わが国経済社会の現状と喫緊の課題
富士通総研 理事長 福井 俊彦
2002年10月
要旨
21世紀は付加価値創出の最前線で地球上の多くの企業が鎬を削る時代である。わが国の場合、経済の成熟化に加え、総人口の減少する経済への移行が目前に迫っており、価値創造と情報発信による経済の活性化が他国に増して喫緊の課題となっている。
1.小泉内閣発足後の1年
昨年4月に小泉内閣が発足し、本格的に構造改革への取り組みが始まって1年余りが経過した。わが国の現状については、多くの方が、経済は流動性の罠に陥ったまま脱却していないのではないか、社会も依然として閉塞感にとらわれていて抜け出せないでいるのではないか、という認識で一致しているように思われる。私自身も、そのことを否定する立場には、まだない。
経済の方は、今年の初めくらいから一応下げ止まりで、最近の日銀短観などを見ても、企業経営者のマインドがかなり好転してきている。企業が思い切って生産をカットし、在庫調整を急いで進めたこと、また同時不況と言われた世界経済も、去年の暮れあるいは今年の初めくらいから一応回復過程に入り、その好影響がわが国にも及んで輸出が伸びていること、がその基本的背景である。しかし、経済の動きをよくみると、特に企業の設備投資計画が非常に弱い。収益は良くなる方向にあるが、投資はまだ後ろを向いている。これが現状における日本経済の特徴である。日本銀行は一所懸命に金融市場に流動性を供給しているが、この日銀の供給している流動性は、政府の発行する国債にはどんどん向かっているものの、民間経済の動きを活発にする方向にはまだ使われていない。お金は銀行部門の内部で空回りしている状況だ。そう捉えると、確かに、日本経済はまだ流動性の罠にはまったままという認識は当たっている。
では過去1年余りの間に、日本は何も変化をしていないのかというと、私は、その点では少し異なった見解を持っている。底流において、あるいは人々の心の奥底において、かなりの変化が始まっていると認識している。世の中は一見変わらないようで、非常に奥深いところから変化が始まるものだ。
私の個人的な見解では、構造改革にはやはり10年はかかる。それくらい我慢強くやっていかなければならない大きな課題である。イギリスのサッチャー政権の時代や、米国のレーガン大統領以降の構造改革を振り返ると、やはりその過程において政権への支持率には波打つものがあったが、構造改革の成果がしっかり見えてきたのは10年くらいたってからだ。わが国においても小泉首相の人気は揺れているが、構造改革には時間がかかり、その間、国民の辛抱が要るという点では共通ではないだろうか。
小泉政策の下で、少なくとも、日本も、過去との訣別をしなければならないという意味で、国民に心の備えが芽生えてきていると私は思っている。三つの例を挙げよう。一つは、高度成長の余韻を断つことである。かつての高度成長の時代、つまり大量生産大量販売で世の中の歯車をうまく回していくという時代は、もう終わった。そういう認識ははっきりしてきた。もちろん、高度成長時代が長く続き、大変な成果を収めたことにより、取引の慣行、雇用の慣行、様々なプラクティスがこの社会に根強く染みついている。あるいは、既得権が世の中の隅々まで累積している。これらが足かせになって構造改革の成果を表に出すことを妨げ続けている。しかし、元には戻れない。高度成長でなくても、芯の強い経済にみんなで努力して持っていかなければならないという方向では、「帰らざる川を渡った」という気持ちで揃ってきているように思う。
二つ目は、政府に対する過度の依存心を断とうということだ。高度成長の50年間は、政府の掲げる方針の下に後からついて行き、実際に物事を成し遂げていく過程でも政府の力に大きく依存した時代であったが、最近ではそれも変わり始めている。
私は、経済同友会の仕事などを通じて各地を訪問する機会が多いが、そうした折、地方分権というと、「ちょっと待った」という声がかかる。「分権ではなくて地方の自立だ」、「自分たちの足で立つんだ」という反応に接するようになっており、やはり、政府への過度の依存心を断つという気運が次第に浸透し始めていると感じられる。
