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枠組みが主役の時代から個が主役の時代へ

(財)2005年日本国際博覧会協会 事務総長 坂本 春生

2001年4月

要旨

日本の社会はこれまで枠組みが主役の社会であった。日本という国家をひとつの箱と考えると、国民を行儀よく並べて、なるべく上下の差ができないように、上や横に飛び出す人がいないように、落っこちる人もでないように箱をきちんと作り、それをクレーンで一挙に引き上げてきた。こういうかたちで急速に豊かになってきた。

こうした枠組みが主役の社会はある時期よかったが、だんだん豊かになってくると、箱の中にいるのは耐えられないという気持ちが出てくる。そこで、天井を破り、窓を壊し、床も少し開けるというのが、競争原理の導入であり、規制緩和ということである。20世紀は、気持ちはあったけれどもまだ変わりきれていなかったが、21世紀に入り本当に個が主役の時代になる。

これからの日本という舞台が、個にとって快適で魅力的な舞台であって、そこでいかに多くの個がのびのびと、気体のように自由に飛び回ることができるか。気体のような個が自由に舞うエネルギーのトータルとして、国がよくなったり、企業がよくなったり、学校がよくなったりするのが、21世紀の姿ではないだろうか。

これまでの競争は、就職競争も入学競争も熾烈な競争であったが、本当に個の実力を競うものではなく、枠組みに入るための競争だったから、枠組みに入ってしまったらもう競争は終わりになった。個が主役になると、どこかの枠組みにぶら下がっていくのではなく、自分の力で社会に存在していく、企業とか学校の名前ではなく、自分の価値で生きていくことになる。

日本で個が主役となっている分野はまだ少ないが、小売の世界、消費市場はすでに完全に生活者が主役になっている。かっての日本は、枠組みがよくなればみんなもよくなるということで、国民の上昇指向も強く、いいものを少し高く売れば消費はいくらでもついてきた。ところが今は、小売業は生活者にかしずいて商売をさせてもらっている。消費市場ではなぜ生活者の主役が確立できたのか。理由は3つくらいあるだろう。

第一は選択が豊かになってきているということである。生活者は、豊富な選択肢の中でしがらみのない消費をする。たとえば、閉店セールをするとお客はどっと押し寄せるが、それが終わると何のこだわりもなく他へ散っていく。また、最近若い人たちは何も選ばないという選択、「無の選択」を平気でする。豊かな時代だから、何も選ばない、嫌なものを持つよりも持たないほうが幸せという時代になってきている。

第二は、広域比較購買が定着してきているということである。昔は、小売はローカル産業といわれていたが、今や消費は広域化していて、鉄道、飛行機、インターネット、通信販売、テレビ販売、どこからでも購入可能である。小売は、ある地域に店を構えているために、その地域の競合店と競争をしているつもりで一生懸命やっているが、消費者は、そんな競争に関係なくどこからでも買っている。売る方は、競合がわからずどこと戦っていいのか苦労しているのに対し、買う方は、明確にわかっていて、広域比較購買を自由にやっている。比較購買は物理的に広域なだけではなく、コートを買うか旅行に行くかといったように、商品とサービスの間というような選択の広域化も進んできている。

第三は、豊かな時代の価格指向とでもいうべき現象が起こっていることである。これまで消費者は、不況になると低価格指向に走るが、ちょっと景気が回復してくるとやはり高いものを買うのが幸せと感じ、すぐに戻ってしまった。しかし、今回の不況をみていると、そうした動きはほとんどなく、安くてもいらないものは買わないし、逆に高くても自分の満足度との相対価格が妥当であれば買う。このように、豊かな時代の価格は、絶対的な価格ではなく、個々の消費者の満足度に比較して決まる相対的なものであり、価格が非常に主観的になってきている。

最近「3コウ」といって、売上高の伸びの高い分野が3つある。「健康、旅行、学校」の3つの「コウ」である。「健康」には健康商品や健康によいサービスのほか、美容も含まれる。「旅行」は海外旅行が典型だが、レジャーやガーデニング、ペットといったものも、ものすごい勢いで伸びている。「学校」とは、自己投資ということで、情報武装のための情報関連機器、資格を取るための学習、社会人の大学や大学院入学等挙げられるが、不況にもかかわらず非常に伸びている。

生活者が主役の消費市場、人材が主役の企業、住民が主役の地域、国民が主役の国と同様、本当の完全な個人が主役の社会が出現するのだが、日本は、まだ完全な個として自分を主張する社会になっていない。別の言葉でいえば、日本の個人にはID番号、自分の存在証明がない。会社の名刺や身分証明書、健康保険証、ドライバー・ライセンスはあるがいずれも別々の制度である。全く独立した個を単位にして形成されていない。世帯単位やそれ以外の単位、いろいろな枠組みの単位で個人が認識されていない。

また、統計をとった平均値ですべてを考える社会というのも、枠組みの社会であり、統計的差別の社会である。たとえば、高齢者は頭が固い人が多いから定年制が必要という論理は、確かに統計を取ればそうかもしれないが、ある高齢者をとって頭が固いかというと必ずしもそうではない。若い人より頭の柔らかい高齢者はたくさんいる。本当の個人は、統計的差別の下では隠蔽されてしまう。こうした統計的差別からいかに人々が自由になり、個そのものを見ていくかが、個が主役の社会になるためにはどうしても必要である。

21世紀の海外との競争は、国や企業といった枠組みの競争ではない。どんなにすばらしい個人がその国にいるか、枠組みとしての国とか企業の中で個人がどんなに自由に活躍しているか、ということが競争に打ち勝つ決め手になるのではなかろうか。 (談)

全文はPDFファイルをご参照ください。

PDF 枠組みが主役の時代から個が主役の時代へ [109 KB]