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12年の沈滞からの脱却
- 『富裕税』と『社会投資税額控除』で「日本社会への投資」を生み出せ

富士通総研顧問(東京大学大学院教授)西村 清彦

2002年10月

要旨

経済政策の閉塞状況が続いている。1990年代の景気の沈滞から未だ抜け出せず、金融機関や生命保険等の危機的状況の解決にはほど遠く、構造改革も端緒についたかどうかというところで実が見えない。政府の経済政策論議も、量的緩和、インフレーションターゲッティング、そして最近の税制改革と、次々と目先を替えて議論が白熱するものの、そこに一貫した視点がどうも見られない。

そこで本稿では、日本経済について今までみな薄々とは感じていたようには思えるが、あえて直視を避けてきたと思われる側面に視点を置き、それに基づいて日本経済が閉塞状況を抜け出すための具体的方策を考えてみたい。

投資の低収益率が沈滞の元凶

まず日本経済の現状をおさらいしよう。日本経済の最大の問題は、一言で言えば、家計部門に膨大な金融資産が蓄積されているのにもかかわらず、それが消費と投資を生まずに滞留し、そのため生産が停滞し雇用が縮小している点である。

その理由について、金融機関の不良債権問題に端を発する間接金融の機能不全が大きく取り上げられている。更に日本の家計部門が極端なリスク回避指向であるために直接金融が間接金融の機能保全を補うことができず、問題を深刻化していることが指摘されている。もちろんこうした金融の面は重要であるが、それを強調しすぎると日本経済の真の問題を見えなくしてしまう。日本経済停滞の源は、実は日本における投資の収益性の低さにあることを確認する必要がある。

(ここで「投資」の収益性という場合の投資は、企業部門が行う設備投資や、また住宅投資だけでなく、家計部門が行う耐久消費財(自動車や電気製品等)に対する「投資」も含んでいる。消費の低迷は実は家計内の「過剰設備」、「過剰投資」の結果による、家計の「投資」の低収益率という側面を持つとも考えられる。しかし本稿では紙面の都合上耐久消費財投資についてはこれ以上取り上げない。)

よく考えれば、間接金融が機能不全であっても、企業部門の投資の収益性が高ければ問題は小さいはずである。企業部門投資の収益性が十分あれば、間接金融をバイパスして家計部門と企業部門を結ぶ新しい金融システムを開発して運用すれば、巨大な収益を得ることができる。家計が強くリスク回避的であったとしても、それを越える収益が得られるならば、家計もそうした金融システムを積極的に利用するだろう。自由な市場経済では、こうした動きを阻止することはできない。そう考えると、12年に及ぶ深刻な停滞が続いた理由は、企業部門投資の収益性が低いことに起因すると考えざるを得ない。

実際、マクロ的に見ると、過去の日本の資本収益率が結果として低かったことはよく知られている。その低い収益率にかかわらず日本の投資需要が強く、それが経済成長を牽引していたことを考える必要がある。なぜ結果として低い収益率であったにもかかわらず、投資がなされたかについてはいくつか理由が考えられるが、やはり将来収益への期待(更なる成長)と、それと重なるが、マーケットシェアの確保(顧客「資本」への先行投資)という動機が強かったといえるだろう。70年代に入り高成長に陰りが見えたときに低収益率の問題が顕在化しかかったが、その後80年代のいわゆるバブル経済の時期に株価が急騰したことが、それを覆い隠したといえる。しかし90年代株価が下落し、コーポレートガバナンスが大きな争点になるにつれ、収益率の低い国内投資は抑制され、投資はより高い収益率を求めて海外へ向かう。