三つ目は、いわゆる平和の概念である。日本として国際経済社会に、どういう形でコミットメントをしていくかという認識が、前進してきている。これまでの日本は、他国の出方を見てから方針を決めるという受け身の対応姿勢が目立っていた。しかし、昨年の米国でのテロがひとつの契機になり、あるいは、小泉内閣の下での物事への取り組み姿勢の変化を人々が感じ取ったせいか、人々はこれからの時代の「平和」はどういうものか、模索し、積極的に追い求めようとの姿勢に変わってきている。国際社会に対するコミットメントのあり方についても、でき得れば主体的に物を考えて、提案し、約束していくという気持ちに変わってきているように思う。テロ対策特別措置法ができ、インド洋に日本の自衛隊が派遣されたことは象徴的な出来事だったと思うし、今、有事法制が国会にかかっている。国会では、この法律案がどうなるか迷走気味ではあるが、少なくとも、そういう法律案が国会にかかるというところまで、人々の意識は、やはり変わってきているということだと思う。
2.日本にとっての喫緊の課題
米国経済の今後の動きがどうなるか、まずこの点に人々の関心が注がれている。世界同時不況からの脱却も、米国経済がいち早く回復過程に入ったことが決め手となっているので、世界経済が今後どうなるかを考えるにあたっても、米国経済の帰趨が大きな鍵を握っている。ところが、国際金融市場においては、米国に対するコンフィデンスに陰りがみられる。米国の株価が急激な調整過程に入っていることは、ご承知のとおりであるし、国際金融市場ではドルがユーロに対しても、円に対しても、かなり減価している。大企業の経理の不正が次々と明るみに出て、これが米国経済に対する市場の不信に拍車をかけている。
90年代、特に90年代後半は、米国経済が、グローバル化、なかんずくIT革命ということを主軸に取り入れて明るい展望を開いた時期であった。米国経済だけがニューエコノミーといわんばかりに囃された時代であり、ITの裏付けのある成長性の高い経済には必ず収益性が伴うというのがコンセプトとなって、物事の判断、マーケットコンディションズ(市場の条件)の形成が行われた。しかし、個々の企業ごとには勿論大きな差はあろうが、全体として、高い成長性に必ず高い収益性が伴うかというと、やはりそこにはかなり幻想の部分があり、今、その部分の修正が急速に進められている状況ではないかと理解される。ITが経済を大きくトランスフォームしたことは事実だし、ITが経済の中で、生産性を大きく押上げる役割を果たしたことも事実である。しかし、それが企業収益の増加に100%直結するかどうかという点では、難しい問題があると私は思っている。IT革命の進展とともに経済主体相互間の「情報の非対称性」が解消に向かうにつれ、価格形成プロセスが従来に比し消費者に有利、企業に不利に展開するようになり、それだけ企業としては収益をあげ難くなってきている。しかし米国の企業の場合は、成長性には必ず収益性が伴うということで、大胆に設備投資をして、結果として、過剰な設備残高を持つに到った。そして、収益性が虚像であった部分が今は剥げ落ちている。私は、こういった収益の虚像であった部分の株価の修正と、過剰な設備投資の調整は、今後の米国経済にとって重い負担になるのではないかという気がしている。
そういう観点からも、わが国としては、ますます自力で立ち上がる条件を整えていく必要がある。この場合重要なことは、世界全体として、付加価値創出というところに、企業間競争、あるいは経済と経済との鬩ぎ合いの焦点が移ってきているということだ。つまり、地球上の全ての地域で、企業は付加価値創出という、その最前線で鎬を削る時代に入っているということだ。日本の場合は、経済が非常に成熟化している、そして、この先は総人口が減っていくという、他の国に比し更に厳しい二つの条件を抱えている。それゆえに一層、日本の企業、あるいは日本経済全体の運営としては、新しい価値の創出というところに焦点を絞って自立する努力を強めていく必要がある。そして、付加価値創出をベースにした日本発の情報発信が他国のそれにも増して魅力的なものとなっていかなければならない。
