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グローバルデフレが教えてくれること

客員研究員 (一橋大学教授)渡辺 努

2003年7月

要旨

Deflation is back!

デフレが世界的に拡がる兆しが見られる。米国では、4月の消費者物価上昇率がマイナスを記録したほか(前月比 - 0.3%)、コアインフレ指標(物価の一時的な変動を除去したもの)もゼロまで低下してきている。米国の中央銀行であるFRBのグリーンスパン議長はデフレの可能性に言及し、政策面でも警戒姿勢をとっている。また欧州では、ドイツが近い将来デフレに陥るとの懸念があり、IMF(国際通貨基金)もそのリスクを認めている。欧州中央銀行は物価上昇率の目標をこれまでの“Below 2%”から“Close to 2%”へと変更しデフレに備える姿勢を打ち出している。

デフレが目前にまで迫っているとの認識は経済学者の一部にも出てきており、例えば米国カリフォルニア大学のデ・ロング教授は“Deflation is back!"(大恐慌期以降途絶えていたデフレが再び復活した)という刺激的なタイトルをつけた論文を発表している。

誤解を恐れずに言えば、筆者はこれらの動きを「朗報」と受け止めている。もちろん、米国や欧州が日本と同じデフレに苦しむことを指して朗報と言っているのではない。また、米国や欧州がデフレの苦しみを理解すれば日本への風当たりも和らぐのではないかというような戦略的な観点から言っているのでもない。筆者が朗報と言っているのは、日本の政策混迷が多少なりとも是正されることを期待してのことである。

その理由はこうである。日本のデフレは6年目に入ろうとしているが、それにもかかわらずデフレの原因や処方箋に関する議論は依然として混迷しており、有効な政策対応を見出せない状態が続いている。むしろ時間が経つにつれて混迷の度は深まっているようにさえ見える。筆者の診立てでは、この混迷の背景には、デフレを特別な国(日本)の特別な時期(バブル崩壊後)における特別な現象と位置づける見方が存在する。例えば、銀行の不良債権問題がデフレの原因という主張はこうした見方に基づくものである。これに対して、米国や欧州における最近の動きはデフレがグローバルな側面をもつことを強く示唆しており、デフレに関するこれまでの認識に根本的な見直しを迫っている。その意味で米国や欧州におけるデフレの兆しは日本の政策混迷を是正する可能性のある「朗報」なのである。

「輸入デフレ論」再考

では、デフレを日本に固有の特別な現象とする見方が支配的になっているのはなぜだろうか。

米国や欧州のデフレ懸念が強まったのは精々昨年の夏以降のことであるが、実は、日本のデフレについてそのグローバルな側面に注目する見方は90年代後半のデフレ初期の段階から存在し、実務家を中心に支持を集めていた。中国を中心とするアジア諸国の工業化が急速に進んだ結果、これら国々からの廉価な製品が流入しそれが日本の物価を押し下げているという「輸入デフレ論」がそれである。「輸入デフレ論」は、中国企業とのコスト競争に挑むビジネスマンや、身の回りに廉価な輸入品が増えていることを実感している消費者から根強い支持を得てきた。

しかし不思議なことに、輸入デフレ論は経済学者の間では全くといってよいほど人気がない。「輸入デフレ論は経済学の教科書を理解していない人の戯言」と断言して憚らない経済学者もいるほどである。実際、経済学者を名乗る人で輸入デフレ論の支持者はほんの一握り(数名)に過ぎない。

ビジネスマンや消費者が自らの実感を文章にして広めることは稀なのに対して、経済学者は自らの考えを文章にするのが商売である。かくして、輸入デフレ論は巷では評価されていても表立っては語られることのない日陰の説として細々と生き残るという事態になっている。

では、輸入デフレ論を経済学者が退ける根拠はどこにあるのだろうか

経済学者がそうした見方をする根拠についてわかりやすい議論を展開しているのはマネタリストとして名高いミルトン・フリードマン教授である。フリードマン教授は、第1次石油危機後の輸入品の価格上昇が物価を押し上げたという議論を否定するために次のような説明を展開している。輸入品の価格上昇それ自体は確かに物価を押し上げる。しかし、これは物事の一面しかみていない。輸入品の価格が上がるということは、消費者がその他の商品に振り向けることのできる資金が少なくなるということだから、その他の商品に対する需要は減少し、その結果、その他の商品の価格は下落するはずである。その他商品の価格下落は輸入品の価格上昇を相殺するので、両者の合計である物価が大きく下落することはあり得ない。最初と最後をつなげると、輸入品の価格上昇が物価を動かすことはあり得ないということになる。「石油関連」を「中国関連」に、「上昇」を「下落」と読み替えれば、「デフレは中国要因と無関係」という日本の経済学者の主張が完成する。

フリードマンの議論が正しいとすれば、モノの稀少性が物価に影響を与えることはない。したがって、物価を変動させる要因はただ1つ、カネの稀少性だけである。すなわち、全ての物価変動はカネの稀少性の変化によって惹き起こされるということになる。最近のデフレ論議では「インフレもデフレも貨幣的現象」というフレーズが頻繁に登場するが、この主張も源を辿ればフリードマンに行き着くのである。

フリードマンの見落としていたもの

フリードマンの議論の重要な前提は「全ての価格は伸縮的に変化する」ということである。フリードマンの石油危機についての説明では、石油関連商品の価格上昇の結果、それ以外の商品に対する需要が低下し、その価格が低下すると想定されている。石油関連以外の商品の価格が直ちに下落するというのが重要なポイントである。

