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公的コミットメントの整理とそのデフレ効果1)  - FTPLの世界

富士通総研研究顧問(早稲田大学教授)岩村 充

2002年7月

要旨

政府はディフォルトするか

国債の特色はディフォルトしないことである。通貨の制度的スポンサーはその国の政府であるから、政府が自国通貨表示で発行した国債は、政府が自ら不履行を選択するのでない限り、名目ベースでは必ず履行できる。国際的にみて政府のディフォルトは外貨準備の枯渇に悩む中南米諸国などでしばしば生じているが、そこで生じているのは外貨建て債務の不履行問題であり、同じことが自国通貨建て債務について生じるわけではない。一部の格付機関による日本の国債格下げの動きが報じられているが、債務不履行の可能性を評価するはずの格付機関が、自国通貨建てと他国通貨建ての債務不履行問題を混同して論じているのだとしたら、それはナンセンスであるというほかはない。

ところで、ディフォルトしない債務というのは国債に限らない。中央銀行の債務である銀行券もまたディフォルトしない債務である。銀行券債務の履行は銀行券でなされるのであるから、そのディフォルトは論理的にあり得ない。そして、政府が自国通貨建て債務の支払いに関してディフォルトしないということと、中央銀行の銀行券債務がディフォルトしないということとは、実は表裏の関係にある。多くの国の中央銀行は自国通貨建ての国債を見返りに銀行券を発行し、更に剰余金を国庫に納付する仕組みを持っている。それは、名目債務の支払能力という点において、中央銀行と政府はあわせて広義の公的部門を形成しており、両者が区別できないことを示すものでもある。

しかし、国債や銀行券が名目ベースでディフォルトしない債務であるということは、その発行者である政府や中央銀行が実質ベースで無から有を生み出せるということと同じでない。そして、無から有を生み出せないのであれば、彼らが現在から将来に向けて支払わなければならない債務の時価総額は、彼らが現在から将来に向けて稼得可能な収入の時価総額に見合っていなければなるまい。そうでなければ、彼らの中に、彼ら自身をも含めて誰にも帰属しない剰余金や、誰も負担しない欠損金が残ってしまうことになり、それが市場に見逃されるはずがないからである。この観点からは、物価の調整とは、そうした誰のものでもない剰余や欠損を残さないよう、彼ら公的部門の資産時価を調整する市場のメカニズムだと解釈することができるだろう。

金のような有限な資源とのリンクを断ち切った管理通貨制度の下では、名目価値のスポンサーである政府は、中央銀行と連携すれば、いくらでも名目債務を負担することができるし、その債務は名目ベースでは必ず履行できる。だが、それは履行ができるようにマクロ的な経済の調整プロセスが働くからである。このことを軸にして物価水準を解析しようとするアプローチが、近年、経済学の分野で注目を集めつつある「物価水準の財政理論 : FTPL(Fiscal Theory of the Price Level)」である。FTPLの世界では、政府がディフォルトするかどうかは問題ではなく、政府がディフォルトしないことから生じる物価調整が問題になるわけだ。

多少の説明をしておくと、この理論は、理想的に設計された企業会計において資産を完全に時価評価すれば、その総額は負債及び資本の時価総額と一致するはずだとする企業金融の基本的な命題に通じるものでもある。名目価値を与件として会計処理をする企業においては、バランスシートの左側にある資産の名目価値つまり時価を基準に、その右側の負債と資本の時価が決定される。資本の時価がゼロを下回ったときがディフォルトである。これに対して、名目価値のスポンサーである公的部門においては、バランスシートの右側にある国債や銀行券の価額を自分で決めてしまっているのでディフォルトはない。バランスシートから決まるのは、右側でなく左側つまり資産の名目価値であるが、それはマクロ経済ベースでの物価決定がそこで行われることを意味する。共通するのは、バランスシートの右側と左側を等しくしない機会を市場が見逃すはずがないという考え方、すなわち裁定の理論である。

本稿の目的は、このFTPLの理論を用いて、現在の日本の問題を考え直してみることにある。

FTPLの世界

まず、FTPLの理論的枠組みについて整理しておこう。FTPLの最も単純化されたモデルは、

現在の物価水準= 公的部門名目コミットメントの現在価値  公的部門実質サープラスの現在価値

という形式の均衡物価決定式である。公的部門名目コミットメントとは、現在から将来にわたって公的部門が支払わなければならない債務つまり国債及び銀行券の名目金額であり、公的部門実質サープラスとは、同じく現在から将来にわたって公的部門が稼得できる税収その他の収入から支出を控除した債務支払い財源の実質値である。つまりこの理論では、ディフォルトによって書き換えられるということのない公的部門に帰属する名目価値を、同じく公的部門に帰属する実質価値で除したものが物価だと考えているわけだ。

では、ここでクイズである。この物価決定式の中のどこに中央銀行がいるのだろうか。この式の分母にも分子にも、一般には「物価の番人」とされる中央銀行の姿が見えてこない。それはなぜなのだろうか。

答は、この物価決定式の分母と分子は現在の価額ではなく、その将来予想の現在価値で表現されているというところにある。現在価値で表現されているということは、将来予想の現在価値への引き直しに利子率が必要になるということであり、したがって利子率の決定者たる中央銀行は、単なる公的部門の一員であるという以上の役割で物価に関与できるわけだ。実質ベースで評価している分母に適用されるのは財の市場での利子率つまり自然利子率で、これは短期的には操作の余地はないが、名目ベースで評価される分子に適用されるのは貨幣の市場での利子率つまり名目金利であるから、この名目金利の決定を通じて中央銀行は「物価の番人」であり続けるのである。中央銀行が名目金利を引き上げれば、分子に適用される割引率が大きくなるので物価は低下するし、名目金利の引き下げは逆に物価の上昇をもたらすことになる。

