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生産性格差とデフレーション

客員研究員 (一橋大学助教授)渡辺 努

2001年10月

要旨

高須賀博士の生産性格差インフレ論

今から40年前の1961年10月、「現代日本の価格体系」と題する論文が発表された(『フェビアン研究』第12巻第10号、高須賀義博著『現代日本の物価問題』(新評論、1972年)所収)。この論文は、当時の重要な政策課題である消費者物価上昇の発生メカニズムを探ろうとするもので、著者である高須賀博士は、日本経済の二重構造にこそ原因があると指摘した。

高須賀博士によれば、日本経済には生産性上昇率の高い企業群と低い企業群がある。前者は主として大企業であり、後者は中小・零細企業である。中小・零細企業は、「資金調達機構の不備」という制約があるため十分な設備投資ができず、生産性が停滞すると博士は指摘している。2つの企業群の間の生産性上昇率格差は、産出価格上昇率の違いか、あるいは、名目賃金上昇率の違いに反映されるはずである。高須賀博士によれば、当時の日本経済では中小企業労働者が大企業に引き抜かれるなど労働市場の流動化が進んでおり、名目賃金上昇率が両企業群間でほぼ等しいという状況が実現されていた(「労賃の高位平準化作用」)。その結果、生産性上昇率格差は価格上昇率の違いとなって現れる傾向が強かった。

生産性上昇率格差が価格上昇率格差に現れるということは、高生産性企業群の産出価格の相対価格が低下することを意味する。ここで重要な点は、必要とされる相対価格の変化は、高生産性企業群の絶対価格の低下、または低生産性企業群の絶対価格の上昇のいずれでも実現できるということである。高須賀説の核心は、必要とされる相対価格の変化は高生産性企業群の価格低下ではなく、低生産性企業群の絶対価格の上昇というかたちをとるという指摘にある。

高須賀説によれば、生産性上昇率の高い企業群は独占的な価格支配力をもつ大企業であり、これら企業は「独占的超過利潤」を得るために生産性上昇にもかかわらず価格を硬直的に維持しようとする。これは当該企業に対する賃金引き上げ要求を誘発する。これに対して大企業側では、「異常に高い独占的超過利潤の永続的取得は他資本流入の危険を高める」ので、賃上げ要求に妥協する傾向がある。このようにして経済の一角に高賃金企業群が出現すると、労働の流動性が確保されている状況では、そこに労働力の集中が進み、その一方で低生産性企業群では労働力不足、そして労働需給の逼迫を反映して名目賃金の上昇が生じる。低生産性企業群では、生産性上昇率が低いにもかかわらず名目賃金が上昇する結果、産出価格を引き上げざるを得なくなる。このようにして生産性上昇率格差を反映した相対価格の変化が実現するのである。

高生産性企業群の価格が不変で推移する一方、低生産性企業群の価格は上昇するのだから、全体としての消費者物価は上昇することになる。高須賀博士は、当時の日本経済で起きていることは正にこのメカニズムであると主張した。これが高須賀博士の生産性格差インフレ論である(余談であるが高須賀博士自身はこの名称を好まず、理論に忠実に「生産性変化率格差インフレ」と呼称することを望んでいたそうである)。

バラッサ=サムエルソン仮説

今からみると、高須賀説にはやや不適切な部分もある。特に、高生産性企業群の価格が硬直的になる根拠として博士が大企業の市場独占を挙げている点は、今の時点での知識を前提とすれば必ずしも適切でない。筆者には、当時影響力の強かったマルクス経済学の発想が強すぎるようにみえる。高生産性企業群は、今の言葉でいえば貿易財(tradable goods)産業であり、当時この産業の産出価格が安定していた最大の理由は円がドルに対してペッグされていたからである。貿易財のドル建て価格が概ね安定している中にあって為替相場も変動しなかったため貿易財の円建て価格も安定していたと解釈するのが適当である。一方の低生産性企業群、今の言葉でいえば非貿易財(non-tradable goods)産業では、国際競争力に晒されないために生産性上昇率が低く、貿易財産業との生産性上昇率格差だけ価格が上昇したのである。