このように考えると、現在議論されている税制改革の限界が見えてくる。諮問会議民間委員の主張する法人税税率引き下げも、経済産業省の主張する投資優遇政策減税も、税引き後収益率の若干の上昇をもたらすが、過去を引きずる日本の低収益率を劇的に改善することにはならない可能性が高い。もちろん法人税率の引き下げなど、国際的な税制改革の流れの中で、資源配分の効率化という長期的な税制改革の一環として考慮しなければならないのも事実であるが、日本経済の閉塞状況を打破するという観点からすれば、資本の低収益率という根本問題改善への効果には疑問が多い。税制改革だけでない。税制改革を含め、ここ数年の構造改革の議論、そしてそれより前からの金融・財政政策による有効需要の喚起の議論は、資本の低収益率=過剰設備・過剰投資という日本経済停滞の源を除去するには力不足であると言わざるを得ない。そしてこれが政策論議の閉塞状況をもたらしているとも言える。

日本では投資の私的収益率は低いが社会的収益率は高い

以上、資本の低収益率を改善する方策についての経済政策の閉塞状況を見た。閉塞状況はきわめて深いように見える。しかしながらここで発想を転換することにしたい。ここでもう一度、日本経済は本当に過剰投資、過剰設備なのだろうか、と問い直してみよう。

実は過剰投資・過剰設備の議論に欠けているのは、投資や設備の持つ環境への外部性の評価である。我々の経済社会はもはや環境に対するインパクトを考えずに経済活動を行うことはマクロ的に見た場合でも許されない。特に日本のように周密な人口集中の環境ではそうである。ところが環境に対するこうした影響は市場経済に反映されにくい。現在の日本の「過剰設備」「過剰投資」は実はこうした環境への外部性を考慮しない私的な収益率で見た場合にそうなのであって、環境に対する外部性を入れた社会的収益率で考えれば、実は投資不足、設備(の更新)不足になっている可能性が高いのである。

例えば森林資源の涵養を考えてみよう。現在の木材の価格では、森林の維持はきわめて難しい。しかしながら水資源等の環境に対する影響の大きさを考え、また貴重なバイオマスとしてエネルギー需給の観点から考えるなら、現在の硬直し著しく非効率な林業とそれを放置している行政の根本的な改革とセットになった投資は、社会的な収益率は十分にあると考えられる。

都市の再開発にも、同じような側面がある。私的な収益率のみを考えるなら、その巨大なリスクを越えて可能になる都市再開発はおそらくごく一部に限られ、かつ似たようなプロジェクトになりがちである。しかし都市の建造物は私的な経済活動を越えて都市全体のアメニティやアイデンティティを規定する。そのように考えると、私的な収益率は低くても、社会的な収益率は高いプロジェクトはたくさんあるはずである。その際に、様々な既得権益とのしがらみから動きの遅い行政・法律の根本的な改革が同時に必要なのも、森林資源の場合と同じである。

企業部門(そして家計部門)の私的な投資についても同じことが言える。例えばマイクロタービンを使った分散型エネルギー源ネットワークを作り出すことは、それぞれ私的な経済活動としての収益性だけでなく、災害時のバックアップや連携、そして環境負荷への貢献を考えると、社会的な収益率は高いと考えられる。このように、単純に私的な経済活動と考えられてきた設備投資も、その環境への負荷や災害への対処を考慮すれば、単に私的な収益性でなく、社会的な収益性も考慮されなければならなくなってきているということが言えよう。このように社会的な収益性を正当に考慮するなら、日本の投資の平均収益率は、巷で考えられるほど低くない。

このように投資の収益率を、環境負荷やエネルギー、災害耐性といったレベルまで広げ、社会的な収益率まできちんと考慮すれば、日本の投資の収益率は決して低くない可能性が高い。問題は、そこで投資の収益率の低さではなく、投資を呼び起こす仕組みが存在していないか、著しく非効率である、ということである。

