条件が満たされている。その意味では、流動性の罠と少子高齢化経済は密接な関係にあるといえる。
このことは次のように考えることもできる。名目利子率がマイナスにならないのはなぜかというと、貨幣の名目利子率がゼロだからである。貯蓄手段として使うことができ、それに加えて決済手段としても使用できる貨幣の名目利子率(=ゼロ)よりも債券の名目利子率が低くなれば誰も債券を保有しなくなる。だから債券の名目利子率はゼロより下には下がらないのである。つまり、貨幣という資産を人工的に創出する際にその利子率をゼロにするという約束事を作ってしまったが故に債券の名目利子率がゼロより下には下がらないという性質が生まれたのである。
この約束事は、経済全体の資本蓄積が不十分で、労働に比べて資本が稀少という発展段階のときにはうまく機能した。労働に比べて資本が稀少である以上、ベースとなる実質利子率はゼロを大きく上回っており、様々なショックで実質利子率が変動したとしてもマイナスの領域に入ることはまずあり得なかったからである。ところが、経済が成熟し、十分な資本が存在する状況が実現すると、この約束事がうまく機能しなくなる。少子高齢化経済はその典型的な例である。資本が稀少な経済から労働が稀少な経済へと大きな転換が起きているにもかかわらず貨幣利子率に関する約束事を変更しないが故に流動性の罠という不都合が生じているとみることができる。
人口減少経済で実質利子率は低下するか?
では、実質利子率の低下は実際にはどの程度のオーダーなのだろうか。McKibbin and Nguyen(2004)は、米国、日本、その他OECD加盟国、開発途上国という4つの地域から成るモデルを作成し、現実的なパラメターを与えた上でシミュレーションを行っている。彼らが行っているシミュレーションは、1970年から2050年までの間に生じた日本の出生率の低下によって、経済がベースライン(ショックがなかった場合)からどれだけ乖離したかを算出するものであり、出生率の先行き予測には国連の予測値(2002 Revision, Medium Variant Projections)を用いている。図はシミュレーション結果のうち実質利子率だけを取り出して、ベースラインからの乖離を%ポイントで示したものである。この結果をみると、実質利子率はベースライン比、徐々に低下しており、低下幅は2010年には - 0.5%ポイント、2020年には - 1.2%ポイント、2030年には - 1.6%に達している。1%を超える実質利子率の低下はかなり大幅であり、金融政策運営に重要な影響を与えるオーダーと言える。また、EU諸国の少子高齢化、特にドイツとイタリアの少子高齢化が実質利子率に及ぼす影響については、2070年の実質利子率の水準が2000年の水準に比べ1.8%ポイント低下するとの試算例がある(Borsch-Supan(2004))。
米国資産市場のメルトダウン?
米国では1990年代に戦後ベビーブーム世代が働き盛りの時期に入り、貯蓄のピークを迎えたが、時を同じくして1990年代には株価をはじめとする資産価格が上昇した。このため、この時期の株高はベビーブーム世代の貯蓄によって生じたと指摘されてきた。また、そうした論者の間では、ベビーブーム世代が引退期に入ると貯蓄の取り崩しが始まり、資産価格が崩壊するとの懸念があった(Financial market meltdown)。こうしたことを背景として、米国では、90年代後半以降、人口動態と資産価格の関連について研究が行われてきた。これらの研究は日本の少子高齢化を直接の分析対象とするものではないが、日本の将来を考える上でも示唆に富む結果が報告されている。いくつかの研究例を紹介しよう。
まずシミュレーション分析では、Yoo(1994)は、消費者の生存期間が55年間、労働期間がその前半の45年間という設定で世代重複モデルを作成し、現実的なパラメター値の下で、米国の戦後ベビーブーム世代の出現が利子率に与えた影響を定量的に分析している。シミュレーションによれば、資産価格はベビーブーム世代誕生の35年後(同世代の貯蓄残高がピークを迎える時期)にピークを迎え、資産収益率は年率で0.4%ポイント上昇するとの結果となっている。また、Brooks(2000)は、世代重複モデルにリスク資産と安全資産を入れ、米国のベビーブームが利子率に与えた影響を試算している。シミュレーション結果をみると、安全利子率はベビーブーム世代が貯蓄のピークを迎える時期にベースライン比0.3%ポイント上昇し、その後、同世代の引退に伴いベースライン比0.4%低下するとなっている。これらのシミュレーション結果は、日本の分析例に比べると、利子率に及ぼす影響が全般に小さい。
シミュレーション分析は理論モデルの構造やパラメター値に依存するものである。特定の理論モデルに依拠することなく少子高齢化の影響を予測する方法としては、実際におきた人口構成の変化が利子率にどのような影響を及ぼしたかを、データを用いて実証的に検討することが考えられる。そうした研究の代表的な例としてはBakshi and Chen(1994)がある。この研究では、消費者の危険回避度が加齢とともに上昇するという仮説を提示した上で、消費のオイラー方程式の推計により仮説をテストしている。具体的には、1945 - 1990年の米国のデータを用いて消費のオイラー方程式を推計し、消費者の危険回避度が確かに加齢とともに上昇することを確認した上で、人口動態は資産価格に影響を及ぼす可能性がある(少子高齢化→危険回避度上昇→要求される資産収益率上昇)と結論している。
ただし、最近の研究では、Bakshi and Chen(1994)の結果は必ずしも頑健ではないと指摘されている。例えば、Poterba(2001)は、Bakshi and Chenと基本的には同じ手法を用いながら、人口動態の指標として、平均年齢ではなく、40歳 - 64歳の人口構成比、55歳以上の人口構成比など様々な指標を試した結果、40歳 - 64歳の構成比を用いたときには加齢とともに危険回避度が上昇するが55歳以上の構成比を用いた場合にはそうした傾向が認められないと報告している。また、Ang and Maddaloni(2003)はBakshi and Chenの結果が米国以外でも成立するか否かを調べている。フランス、ドイツ、日本、米国、英国の5ヵ国の1900 - 2001年のデータを用いて推計を行った結果、米国についてはBakshi and Chenと同じく人口動態とリスクプレミアムが統計的に有意に相関しているとの推計結果が得られたものの、日本を含むそれ以外の国では逆の相関が検出されたと報告している。