高須賀説をこのように貿易財・非貿易財の枠組みで解釈すれば、高須賀説は、国際経済学の教科書でバラッサ=サムエルソン仮説(あるいはハロッド=バラッサ=サムエルソン仮説)とよばれている考え方に酷似している。バラッサとサムエルソンはそれぞれ独立に論文を書き、ともに1964年に刊行している。高須賀博士はこの2つの論文の刊行の3年前にはほぼ同じアイディアの論文を発表していたことになる。これほどの重要な貢献が日本語で書かれていたために国際的には全く注目されなかったのは残念なことである。高須賀博士がサムエルソンらとは独立に生産性格差インフレ論の着想を得たのか、それともサムエルソンらと何らかの接点があり彼らのアイディアに触発されたのか、興味深いところであるが、高須賀博士が既に故人となられた今となっては真相を知ることはできない。

今なお残る生産性上昇率格差

高須賀説の根拠になっている諸変数の動きを数字で確認してみよう。ここでは、貿易財産業の代表として機械産業(電気機械+一般機械+輸送機械+精密機械)を、また非貿易財産業の代表としてサービス産業をとることにする。まず1955年から1975年までの20年間をみると(この期間はほぼドル・ペッグの時期である)、労働生産性上昇率(年率換算)は機械産業で12.5%、サービス業で3.0%であり、その格差は9.5%であった。同時期の価格上昇率(付加価値デフレータ上昇率)は機械産業で1.6%、サービス産業で8.6%であるから、その差は7.0%である。若干の誤差はあるものの、高須賀説の指摘するとおり、両産業の相対価格変化率は生産性上昇率の格差にほぼ見合っている。

この事実は、その裏側で、名目賃金の上昇率が両産業間でほぼ等しいという「労賃の高位平準化作用」が働いていることを示唆している。実際、名目賃金上昇率は機械産業で11.7%、サービス産業で15.1%となっている。生産性上昇率が低いサービス産業で名目賃金上昇率が高く、それが産出価格に転嫁されているという事実は、高須賀説のストーリーと整合的である。

次に1975年から1995年までの20年間で同じ計数をみると、労働生産性上昇率は、機械産業で8.9%、サービス業で0.8%であり、その前の20年間と比較すると、両産業ともに上昇率の低下は顕著である。しかし注目すべきは、それにもかかわらず生産性上昇率の格差は8.1%と依然として大きく、水準としてはそれ以前の20年間と大差ないという点である。高須賀博士が注目した生産性上昇率格差はフロート制移行後も日本経済の重要な特徴として残っているといえる。この20年間は、石油危機、プラザ合意、バブル膨張・崩壊など、日本経済が数々の大きなショックに襲われた時期であり、また政策面でも多くの分野で規制が緩和されるなど経済を取り巻く制度が大きく変化した。そうした動きにもかかわらず、生産性上昇率格差がほとんど変わらず残っているということは興味深い事実である。

生産性格差デフレ

1975~95年の期間で更に興味深いのは両産業の絶対価格の動きである。この期間における価格上昇率は、機械産業で - 3.4%、サービス産業で4.0%となっている。価格上昇率の差は7.4%であるから、生産性上昇率の格差(8.1%)とほぼ見合っており、この点では1955~75年の期間と変わりない。生産性上昇率の格差が相対価格の変化率を決めているという高須賀博士の主張は引き続き成立している。

高須賀説との大きな違いは、機械産業の絶対価格の動きである。高須賀説によれば、機械産業の担い手である大企業は「独占的超過利潤」を得るために、生産性が大きく上昇しても価格は引き下げず、その分、名目賃金が上昇するはずである。しかし実際には、この期間の機械産業の生産性上昇率(8.9%)に比べると名目賃金上昇率は低く(5.3%)、その差が絶対価格の下落( - 3.4%)として現れている。これは、1955~75年の期間で機械産業の生産性上昇率と名目賃金上昇率がほぼ等しく、その結果、絶対価格の上昇率がほぼゼロで、高須賀説と整合的になっているのと好対照である。

この違いはどこからくるのであろうか。第1に指摘すべきは、機械産業、より一般的には貿易財産業を取り巻く国際競争環境の違いである。機械産業などの貿易財産業では、製品価格を引き下げることによって国際競争力を獲得することが重要な経営課題になっている。具体的には、電機や自動車に典型的にみられるように、労働生産性を引き上げる一方で名目賃金の上昇を極力抑えることにより製品価格を引き下げるという戦略が採られている。これは、高須賀博士の想定する独占的な価格形成とは全く異なる価格設定行動である。

