成功の報復
東京工業大学教授 渡辺 千仭
2001年4月
本文
政府はこの5年間に17兆円を科学技術に投資した。だが、期待とは裏腹に産業の研究開発投資は大幅に減少した。これは「景気さえ本格的に回復すれば......」という問題であろうか。80年代までの成功の報復がこの面でも顕在化してきているのではなかろうか。
インプット大国の盲目
米国の経済学者カルドアは、「成長こそ最大の技術進歩要因である」と指摘した(1962)。技術進歩が戦後の我が国の成長の原動力となり、競争力の源泉をなしたことは論を待たない。これは21世紀においてもしかりである。否、少子化・高齢化の進む21世紀においては20世紀以上に技術進歩への期待が高い。 1997、1998年と続いた戦後初の連続マイナス成長も1999年になってやっとプラス成長に転じた。産業の研究開発投資も久方ぶりに増大するものと期待された。だが、昨年末に総務庁が発表した1999年度の「科学技術研究調査報告」は、全く逆の結果を暴露した。製造業の研究開発投資は前年に比べて2.9%減少し、その売上高比率はなんと5.4%も減少している。
政府は2000年度までの5年間に、科学技術基本計画に沿って17兆円を科学技術に投資した。今年度から始まる第2期基本計画では、24兆円の投資が計画されている。先進国こぞって研究開発投資の持続が頭痛の種となっている中で異例中の異例である。技術立国に国の生存を賭する我が国の心意気を示すものである。低迷しているとは言え、官民双方の研究開発投資はGDPの3%を占め、世界トップレベルである。これらの数字を見る限り我が国は文字通り技術大国である。だが、研究開発投資面の大国はインプット大国にすぎず、それは必ずしも本来希求すべき、そのアウトプットに即した本来的意味での技術大国と同義ではない。
その限りにおいて、最近つとに我が国の研究開発投資の生産性の低さが問題視されるに至っている。先の総務庁の統計もその問題を端的に示している。我が国においてこの問題は今まであまり直視されずに来た。それは、第1にカルドアの法則に従った高成長故の技術進歩により研究開発投資の生産性も高いものとの錯覚が横行したことである。第2に、官民を問わず研究開発の収益性概念がきわめて希薄であったことによる。そして、第3に、研究開発の生産性や収益性を計測.評価する技術そのものが欧米に比して著しく立ち後れていたことに起因する。
実際、研究開発投資の軌道運用はきわめてナイーブなものである。成長の成果を、リードタイムもリスクも確実性も、またリターンの確率程度も全く異なる生産投資とどのようなペースで、どのような割合で配分するかを走りながら瞬時に決定するようなものである。その判断の結果は確実にはね返り、軌道運用を揺さぶる。少なからぬハイテク企業が過去に手痛いやけどをした。その経験はいたずらな重武装を促し、株主や消費者もそれを無審査で容認してきた。米国が直接資本市場からの収益性に対する圧力を背景に研究開発投資の生産性や収益性の評価を徹底的に行い、それが選択と集中の共存をもとに史上最長のインフレなき持続的成長をもたらしたニューエコノミーの基盤となる創造性と効率性が両立した産業構造を実現したのと好対照である。この好対照は、1980年代までと90年代以降との好対照、日米逆転の源泉でもある。成功の報復はこのような形で姿を現しつつある。
大国の興亡
1980年代までの米国には、経済成長→賃金上昇→インフレ→金融引き締め→投資の抑制→経済成長の停滞、という悩ましいブレーキ構造が内包していた。これに対して、日本には、経済成長→技術開発→成長制約生産要素の代替→成長の持続→更なる技術開発という好循環構造が内包していた。 日本の誇ったこの好循環構造は、80年代に世界中が注目した日本的経営システムの基盤となった日本型雇用システムが内包した次の3要素によって作り上げられていた。 1. 賃金上昇を生産性上昇の範囲内に抑えながら持続的成長を実現する「生産性基準原理」(1969年に日経連により提唱) 2. 若年労働者の賃金を労働の限界生産性以下に抑制し、その差額を将来の投資に充てる「見えざる出資」 3. 以上のシステムのもとでの「技術改善努力への邁進」 この3要素もまた実に精妙なシステムを形成して、産官、労使を問わず、国を挙げて旺盛な研究開発投資に勤しませることになった。何せ、技術改善に取り組めば取り組むほど賃金も上がり、同時に生産性も上がり、成長も担保され、加えて研究開発を始めとする将来の投資のための資金まで用意されるからである。我が国が世界に冠たる技術進歩をとげた裏にはこのような産官、官民すべてが「その気になる」ような精妙なシステムが作り上げられていたのである。 しかし、バブル経済崩壊後の1991年以降、日本には「インフレなき賃金上昇」をベースとした持続的成長に構造的なかげりが顕在化した。これと好対照に、米国は本年初頭に至るまで史上最長のインフレなき持続的成長のニューエコノミーを謳歌した。日本の「失われた10年」であり、日米逆転であり、まさに大国の興亡を地で行くものである。