従来、こうした社会的な収益性と私的な収益性の乖離する分野に対しては、私的な経済活動では不十分になるということで、政府が様々な形で介入し、直接に高い社会的収益率をもたらすと思われる事業を行ってきた。これがいわゆる公共財の供給であり、それをいわば政府が独占してきたわけである(独占といっても、民間側にはそもそも低い私的な収益率のため参入する誘因がない訳であるが)。しかしこの停滞の12年を通じて白日の下にさらされたのは、こうした事業を行う主体としての政府の、度し難い非効率性であった。また、環境要因が次第に経済活動の主要な制約となるにつれて、今までの公共財とそれ以外の私的な財の区別が次第に判明でなくなりつつある。

そう考えるなら、今必要なのは、低い私的収益性しかもたらさないが、実は高い社会性を持つハイ・リスク・ロー・プライベート・リターンの様々なプロジェクトを、効率化を阻害する政府ではなく、私的利益の追求から効率化をもたらす民間が起こし、かつ相互に競争するような仕組みを作ることであることが分かる。そしてそれは、市場経済の中で自然には生まれないことは、私的収益性の低さからの日本の停滞を見れば一目瞭然であろう。ここに国家としてのいわばシステムデザインが必要なのである。

『富裕税』と『「社会投資」税額控除』で「社会投資ファンド」市場の創設を

こうしたシステムデザインとしてもっとも強力なものは税制である。そこで以下のような税制を提案したい。それは高所得層に対する『富裕税』と『「社会投資」税額控除』の組み合わせである。以下、粗削りであり、未だ抽象的であるが、このような方向性が今後必要と思われるので説明を加えることにしたい。

エッセンスは、現在日本でマクロ経済的に見て有効に機能していない金融資産の多くを持つ高所得層が、ハイ・リスク・ロー・プライベート・リターンの様々なプロジェクトへの投資をする誘因を作ることである。まず、高所得層に、『富裕税』(高所得分に対して、追加税率を適用する)を課す。しかし税収を上げるのが目的ではない。実はこの富裕税額から、あらかじめ認定された『日本に対する社会投資ファンド』に新規投資した分を税額控除するのである。そしてもし高所得層が投資を選択せず、税収が生じた場合は、それを特定財源として、政府自身が『日本に対する社会投資ファンド』に投資するというスキームである。ただ税収による政府の投資が目的ではない。このスキームによって、民間で『日本に対する社会投資ファンド』の市場が立ち上がり、それが機能するようにすることが目的である。

ここで言う『日本に対する社会投資ファンド』は日本社会、特にその環境に対して大きな正の外部性の見込まれる投資である。したがって私的な収益性は低く、場合によっては負になるかもしれない。ハイリスク・ローリターンなので、そのため通常の資本市場で競争的な条件で資金調達はできず事業化できない。既に見たように森林資源ファンドといったようなもの、その他街づくりファンドなども考えられよう。更には、環境改善のための様々な設備更新も利用が考えられる。例えばミニミルの設備のファンドというものもそれが十分に環境に対する正の効果を与えると考えられるならこうした『日本に対する社会投資ファンド』の一つと考えてもよいであろう。

重要な点は、これらはプロジェクトファイナンスの形をとり、ファンド形式の直接金融で行うことである。そしてそうしたファンドは適当な「市場」に上場され、取引される。税額控除適格性は、この市場に上場していることである。プロジェクトは民間の事業主体によってなされ、競争的な資金調達がこのファンド市場で行われる。そしてこうしたファンドの格付けが民間によって行われ、その上場適格性も政府とは独立の民間機関によって決定される。こうして通常の競争的な市場と同じように、効率的な資源配分がもたらされる仕組みである。ただこれが通常の市場と異なるのは、こうしたプロジェクトの私的な収益率は他の市場に比べて著しく低いので、通常の資金市場と同じ形では資金供給は行われない。そこで税制を通じてこうした市場への資金供給を作り出すのである。

このスキームは、他の税制改革の提案とは異なる性格を持つ。

現在議論されている法人税減税や政策減税は、そもそも市場での投資収益が低い状況ではその効果は限られる。これに対して『富裕税』と『「社会投資」税額控除』の組み合わせスキームは、全く新しい、今まで存在しなかった需要を作り出す。そしてその需要は家計部門の資産の社会的有効利用という形をとる。したがって影響は直接的であり、家計、企業部門が政府の行動に対して相殺行動をとるといういわゆるリカード効果によって効果が減失することは考えにくい。