第2に指摘すべきは為替相場制度の違いである。生産性上昇率格差が相対価格変化率を決めるという特徴は、2つの期間に共通してみられる。問題は、そうして決まる相対価格変化率がどのように実現するかである。高須賀博士のみていたドル・ペッグ制の下では、貿易財の円建て価格はドル建て価格に連動する。ドル建て価格が大きく低下しない限り円建て価格が下落することはない。したがって、相対価格の変化はもっぱら非貿易財価格が上昇することにより実現される。これに対して、フロート制の下では、貿易財の円建て価格はドル建て価格から乖離することができ、その差は名目為替相場により調整される。しかし貿易財価格は自由に動くということではなく、あくまで必要な相対価格調整を実現されるように変動するはずである。

実際のデータをみてみよう。1975~95年の間における生産性上昇率の格差は8.1%であり、それだけの相対価格調整が必要であったが、同時期の円 / ドル相場(名目)は年平均5.6%の円高トレンドにあった。この2つの数字を比べると、必要な相対価格調整のうち実に7割が名目為替相場の変化で実現されたことになる。これは、必要な相対価格調整の大半が円高によって惹き起こされた貿易財価格の下落によって実現されたということである。貿易財価格が価格調整の主体となった理由は必ずしも明らかではないが、貿易財価格と非貿易財価格の伸縮性の違いが重要な役割を果たしたことは間違いないところである。

ちなみに、筆者が渕仁志氏と共同で行っている価格粘着性に関する実証研究プロジェクトでは、サービスに代表される非貿易財の価格は限界費用の変化に対して反応が鈍く、粘着性が強い一方、貿易財の価格はこれとの比較では伸縮性に富むとの結果が得られている。この結果は、貿易財価格が相対価格調整の中心的な役割を果たしたことと整合的である。ドル・ペッグ制の下では貿易財価格が制度的な理由により強い硬直性をもっていたため相対価格調整は非貿易財価格が担ってきた。フロート制の下では制度的な制約がはずれたために、それぞれの財に固有な粘着性が表に現れ、相対的に伸縮的な貿易財価格が相対価格調整を担うようになったと理解することができる。

「生産論・構造論」と「貨幣論」の対立

生産性格差という単一の要因がドル・ペッグの下ではインフレの原因になり、フロート制の下ではデフレの原因になるという理解は非常に魅力的である。高須賀博士の「インフレーションに対する生産論・構造論的接近」がインフレのみならずデフレにも適用できる可能性を示唆している。インフレやデフレという一見したところ貨幣的な現象が、実はセクター間の生産性上昇率格差というすぐれて実物的な要因と密接に関係していることを明らかにしているという点で高須賀説は今なお有用である。

しかし同時に、高須賀説は、貨幣的な要因、具体的には中央銀行による通貨・信用のコントロールが物価に及ぼす影響を重視しないという点でも特徴がある。高須賀博士は生産性格差インフレ論を提起した後、貨幣的インフレ論を唱える当時の多数派の経済学者に対して学術論争を挑み、長期にわたる論争を展開した。しかし、その足跡を辿った印象では、そこでの高須賀博士の論理展開は説得力に欠けるようにみえる。

おそらく、現実の物価変動は、インフレであれデフレであれ、生産性格差のような「生産論・構造論」の側面と、通貨コントロールのような「貨幣論」的な側面の両方から分析するのが適当なのであろう。しかし残念ながら、筆者の知る限り、そうしたアプローチで物価変動のメカニズムを追求した例はなく、「生産論・構造論」対「貨幣論」の論争には決着がついていない

「生産論・構造論」と「貨幣論」の対立は、金融政策を巡る昨今の論争とも対応する。「デフレは金融政策の失敗であり、デフレ脱却に向けて日銀は最大限の努力をすべし」という「貨幣論」的な主張と、ユニクロ現象など供給サイドの要因を重視する主張は、必ずしも噛み合っていない。しかも、興味深いことに、「貨幣論」を主張する論者が同時に構造改革を主張する傾向が強いように見受けられる。現在小泉内閣が進めている構造改革は、大つかみにいえば、低生産性企業群に滞留している経済資源(ヒト・モノ・カネ)を解放し、高生産性企業群に振り向けようとする試みである。つまり、構造改革とは貿易財部門と非貿易財部門との間の生産性上昇率格差を是正する作業である。生産性上昇率格差を是正する地道な作業こそがデフレーションからの最も有効な脱却方法であることは正しく認識されるべきである。

全文はPDFファイルをご参照ください。

PDF 生産性格差とデフレーション [116 KB]