しかし、このことは、「物価の番人」としての中央銀行の能力に限界があることを示すものでもある。

中央銀行は無記名無期限の銀行券を発行することによって名目金利を操作しているので、その銀行券の金利がゼロである以上、貨幣の管理価格である名目金利がゼロを下回ってマイナスになることはない。名目金利をマイナスにしようとしても、銀行券需要が大きくなるだけで、金利はゼロより下には行かない。そして、名目金利がゼロの限界にヒットしてしまったとき、中央銀行の物価コントロールも限界にヒットしてしまったことになる。分子の割引ファクターである名目金利を下げることができなくなれば、分子を操作して物価を上げることもできなくなるからだ。その状態にあるとき、更に経済にデフレ方向の力が働けば、中央銀行の力ではそれを中立化できなくなるだろう。日本が陥っているのはこの限界状況であるといえる。

ところで、中央銀行の物価コントロールについては貨幣数量説という考え方がある。この世界の中央銀行は本質的にパワフルである。中央銀行が際限なく貨幣を供給すれば物価は限りなく上昇するし、貨幣供給を絞れば下落する。中央銀行は、その気になりさえすれば、財政部門の動きがどうであろうと単独で物価をコントロールできる。日本のデフレ状況に対して、貨幣供給を増加させてともかく物価の下落を止めよという提言が数多く行われているが、そうした提言の背景には、貨幣数量説的でパワフルな中央銀行に対する思いがあるといって良いだろう。

これに対して、FTPLの世界における中央銀行は、ずっと控えめな役割しか与えられていない。FTPLでも貨幣の量が意味を持たないわけではないが、それは公的コミットメントの量の一構成要素として意味を持つだけのことであり、貨幣の量が単独で物価を決めるという図式はない。中央銀行に残された「武器」は現在と将来を結ぶ貨幣の相対価格つまり金利であるが、それを完全に中央銀行がコントロールできたとしても、コントロールできるのは要するに相対価格なのであるから、中央銀行だけでは決して実現できない物価水準や物価水準の経路が残ってしまうことになる。FTPLの世界では、デフレやインフレに対するには、中央銀行だけでなく公的部門の活動全体を視野に入れて考える必要があることになる。

構造改革のデフレ効果

さて、FTPLが物価水準の決定要因としての公的部門の債務すなわち国債及び銀行券に注目するのは、それがディフォルトしない名目債務だからである。ところが、ディフォルトしない債務というのは国債と銀行券に限らない。公的年金を始めとする様々な社会保険給付はディフォルトしない公的債務であるし、地方公共団体や特殊法人の債務なども広義の政府活動を構成するものとしてディフォルトしない債務である。これら政府の周辺的なコミットメントは、それが名目価値としてディフォルトしない制度的保証が与えられているがゆえに、国債や銀行券と同様に物価を決定する式の分子を構成することになる。この点に注意すれば、単に国債や銀行券の名目残高と財政の実質サープラスとのバランスで物価が決定されるという理論としてだけでなく、管理通貨制度の下でディフォルトから自由になった様々な公的主体の活動が物価水準に及ぼす影響を分析する理論的枠組みとして、FTPLを解釈することができることになる。

ところで、現在の日本で進められているのは、これら周辺的コミットメントの整理である。周辺的コミットメントは、それが周辺的であるがゆえに適切にプライシングされていないことが多く、その早急な整理が必要であることは間違いあるまい。

しかし、FTPLの理論が示唆するのは、政府の周辺的コミットメントを行うのならば、それに見合ったサープラスのスリム化が必要で、それなしにコミットメントの整理を行えば、物価には下げ圧力が発生するということである。FTPLの文脈からは、政府の周辺的コミットメントの整理は物価決定式の分子を軽くするものであるから、それに見合う分母対策、たとえば減税や社会保険料の軽減を伴って実行されるのでなければ、経済にはデフレ効果が生じるからである。

そして、これは、現在の日本が取り組むべき3つの問題、すなわち、構造改革、財政再建、デフレ対策、この3つの解決しようとするときに覚悟しなければならない条件を私たちに突きつけるものである。その条件とは、日本が直面するゼロ金利制約の下では、この3つの問題を同時に解決できない、解決できるのは2つまでであるということである。日本ではデフレ対策が何よりも重要だというのであれば、政府の周辺的コミットメントの整理が、その副産物として財政再建にも役立つであろうというような期待は持たない方がよい。デフレ対策を語りながら構造改革と財政再建の二兎を追わない方がよいのである。

断っておくと、筆者は、物価の下落つまりデフレを避けるために構造改革と財政再建をあきらめよとかどちらかを先送りせよと主張しているのではない。長期的にみれば、構造改革も財政再建も水準調整である。水準調整から生じるデフレ効果ならいつかは解消する。そう腹を決めて改革を断行するのは、デフレ下の日本においても、なお価値のある選択肢である。だが、構造改革と財政再建を同時に追及したいのなら、そのコストであるデフレについて覚悟を決めなければならない。

必要なのは選択であり、選択のコストについての覚悟なのである。

1) 本稿は、本研究所における渡辺努客員研究員(一橋大学教授)との共同研究成果の一部を、筆者の責任においてまとめ直したものである。

2) FTPLの理論的枠組みと日本への応用可能性については、岩村充・渡辺努「ゼロ金利下の物価調整」、財務省財務総合政策研究所『フィナンシャル・レビュー』(近刊)参照。

全文はPDFファイルをご参照ください。

PDF 公的コミットメントの整理とそのデフレ効果1) - FTPLの世界 [81.5 KB]