生命の時代へ向けて
JT生命誌研究館館長 中村 桂子
2003年10月
要旨
21世紀は生命の時代にしたいと思っているのですが。こう話すと、既にそう言われているじゃありませんかという答が返ってくる。確かに、「21世紀は生命科学の時代」という声はよく聞く。しかし、ここで考えなければならないのは、生命科学は生命の本質を考えて進められているかということだ。
わが国が経済大国であり続けるためには、科学技術の開発とそれを基盤にした先端産業の振興とが重要であるとする、いわゆる科学技術創造立国が基本政策としてあり、その中での重点分野として生命科学を進めようというのが、「生命科学の時代」の意味である。つまり、これまでの科学技術文明のあり方はそのまま認め、経済大国であることが国としては最も望ましい姿であるという価値観もそのままにしたうえで、その構造の中に「生命」を巻きこもうというわけだ。科学技術文明は17世紀のデカルト、ニュートンに始まる「機械論的世界観」を基盤にしている。ここでは、自然を合理的な機械とみなし、それを動かしている法則・原理を数式として求め、分析・還元という方法で理解するという「科学」の知識をもとに多くの技術を産み出してきた。
その中で、生きものも機械として理解できそうだということになってきたのが20世紀後半である。特に1953年に、地球上の生物すべてに共通なしくみを動かしている基本物質としてのDNAの構造が解明されて以来(今年はそれからちょうど半世紀。この50年間のDNA研究の進歩はみごとだった)、この考え方はとても強くなった。そこで、「さあこれで、これまでは扱いにくかった生物(人間も含めて)も機械として扱えるぞ」ということになり、生命科学の時代ということになったのだ。
機械論は世界観をもった科学技術文明の中に「生命」を組みこんでいくというこの方向が本当に望ましいのか。生命に眼を向けるのなら、思いきって「生命論的世界観」へとものの見方を変えてみたらどうだろうというのが私が考えていることだ。どうだろうと言ったが、心の中では機械の方へ生命を巻きこもうとしてもそれは無理だし、生命を基本にする方向へ転換した方が暮らしやすくなると思っている。
具体例で考えてみよう。医療である。今、国の科学技術政策では、疾病の原因となる遺伝子を探し、予防や治療に役立てること、更には個人によるゲノムの違いに注目してテーラーメイドの医療を確立することを目的としたプロジェクトが動いている。医療の近代化は、病因を探し、それに対応する治療法や薬剤を開発するという方向で進められてきた。その中で感染症への対策が確立し、今問題になっているのは、いわゆる生活習慣病である。
ところで、これらの病気の原因はどうなっているか。社会的関心が最も高く、研究も最も進んでいると言ってよい“がん”を見てみよう。20年ほど前に、がんに関する遺伝子(発がん遺伝子とがん抑制遺伝子とがある)が発見された時は、多くの研究者が、これでがんの原因は解明され、この病気を征服できると勢いづいた。しかし、研究が進むにつれてがんの原因とされる遺伝子だけでも100種以上(これからもふえると考えられている)、何やら複雑なことになってきた。しかも原因は遺伝子だけにあるのではなさそうだということもわかってきた。「がんには、1億個もの細胞が含まれており、どんな治療法を開発してもそれをかいくぐる細胞が出てくるだろう。治療ではなく、がんの成長、できれば形成を遅らせるという方法で対処するほかないだろう」という専門家もいる。
これは、がんはとても複雑で、原因を特定してそれを取り除くとか、メカニズムを解明して根本的に治療するという対処は難しいという意味で、機械論的な見方からすれば、敗北宣言だ。しかし、それでは、がんに対して手をこまねいているのかといえばそうではない。生きものである人間には寿命があるのだからそこまでなんとかもたせるように成長を遅らせようという戦略だ。早期発見、初期の外科的処置など、他の方法も動員した総合的な対処をするのはもちろんだ。更には、各人の日常生活、発がん物質の点検など、生活面からもがんを考えることができる。科学技術にまかせずに。
がんを一例としてあげたが、生活習慣病はどれも同じように考えるべき疾病だろう。病気だけでなく生命が関わる問題は、すべてこのような性質を持っているのだと思う。
ここで、科学技術文明のもつ2つの性質の見直しができる。1つは、○か×か、1か0かという考え方からの脱却だ。複雑なことに柔軟に対応していくという考え方や社会のしくみを作っていくことになる。そしてもう1つは、専門家が新しい科学技術を開発し、その成果を皆が享受するのではなく、各人が関わり合っていくという社会にすることである。科学技術は確かに便利で、ありがたいものに違いないが、ここまで進んでくると、さまざまな問題点も見えている。環境問題のように、明らかにマイナスを解決しなければならないことだけでなく、IT技術の使い方などかなり真剣に考えなければならないものを含んでいる。多くの人が関わり合うことで答を見出す他なかろう。
人間も生きものである。したがって、生命のありよう - それは複雑で、時にはとてもいい加減なところがあり、機械として見るとなんとも扱いにくいものだ - をよく見て、それを基本にした判断をしていくことによって、生きものとしての人間が暮らしやすい社会づくりをする。これが私が考えている「生命科学」でない「生命」の時代の意味である。
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