日本経済は、もちろん国際的な関わりの中に存在している。しかし、まず、日本経済そのものを、会社でいえば単体決算のように捉えると、今後の単体決算としての日本経済は、高い付加価値と、魅力ある情報発信のホームベースとして創り直す必要がある。日本の消費者市場は、成熟経済の中で、世界のどの国を見回しても、消費者の要求水準が一番高いマーケットである。企業にとって、これは大変きついと思えるかもしれないが、世界一要求度の高い消費者市場を持っているということは、これを克服すれば、世界の他の市場は、より低く見える筈である。ディスアドバンテージをアドバンテージに切り替えれば、大変心強い材料になる。そういうマインドの切り替えが必要である。
そうした高度な消費者市場の中で新しい価値観を追求していくということになると、当然、リスクコントロールの能力を涵養しながら、よりリスクの高いビジネスに挑戦して行かざるを得ない。それには、挑戦し得るだけの技術とノウハウが要る。技術や知識のイノベーションの力をもっと強くしなければならないだろう。これから京都議定書が発効すると、日本としては地球温暖化ガス削減という高いハードルを越えていかなければならない。また化石燃料への依存度が極端に高いエネルギー供給構造を長期的にどうするかという大きな課題も抱えている。こうした問題に企業が積極的に取り組むようになれば、技術や知識のイノベーションを進める、そのものの課題を同時達成する道に通ずることとなろう。
こうしたイノベーションを担っていく主体は、あくまで人間である。ビジネスに従事する全ての人々が、新しい物事を創出していく方向で能力を高めていかなければならない。企業のみならず大学その他日本国内のあらゆる活動の場で、内外の優れた人材が集まるように変わっていかなければならない。つまり、従来とは異なり、グローバルな感覚をはじめから持った人材、創造的な思考に長けた人材、そして好奇心に富んだ人材、つまり新しいことをやることに喜びを感ずる人たち、そういう人たちが集まってくるプラットフォームという形で国内の場を整えていく必要がある。したがって、企業においては、当然、そういった人材が自己実現のひとつの場として、喜んで働けるように人事や組織のあり方を修正していかなければならない。従来の単純な年功序列、終身雇用の仕組みについては、経営者が工夫をして舞台装置を変えていかなければならない可能性が強い。
わが国としては、更にその上に、国際経済社会との新しい関わり合いを築きながら、連結決算としてもすばらしい日本経済に仕立て上げていくという課題がある。そういう目で見ると、一番近い距離にある中国のプレゼンスが既に非常に大きく、この先更に大きくなっていく、その中国の存在を前提にしながら、まずは、アジア地域において新しい国際分業体制を築いていくことが大切であるとの考えに辿り着く。中国は、昨年12月に正式にWTOに加盟した。これから、中国は、市場主義経済の中で活動範囲を更に広げていくであろう。中国が今の7%をちょっと超える成長率を、もし今後10年間維持すると、今でも巨大だと思われている中国経済が更に2倍の大きさになる。中国はそんなに順調にいくのか、と疑問を呈する人もいるが、中国はうまくいくのだという前提でシナリオを作る方が、日本のためにも、アジアのためにも、世界のためにも、建設的である。
ただ、中国には、WTOに加盟した限りは、今後、できるだけ早く、法制、税制、会計制度、あるいは知的財産制度などの制度面において、市場主義経済の既存のメンバーとの間で、きちんと整合性のとれるものを自ら提示してくることを我々としては期待したい。中国政府は責任を持ってこれをやってほしい。それを前提としながら、中国を含むアジア全体の新しい水平分業、相互依存の姿を、企業の責任で、そして国の責任で考えていく必要がある。
そして、日本からは、中国をはじめアジア諸国に向けて、従来よりも、もっと積極的に投資をしていくべきだと思う。こう言うと、「これ以上空洞化を進めるのか」という質問を受ける。しかし、私が申し上げているのは、全然意味が異なる。空洞化というのは、高コスト構造などの問題を解決できないままに、消極的な動機で企業が外に出ていくことだ。私が申し上げているのは、企業がもっと戦略的に、国内のマーケットとの連結決算で考えたときに、海外市場においてはどういう投資の仕方がいいか、という非常に積極的な組み立て方を持った投資をどんどんやっていくべきだということだ。そして、国内だけでなく、海外の市場でも、ビジネスとして思い切って収益を上げる。そして必要な再投資をし、あるいは、国内に収益を持ち帰るというダイナミックな展開がこれからは望まれる。それが、アジアにおける分業体制とか、新しいアジア経済のフレームワークを作る出発点になる。お役所が「新しい水平分業の姿はこうだ」というスタティックな絵を描き、それに追随していくのが分業体制の形成ということではない。企業家精神を出発にした新しい、ダイナミックな動きでアジアの展開を考えようということである。
