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捨てる神あれば拾う神あり

客員研究員(一橋大学教授)渡辺 努

2004年4月

要旨

今日の朝刊各紙は新生銀行が予想外の高値で上場されたことを大きく報道している。わが国の銀行産業が正常化に向けて着実に歩んでいることの証左といえよう。しかしバブル崩壊で著しく傷ついた銀行産業をここまでに回復させるには膨大な費用がかかったことも忘れてはならない。新生銀行の場合も、旧長銀を生まれ変わらせるのに8兆円という巨額の税金が投入されてきた。

これらの公的資金投入については批判的な見方が当時も今も少なくない。しかし一連の意思決定は、待ったなしのギリギリの状況でなされたものであり、しかもわが国では少なくとも戦後は銀行破綻の経験がなく、五里霧中の意思決定でもあった。そうした点を無視して過去の施策を後知恵的に批判するのはアンフェアであろう。

しかし、すべてを過ぎたこととして片付けてしまうにはあまりに事が重大すぎる。物事を冷静に判断できるようになった今こそ、何が正しくて何が間違っていたのかをきちんと整理する作業に着手すべきである。過去に採られた政策を丹念に検証するという作業は、わが国銀行産業の将来のあり方を考える上でも重要な情報を提供してくれるはずである。

公的資金投入の根拠

公的資金投入を巡る議論を振り返ってみると、大きくいって2つの根拠が提示されてきた。ひとつは、銀行の破綻が将棋倒しのように連鎖する「システミックリスク」に対する懸念である。もうひとつはいわゆる「借り手保護」論である。

このうち前者については、幸いなことに、わが国では「将棋倒し」は起きなかった。これは、預金の全額保護をはじめとする様々な施策がうまくいったためとみることもできるが、システミックリスクなるものがそもそも杞憂にすぎなかったという可能性も否定できない。筆者の印象では、わが国の銀行危機が深刻化する直前の90年代半ば頃と比べると、「将棋倒し」を真面目に心配する人の数は格段に減っているようにみえる。

これに対して、もう一方の「借り手保護」論は、より現実味をもって語られているようにみえる。例えば、最近の例で言えば、足利銀行の処理に際して地元からあがってきた最も強い要望は、顧客企業の資金繰りに万全を期して欲しいということである。そうした要望にどのように応えるかは難しい問題であるが、少なくともそうした声が地元から上がってくるということは、銀行の破綻に伴って銀行の顧客である借り手企業(特に中小零細企業)にしわ寄せがいくという心配が、机上の可能性ではなく、切羽詰ったものであることを示している。

リレーションシップ・バンキング

「借り手保護」論は経済学者の間でも広い支持を集めている。「リレーションシップ・バンキング」という考え方がそれである。この議論によれば、企業(特に中小零細企業)の経営者はビジネスプロジェクトの遂行に必要な資金を投資家から調達する際に、自分の行おうとしているビジネスがどれほどの収益を生むものかを投資家に対して説得的に説明し理解を得る必要がある。しかし、ビジネスの収益性を正しく評価するには高度の専門性が必要であり、経営の外部にいる投資家の理解を得るのはきわめて難しい(そもそも万人に理解できるようなものであれば儲かるはずはない)。では、経営者が投資家の理解を得るにはどうすればよいか。そのための仕組みが銀行をはじめとする金融仲介機関である。金融仲介機関は企業との間で長期的かつ反復的な取引関係をもつことによってビジネスプロジェクトの複雑な性質を正確に理解し、その収益性を適正に評価できるようになる。つまり、不特定多数の外部投資家との間で信頼関係を構築するのは難しいが、ごく限られた数の金融仲介機関との間であれば長期的な取引関係を通じて信頼関係を構築し情報を伝達することが可能である。これがリレーションシップ・バンキングである。リレーションシップ・バンキングは、ビジネス社会やマーケットでの評判の確立していない若い企業や中小零細企業(これらの企業は銀行依存型(bank dependent)企業とよばれる)にとって特に重要なものといわれている。

それでは、多数の銀行依存型企業を顧客として抱える銀行が何らかの理由で大きな損失を被り著しい資本不足に陥ったらどうなるだろうか。銀行の経営だけを考えるのであればただちに銀行を閉鎖すればよい。躊躇する理由はない。しかし銀行依存型企業を多数抱えているとなると話は別である。リレーションシップ・バンキングの考え方によれば、顧客企業の経営を適切に評価できるのはこの銀行だけなのだから、この銀行を閉鎖するということは顧客企業の資金調達の道を断つことにつながる。そうなれば、収益性の高いビジネスプロジェクトをもっている企業であってもそのビジネスを適正に評価してもらえないためにビジネスの継続を断念せざるを得なくなるのである。これは、当該企業にとってはもちろんのこと、経済全体としても大きなロスである。

