経済厚生を考える4つの視点
- 新しい経済厚生指標作成に向けて
上級研究員 新堂 精士
2000年10月
要旨
基本的な問題意識
近頃は景気指標として語られることが多いGDP(より厳密には一人当たりGDP)には、経済厚生指標としての側面がある。長い景気の低迷からようやく抜け出しつつある日本経済であるが、GDPの上からはバブルの絶頂期と比べても1割程度我々は豊かになっていることになる。しかし、このことは必ずしも実感にあっていないと思う人が多いのではなかろうか。GDPが概ね一国全体の所得を表しているとすれば、経済厚生を評価する上で、所得以外の要因のもつ重要性が高まっていることになる。また、現在はIT技術革新を中心に経済構造や社会が変化しつつある時期である。
そこで、当FRIではこのような新しい時代に即した経済厚生指標の作成を試みることとした。今回は経済厚生を考える上で重要と考えられる視点を紹介したい。それは「効率性」、「衡平性」、「インセンティブ」、「情報」の4つである。前二者については厚生経済学において常に重要視されてきた概念である。したがってこれら2つの視点が重要なことにはほぼ異論がないと思われる。そこで残り2つの視点がなぜ重要か、また何が問題であるかという点から述べていく。
「インセンティブ」と「情報」
インセンティブ(誘因)は70年代以降経済学で重要と考えられるようになった概念である。今日では組織のパフォーマンス改善のためにはいかなるインセンティブシステムを組むのかがポイントになっている。経済厚生の面から特に取り上げたいことは変化を起こすインセンティブである。我々の社会は常に望ましい状態にあるわけではない。したがって、社会をより望ましいものに変えていくインセンティブがその社会に備わっているかどうかを評価することが重要である。別の観点からは、経済厚生を測ろうとしている社会において経済システムがインセンティブ・コンパティビリティー(誘因両立性)1)を持っているかどうかが重要になる。というのはインセンティブ・コンパティビリティーを持たない経済システムではルールを守らせるために余分なコストがかかるため、効率性が損なわれたり、社会の安定性が損なわれる可能性が高いからである。
インセンティブあるいはインセンティブシステムを直接評価することは難しいものの、「活力ある社会」とは、変化へのインセンティブが豊富な社会を意味するという立場から、労働や資本の流動性の高さを評価することで指標に反映させたいと考えている。情報を重要視する理由は、今後ますます情報財が経済の中で重要になってくると思われるからだが、その中で情報の持つ次のような性質に着目したい。情報は一度生産されればコピーが容易である。最初の生産にかかる費用にくらべそれをコピーして使う方が著しく低いコストですむことになる。そのため情報の生産を行うインセンティブがおさえられることになる。こうした視点から、社会的に望ましいと考えられる情報財の生産がうまく行われているかどうかを評価する必要があると思われる。
また、経済厚生の増大にとって選択の幅が広いことが重要である。情報の面から言えば、我々の利用可能な情報が多いことになる。つまり、社会の構成員が入手できる情報が多いことが経済厚生の増大に重要であることになる。厚生指標の中に情報の生産量や1人当たり入手可能な情報量といった指標を取り入れることで情報という視点を反映させたい。
「効率性」と「衡平性」
効率性と衡平性については、指標の評価軸としてどのような点が問題かを中心に述べる。効率性といえば、通常「パレート最適」がその基準である。経済学的意味の明晰さにもかかわらず、パレート最適に基づく効率性を実際に測ることは難しい。これはそもそも状態評価がパレート最適であるかないかの2つの場合しかなく、よりパレート最適に近いなどということがないためである。更に財が1種類しかないような状況(例えば所得)については、余りがないかぎり全ての配分がパレート最適となり評価基準になり得ない。
また、尺度として「余剰」を取り上げると、複数の財が存在する場合、全ての財の需要曲線と供給曲線がわかっていないと算出できないため、計測に大きな困難を伴う2)。
複数の財が存在すると、効用最大化を目指す消費者の効率性を測ることは困難だが、利潤最大化を目指す企業の効率性は利潤や資本収益率などで測ることができる。消費者や政府の効率性も評価できるように採用すべき指標を中心に今後も検討を加えたい。
衡平性についてはそれが重要であるという認識にもかかわらず、衡平さとは何かについてのコンセンサスがなく、よって立つ考え方により採用すべき指標や測り方が異なる点が最大の問題である。衡平についての代表的な3つの考え方は、第1に功利主義に基づくもので、社会全体の総効用の最大化をはかるという立場、第2にリベラリズムと称される、最下層(所得分配あるいは効用で見て)の人々の効用を最大化するという立場、第3にリバタリアン(あるいは極端な自由主義)とも言われる、機会均等3)を重要視する立場である。異なった立場をとった場合でも原理的に作成可能な厚生指標を作る必要があると考える。
結びにかえて
経済厚生を考える上で重要と思われる4つの視点について述べてきたが、評価軸に据えるために何をどのように測るのかを十分示すに至っていない。現在、現実に入手可能なデータからも指標作成の研究を行っており、これらをまとまった形で紹介することを約して結びとしたい。
1)経済システムの中で想定された行動原理に個々の経済主体が自律的に従う誘因(インセンティブ)があるとき、インセンティブ・コンパティビリティーがあるという。個々の経済主体が行動原理から逸脱することがその主体の利益になる時インセンティブ・コンパティビリティーがないという。
2)理論的には複数の財において価格が変化する時、消費者余剰の変化が経路依存性をもつこと、実際の需要曲線、供給曲線の推定において識別問題が存在することの方が問題である。
3)所得分配でいえば所得分配が決定される過程が公正であれば結果がどのようなものであってもそれでよいとする考え方である。
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