死に至る病
なぜ、歴史の傑作とまで言われた日本の精妙な好循環のシステムがいとももろく破綻することになったのだろうか。根は深く構造的かつシステム的である。好循環構造の貢献者たる先の3要素について一つ一つ病巣を洗い出して見る必要がある。
(1).「生産性基準原理」の病巣
「生産性基準原理」のからくりは、一言で言うと賃金の上昇に対して生産性上昇が敏感に反応する体質であり、経済用語で表現すれば、賃金の生産性上昇に対する高弾性値構造である。労働・資本の両生産要素に技術進歩を体化させた生産関数によりこの弾性値の推移を見ると、1991年以降この値はそれ以前の3分の1に激減し、賃金の上昇が生産性上昇に反応しなくなっていることがわかる。その原因は、何にもまして技術による労働代替の低下であり、資本分配率の減少や労働の相対価格の上昇がこれに次ぐ。
(2).「見えざる出資」の払底
「見えざる出資」の妙技が実現できたのは、何と言っても持続的成長のもとでの終身雇用が保証されていたからである。その前提のもとに、労働者は高齢時に還付されることを信じた貯金のつもりで若年時には自己の能力(限界生産性)以下の賃金に甘んじて滅私奉公してきたのである。そして、企業の方も「めっけものの財源」のつもりで、それをリスクや不確実性が高い代わりに「一攫千金」の可能性を秘める研究開発等の投資に充ててきたのである。年齢階層別の性別・学歴・勤続年数に応じた賃金プロファイル及び各クラスターの賃金と雇用者数の変化率の差から算出した労働の限界生産性をもとに「見えざる出資」の推移をトレースすると、これも1991年のバブル経済の崩壊に伴う、あるいはそれと軌を一にする低成長や終身雇用制度の破綻等とともに急減してきていることがわかる。
(3).「技術改善努力への邁進システム」の破綻
「見えざる出資」に裏付けされた旺盛な研究開発投資は、着々と技術ストックを増やし、それを着実に資本や労働に体化させ、技術による労働代替を促し、労働生産性を高め、「生産性基準原理」の実行を可能にし、先に見た好循環を実現した。しかし、「見えざる出資」の払底はこの循環を根本から分断することになった。 かくして、1990年代に入ってからの経済の低・マイナス成長や高齢化等のパラダイム変化とともに、日本型雇用システムにもかげりが生じ、「見えざる出資」の払底→資本分配率の低下→研究開発投資の抑制→技術ストックの停滞→技術体化の停滞→技術による労働代替の停滞→「生産性基準原理」の綻び→インフレなき持続的成長軌道の逸脱→日本型雇用システムのきしみ→「見えざる出資」の更なる払底により、3要素の精妙なシステムのほころびが連鎖的に進み、日本が誇った、「経済成長→技術開発→労働制約の代替→成長の持続→更なる技術開発」の好循環構造が破綻の道に入り込んでしまったのである。
インステイテューショナル・エラステイシテイ
かくのごとく、研究開発離れの根は深い。政府研究開発投資を24兆円に増やすだけで糊塗できる代物でないことは、17兆円の投資結果にして産業の研究開発投資の減少に帰結したことを見れば明らかである。しからば、どうすべきか。対応は、かつての世界に冠たる旺盛な研究開発投資の裏付けとなった「見えざる出資」の構造的払底が時代の宿命であることを認識するところから始まる。そして、それは、必然的に、投資額の増大を至上命題とする視点からシステム効率の上昇を追求する視点への覚醒を求め、それは、 1. 情報化・国際化のもとで国境を越えてスピルオーバーする技術のフル活用、そのための同化能力の革新、及び 2. メガコンピテションとユーザーの選好の激変・多様化のトレードオフ課題への同時解を指向した、コアコンピタンスへの特化と戦略的提携等ルースカップリングによる多様性の確保の共存、をねらうことになる。これはいずれもITのフル活用を前提とするものであり、それを可能にする柔軟な経済・社会・制度への脱皮がすべての鍵となる。