こうした事態を回避するひとつの方法は、銀行を閉鎖しないことである。つまり、資本の不足分を外部からの資本調達で補うことにより銀行業務を継続させることである。その際、何らかの理由で市場からの資本調達に限界があるとすれば政府が公的資金を注入し資本増強を図ることも必要となる。これが「借り手保護」論である。

「善良な中小零細企業を救うためならば多少のコストをかけてでも銀行閉鎖を回避すべきだ」という主張は、日本のように企業の銀行依存度が高い経済ではとりわけ説得力をもつ。実際、過去数年の破綻処理で巨額の税金が投入されてきた背景にはそうした事情があったと思われる。

しかし、本当にそうなのだろうか。銀行が閉鎖されると中小零細企業が路頭に迷うというのは本当なのだろうか。そんなことを言うと、何をいまさらわかりきったことを言い出すのかとお叱りを受けるかもしれない。しかし残念ながらこれは必ずしもわかりきったことではないのである。経済学者は、確かに、銀行と企業の関係に関する上のような議論について論理的に一貫した仮説を準備できている。例えばスティグリッツ教授の最近の著作(『新しい金融論』)はそうした考え方を鮮やかに提示している。しかし仮説はあくまで仮説である。筆者の知る限り、この仮説が正しいという、データに基づく証拠がきちんと提示されているわけではない。

リレーションシップ・バンキングはいわば空気のようなものであり、これがどのような働きをしているのか、これがないと世の中はどうなってしまうのかを知るのは非常に難しい。特に世の中が平穏無事のときにはその有難味がわかりにくい。有難味を感じることのできる唯一のチャンスはそれが崩壊するときである。つまり、皮肉なことに、日本が経験してきたような銀行危機はリレーションシップ・バンキングの有難味を実感するには最高のチャンスなのである。

2つの反証

こうした視点から日本の経験を検証する作業が内外の研究者の間で進められている。ここではそこで得られたいくつかのファインディングを紹介することにしよう。

まず表1に示した中小企業庁のアンケート調査結果をみると、1999 - 2001年の間にメインバンクから融資を断られた中小企業の数は全サンプルの約1割である。これは、この時期に「貸し渋り」が行われたことを示している。この事実はそれ自体重要であるが、それよりも興味深いのは、メインバンクから融資を断られた企業の約5分の1は、別な民間銀行から新たな融資を受け、事業の継続に成功しているということである。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」である。

もちろん、拾う神はすべての中小企業に平等に微笑んだわけではない。残る5分の4の企業は、新たな銀行に巡りあうことができず、事業規模の縮小を余儀なくされたり、親族からの融資に依存したりと資金繰りに苦労していることを忘れてはいけない。また、民間銀行に肩代わりしてもらえた5分の1の企業にしても厳しい融資条件を飲まざるを得ないというケースもあったに違いない。そのように考えれば、拾う神がいるから大丈夫と安心していられるものでもない。

しかし、拾う神がいたという事実は、リレーションシップ・バンキングの考え方に重大な修正を迫るものである。すなわち、メインバンクに見放された中小零細企業は路頭に迷うという仮説は厳密には成り立っていないのである。では、拾う神に出会えた企業と出会えなかった企業の差はいったいどこにあるのだろうか。こうした観点から2つの企業群の属性を比較すると(表2)、顕著な特徴として、拾う神に出会った企業では取引金融機関数が多いことがわかる。この差異は更に厳密な統計的処理を施しても消えることはない(詳しくは細野他(2004)を参照)。

表1  中小企業向け銀行貸出
1999年 2000年 2001年
総企業数(A) 4,259 4,259 4,259
メインが貸出を承諾 3,938 3,883 3,734
メインが貸出を拒絶(B) 321 376 525
拒絶率(B/A) 0.082 0.097 0.141
別な銀行が肩代わり(C) 68 77 111
肩代わり率(C/B) 0.212 0.205 0.211
  取引実績のある銀行 56 63 88
  取引実績のない銀行 12 14 23

(出所)細野他(2004)

表2  肩代わり融資を受けた企業の特徴
1999年 2000年 2001年
肩代わりあり なし 肩代わりあり なし 肩代わりあり なし
企業年齢(年) 37.94 34.06 38.19 36.45 44.91*** 37.22
従業員数(人) 47.63** 45.79 38.34 40.08 53.19*** 38.26
取引金融機関数 4.19*** 3.48 3.87*** 3.15 4.05*** 3.03
売上げ 0.53 0.51 0.52 0.49 0.40 0.35
採算 0.51 0.48 0.56* 0.43 0.28 0.30