しかし現実には商品の価格はそれほど迅速には変更されない可能性がある。石油危機の例で言えば、石油関連以外の商品に対する需要が減少するのは事実であろう。しかし石油関連以外の商品というのは無数に存在する。したがって個々の商品に対する需要の減少はごく僅かである。これらの商品の生産者にしてみれば、そんな僅かな需要の変動に一々対応して価格を上げ下げしていたのでは手間ばかりかかってしまう。そう考える生産者は当分の間、価格を据え置くであろう。価格据置きを選択する生産者が多数になれば、石油関連商品の価格上昇は相殺されず、結果として物価は上昇することになる。

もちろん石油関連以外の商品の生産者が価格を直ちに引き下げるという保証がないのと同じ意味で、彼らが価格を据え置くという保証もない。つまり、彼らが実際にどのような価格設定を行うかは机上の理論だけでは決着がつかない問題であり、実証的な検討が不可欠なのである。

供給ショックは物価変動を惹き起こすか?

ではどちらが正しいのだろうか。どちらが現実の近似として適切なのだろうか。筆者と学習院大学の細野薫氏はこうした問題意識に基づき、日本、米国、英国、韓国、香港、台湾の6ヵ国について、供給ショック(石油危機のように特定の品目の価格がその他の商品に比べて変化する現象)が物価に及ぼす影響について実証的な検討を行った(「供給ショックと短期の物価変動」『経済研究』第54巻第3号、2003年7月)。

供給ショックの3つの事例に即して検討結果を簡単に紹介しよう。

図1は第1次石油危機(1973年10月)の前後において日本の品目別価格上昇率の分布がどう推移したかを示している(品目は消費者物価指数を構成する全品目を用いている)。横軸には前年比価格上昇率、縦軸には品目数(頻度あるいは密度)をとっている。第1次石油危機が起きる直前の1972年12月時点における分布はゼロをやや超えたところに分布のピークがあり、そこを中心にほぼ左右対称の形状をしている。ところが、石油危機の直後、1973年12月の時点になると分布の右裾が長く、かつ厚くなっている。これは石油関連商品の価格上昇を反映したものである。一方、分布の左裾については顕著な変化は認められない。フリードマンの指摘どおり、価格が完全に伸縮的であれば、石油関連以外の商品の価格下落が左裾の厚みとして現われ、右裾の厚みが増すのを相殺するはずであるが、実際には、左裾の厚みに目立った変化は生じていない。下落する品目が現れるはずというフリードマンの予測は当たっていない。

今度は海外の供給ショック事例をみてみよう。図2では韓国の通貨危機時(1997年12月末)のウォン安が韓国CPI品目の分布に及ぼす影響を見ている。通貨安は貿易可能な商品の価格を貿易できない商品(例えば理髪などの個人向けサービスなど)との対比で引き上げる効果があるので供給ショックの一種である。ウォン安が消費者物価に現れた1998年12月時点の分布は、右裾が長くなると同時に厚みを増しており、輸入品など貿易財の価格が大幅に上昇したことを示している。一方、分布の左裾をみると、こちらも厚みを増しており、フリードマン仮説と整合的な変化が現れている。急速かつ大幅なウォン安が進む中で生活に密接に関連する輸入品の価格が大幅に上昇したため、消費者がそれ以外の商品(理髪などの非貿易財)の購入を控え、それが非貿易財価格の下落となって現れていると解釈できる。ただし、左裾の厚みの増大は右裾の変化を相殺するには不十分であり、その結果、98年12月時点の全品目の平均値(消費者物価)は大幅な上昇を示している。フリードマンの予測は定性的には正しいが定量的には不十分である。

最後に、図3では1990年代後半以降の日本のデフレ局面を見ている。デフレの始まる前の1996年12月時点の分布との対比でみると、2000年12月の分布は、(1)分布の左裾が長くなり、かつ厚みを増している(特に0%から - 10%の範囲で下落する品目が増えている)、(2)分布の右裾は薄くなっている(特に0%から+5%の範囲で上昇する品目が顕著に減少している)ことが確認できる。フリードマンの説明が正しければ、左裾が厚くなる分だけ右裾も厚くなるはずであるが、観察結果はこれと正反対であり、フリードマンの仮説を棄却している。

3つの事例は、供給ショックが生じたときにフリードマンの想定どおりには価格が迅速に変化しないため物価に影響が及んだことを示している。細野・渡辺論文では、こうした傾向が3つの事例以外にも当てはまる一般的な傾向であることを確認している。また、図3で見たような分布の左への歪みは日本に固有の現象ではなく、90年代半ば以降、韓国を除く5ヵ国(分析対象国は6ヵ国)で観察されることを確認し、デフレがグローバルな供給ショックによって生じている可能性があると指摘している。

非貨幣的デフレへの処方箋

カネの稀少性が高まったためにデフレが起きているのであれば処方箋は簡単である。カネを増やしさえすればよい。貨幣的デフレには貨幣的処方箋が有効なのである。しかしデフレの要因がカネの稀少性ではなくモノの稀少性にある場合には処方箋はそれほど単純ではない。

非貨幣的デフレに貨幣的処方箋をとるべきなのか - 。米欧からの「朗報」は政府・日銀に対してデフレ対策の根本的な見直しを迫っている。

全文はPDFファイルをご参照ください。

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