また、このスキームはプロジェクトファイナンスや様々なファンドの発展をもたらし、現在の金融機関を通す間接金融や株式市場を通す直接金融とは異なった金融の仕組みを作り出す。そこでは「社会投資ファンド」が主なものであるが、そこで生み出されることが期待される様々な新しい金融手法は、その他の金融市場に応用可能であり、著しく沈滞した現在の金融市場の活性化にも大きな刺激となる。そして環境問題の国際的重要性を考えるなら、その手法は他国へ「輸出」することも可能であろう。

そしてこのスキームは「政府による投資」でなく、民間の「市場原理」による投資である点が重要である。政府は、税制によってこうしたファンドの市場を作り出すが、市場の動きは市場原理、つまり少しでも収益のよい、つまり効率的なファンドがよりファイナンスされるという原則が貫徹されるのである。

フェアな税制改革としての『富裕税』と『「社会投資」税額控除』の組み合わせ

そして「応分の負担」という意味でもフェアなスキームであろう。高所得者はその高能力で効率的なファンドを選び効率的な資源配分に貢献する。そして収益率が株式や債券より相当低い、場合によってはマイナスである、ということで負担をおう。そしてその負担分が社会的収益率と私的収益率の差を埋める形となっているのである。

この点は重要と思われるので、もう少し説明したい。政治的に見て税制改革はフェアでなければならない。過去の欧州福祉国家並高政府支出を米国並低租税負担で行ってきたツケを今後日本の国家として支払っていかなければならないことは事実として受け入れざるを得ない。その一環として現在の税制改革があるのである。その際に負担が偏るフェアではない税制改革は国民の支持を長期間にわたって得ることは不可能であろう。

特に最近の様々な改革案の基礎となっているのが、税負担ベースの拡大であることを考えると、フェアかどうかの観点から問題がないとは言い難い。国家のサービス供給に必要な税収の確保を考えたとき低所得者層に負担を広げる必要があることは否定できないが、同時に高所得層にも応分の負担を求めない限り、国民の広範な支持は得られないだろう。

しかし「応分の負担」を単純な「税負担」として考える必要はない。もし「高所得」が「高能力」を意味するとするなら、こうした高能力の人々は、国の機関よりも収益機会に対する感受性は高く、行動も機敏であろう。とすると、国が税をとって行う「投資」を国のかわりにこうした高能力の人々に肩代わりして行ってもらうのが、効率性面からいっても望ましい。提案した「社会投資ファンド」市場の創設は、まさにそれを目的としてものである。

今後に必要なのは、国民の広範な「日本コミットメント」である。タックスベースを広げ、低所得層にも応分の負担をお願いするというのは、低所得層にも単に日本政府によるサービスの享受者ではなく日本に対するコミットメントを明確にするという意味合いがある。同様に高所得層にも日本に対するコミットメントをお願いするのは極く自然であろう。それは別段税の負担に限る必要はない。日本という社会・環境に対する投資という形も、重要なコミットメントなのである。

新しいワインには、新しい革袋がふさわしい。21世紀の日本経済が新しい繁栄を見るためには新しい考え方、新しいスキームが必要である。そのためには「繁栄」の意味の問いかけも必要であろう。単純な米国式ビジネスモデルに立脚した回復を望むのは、必ずしも明るい未来をもたらすものではないことは最近の米国の動きが示唆している。12年に及ぶ停滞とそれがもたらした様々な苦痛や悲劇を考えたとき、この12年のあとに新しい経済の血が日本経済に流れるようにするのが国民の意思であり、国民意思の受託者としての政治の役割はそこにあるはずである。

全文はPDFファイルをご参照ください。

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