このように、実証分析結果が変数の定義やサンプルに依存し不安定になっていることの最大の理由は、Poterba(2001)が指摘しているように、100年間のサンプル期間をとったとしても、その間の人口変動は、戦後のベビーブームの影響が目立つ程度で、人口構成は基本的には非常に緩やかにしか変化していないという点にある。つまり、人口問題という超長期の問題を考えるには時系列の長さが100年でも足りないということである。また、Campbell(2001)が指摘しているように、人口動態が資産価格などに及ぼす影響を調べるには、時間効果、年齢効果、世代(cohort)効果の3要素を区別する必要があるが、この3要素は線形従属であり、区別するのが難しいというのも実証的な検討を困難にしている要因である。こうした点を勘案すると、人口動態が資産価格や資産収益率に何らかの影響を及ぼすのは確かであるがその定量的な評価については不確実な部分が残っているというのが現時点でのコンセンサスと言える。
金融政策運営への含意
1999年春から続いている日本のゼロ金利はようやく「出口」に近づきつつあると言われている。しかし、今後、人口減少が一層深刻化すると予想されること、それに伴って実質利子率が低下する可能性があることを踏まえれば、今回の「出口」をもって、流動性の罠と縁が切れると考えるのは楽観的に過ぎる。日本経済が再び流動性の罠に陥る確率は決して低くないと見ておくべきであり、そのための備えが必要である。
1999年春以降の経験を通じて、我々は、流動性の罠にどのように対処すべきかについて多くを学んだ。その中でもとりわけ強調すべきは、市場参加者の予想に働きかけるという政策運営のスタイルである。すなわち、実質利子率がマイナスの領域に落ち込む状況に対処するには、金融政策の運営方法を裁量型からコミットメント型に切り替え、将来の金融政策に関する市場参加者の予想に働きかけることが必要となる(この点について詳細はWoodford(2005)を参照されたい)。そうした方向への政策転換は、1999年のゼロ金利政策導入以降、徐々に生じている。今後、少子高齢化が本格化する中で、コミットメント型の運営を維持・強化する必要がある。
【参考文献】
Ang, Andrew, and Angela Maddaloni (2003), "Do Demographic Changes Affect Risk Premiums? Evidence from International Data,"
European Central Bank Working Paper Series No. 208.
Bakshi, Gurdip, and Zhiwu Chen (1994), "Baby Boom, Population Aging, and Capital Markets," Journal of Business 67, 165-202.
Borsch-Supan, Axel (2004), "Commentary: Cross-Border Macroeconomic Implications of Demographic Change," in Global Demographic
Change: Economic Impacts and Policy Challenges, Kansas City: Federal Reserve Bank of Kansas City.
Brooks, Robin J. (2000), "What Will Happen to Financial Markets When the Baby Boomers Retire?" IMF Working Paper WP/00/18.
Campbell, John Y. (2001), "Comment on James M. Poterba's 'Demographic Structure and Asset Returns'," Review of Economics
and Statistics 83, 585-588.
Keynes, John Maynard (1936/1971), The General Theory of Employment, Interest and Money, Volume VII of The Collected Writings
of John Maynard Keynes (1971, Macmillan Press).
McKibbin, Warwick J., and Jeremy Nguyen (2004), "Modeling Global Demographic Change: Results for Japan," CAMA Working
Paper Series 4/2004, Auatralian National University.
Poterba, James (2001), "Demographic Structure and Asset Returns," Review of Economics and Statistics 83, 565-584.
Yoo, Peter S. (1994), "Age Dependent Portfolio Selection," Federal Reserve Bank of St. Loius Working Paper No. 94-003A.
Woodford, Michael (2005), "Central-Bank Communication and Policy Effectiveness," Presented at the Conference Inflation
Targeting: Implementation, Communication and Effectiveness, Sveriges Riksbank, June 10-12, 2005.
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