それにしても、ASEAN+3でしっかりとしたFTAの政策を進めていくことは重要である。日本の政府は、FTAというと個々に非常に厄介な問題があるので、必ずしも熱心でないが、私はそれでは不十分であると考える。国の戦略として、ビジネスがどんどん積極的にやっていけるような土俵づくりを進めるためには、WTOのような多角的なフレームワークに全て頼る前に、FTAの拡充に国がもっと力を入れる必要があると思っている。そうしたことで、アジアという広いマーケットの中で、日本だけでなくて、アジア諸国の企業も互いに切磋琢磨することの良さを感じるようになって、初めてアジアのソリダリティということに思いが到るのではないか。
米州がどうだ、EUがどうだ、だからアジアも結束しなければならないというロジックだけでは、うまくいかないと私は思っている。アジアの企業相互間で激しい競争が展開され、切磋琢磨を通して、価値感のすり合せが行われる中で、いつしかまとまりのある意識が芽生えて初めて本物になる。アジアはあまりにも多様性に富んでおり、結束は難しいといわれ続けている。だがしかし、世界をみても、単純にアメリカンスタンダード=グローバルスタンダードという時代はもう終わったのであって、これからは、地球上に存在する全ての人々の価値観が尊重されなければならない。あるいは、価値観を激しくぶつけ合わなければならない。多様性の中から新しい価値をつくっていくという、複雑なグローバル化の時代に変わっていくという予感がする。アジアの結束はむしろそうした複雑なグローバル化と不思議な調和を見出すものになりうるのではないか。
最後に再び国内に目を転じると、先程も少し触れたとおり、他に頼らない、特に中央政府に頼らないということでは、地方の自立というテーマが浮び上ってくる。全て国に頼ろうとする時代は終わった。この認識は全国各地で次第に明確になってきている。個人でできることは個人でやる。個人でできないことは地域でやる。地域でできないことは国でやる。国でもできないことはインターナショナルコミュニティで解決するという、いわゆる補完性の原則がよみがえろうとしている。地方の自立という場合には、当然、地域の産業の発展ということと裏腹でなければ、本当に力強いものにはならない。最近は、環境、エネルギー、リサイクル、医療、観光など、いくつかの分野で地域産業の新しい芽生えが見られるようになってきている。
また、金融機関のあり方も問われている。これからは、全ての企業がそれぞれ異なるタイプのリスクの高いビジネスに挑戦する。したがって、銀行を通ずるお金の供給ルートは、これまでのように太いものである必要はなくなる。なぜならば、銀行のお金は銀行自身ではなく預金者のものであって、所詮は高いリスクがとれない性質のものだから。むしろこれからは、資本市場を経由することによって、お金が高いリスク、様々な態様のリスクに適合するよう、姿形を変えて企業に提供される必要がある。したがって、資本市場の整備と、金融業が、新しく事業の特性とリスクの態様に見合って信用仲介を行うフィナンシャルサービスファームとして発展していくこと、この二つが非常に重要である。
いわゆる失われた10年を経て、新しい時代に適合するため、残された時間的な余裕は限られている。一方日本としてなすべきことは非常に多い。小泉内閣には、なおしばらく、過去との訣別、言ってみれば破壊作業に全力を挙げてもらうとしても、民間では、そろそろ将来を見通して自ら設計を組み立て、ステップを踏み出す、そういう段階にきている。民間が先頭に立って創造、クリエーションの方向へ、スクラップ&ビルドでいえばビルドの世界へ、明確に足を踏み入れていかなかければならない。
*本講演は、富士通総研経済研究フォーラム(2002年7月17日開催、大阪)におけるスピーチに、加筆訂正を加えたものである。
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