(注)星印は肩代わりされた企業とされなかった企業の差が統計的に有意であることを表す。星の数が多いほど差が顕著である。(出所)細野他(2004)

取引金融機関数の多い企業が拾われる確率が高いという事実を素直に解釈すれば、企業は日頃の取引を通じてビジネスプロジェクトの詳細を複数の銀行に伝えることに成功していると考えられる。つまり、企業はメインバンク以外の銀行からもプロジェクトについて適切な評価を得ているので、メインバンクが資本不足などの理由で融資を継続できなくなっても、他の取引銀行に肩代わりしてもらうことができるのである。このように考えれば、中小企業が複数銀行と取引するのはメインバンクの流動性トラブルに備えるための「保険」のようなものである。もちろん、複数の金融機関に対して経営内容を理解してもらうのは容易ではなく、時間とコストがかかる。また複数の金融機関にビジネスの詳細を教えれば競争相手に重要な情報が漏れるリスクも高まるであろう。この意味では「保険」はタダではない。しかし「保険」を買えば肩代わり先に巡り合う確率が高まるという事実はリレーションシップ・バンキングの考え方に重要な修正を迫るものである。

もうひとつ興味深いファクトを紹介しよう。図1は拓銀、長銀、日債銀の3行について破綻のニュースが市場に伝わった日における3行の顧客企業の株価の変化をそれ以外の銀行の顧客企業の株価の変化と比較したものである。仮にリレーションシップ・バンキングの考え方が正しいとすれば、取引銀行の破綻が伝えられた瞬間にその顧客企業の株価は下落するはずである。しかし、図からわかるように、破綻銀行の顧客企業とそれ以外の企業との間に有意な差は確認できない。しかもこれは3行に共通する性質である。厳密な統計的処理を施してもこの結果は変わらない(詳細はBrewer et al.(2003)を参照)。このファインディングは、メインバンクが破綻するとその顧客企業は路頭に迷うという考え方が少なくともこの3行の場合には当てはまらないことを示唆している。

銀行産業は特別なのか?

この2つのファクトは何を意味するのだろうか。最初に断っておきたいのは、これ以外の論文では、リレーションシップ・バンキングの考え方と矛盾しない結果も多数報告されているということである。例えば、東アジアや北欧などの銀行危機を調べたいくつかの研究では、破綻銀行の顧客企業の株価が激しく低下するという、リレーションシップ・バンキングと整合的な結果が報告されている(詳しくは細野他(2004)を参照)。その意味では、上に挙げた2つの反証は、今のところ、日本の銀行危機で観察されたファクトの域を出るものではなく、どの程度の普遍性をもつかは不明である。この2つの反証だけを根拠に銀行を潰しても構わないと主張するのは、盲目的に借り手保護論を信じるのと同じくらい危険である。

しかし2つの反証が銀行産業についての我々の認識を根本から変えるほどのインパクトをもっているのもまた事実である。やや唐突に聞こえるかもしれないが、失業についてのミルトン・フリードマンの考え方を思い出してみよう。労働者が自分の能力を適正に評価してくれる就職先を探すには時間とカネがかかるものであるが、世の中で必要とされる技量をもつ労働者であれば必ずベストの就職先に巡り合うことができるはずである。フリードマンは最適な就職先に巡り合うまでのこうした過渡的な失業を「摩擦的失業」とよび、労働資源の効率的な配分のためには止むを得ざるものだと指摘した。メインバンクに融資を断られた企業が新たな融資先に巡り合うまでの過程はこの摩擦的失業のようなものであり、銀行信用の効率的な配分を実現するために必要なコストとみることができる。

摩擦的失業を回避するために企業の解雇権を制限したり企業や工場の閉鎖を禁止したりせよというのは、一部の例外的な人以外は受け入れることのできない暴論である。しかし不思議なことに銀行という産業に限ってはこれが暴論でなくなる。多くの人々は、中小零細企業が銀行からの融資を断られるという意味での「失業」はあってはならないことだと信じているのである。2つの反証は、健全な常識に立ち返れと警鐘を鳴らしているように思われる。

【参考文献】
細野薫、澤田充、渡辺努、「捨てる神あれば拾う神あり - 金融危機下における中小企業の資金調達」、2004年.
Brewer, Elijah III, Hesna Genay, William Court Hunter, and George G. Kaufman, "The value of banking relationships during a financial crisis: Evidence from failures of Japanese banks," Journal of the Japanese and International Economies 17, 2003, 233-262.

全文はPDFファイルをご参照ください。

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