富士通総研

財政再建と説明責任

評論家 田中 直毅

2000年10月

要旨

市場原理は容赦なく政府の活動に入り込む。補正予算、そして2001年度の予算の編成作業が相次ぐ2000年の秋を市場原理が働きどころを得るときとせねばならない。

国債の元利償還に、たとえ漠然としたものであれ、不安がつきまとうようになれば、この漠然さに尺度を与えるのが市場の機能となろう。この尺度は、元利償還にまったく不安がない場合に比べて余分に支払わねばならない金利を指し、もちろん納税者の追加負担となるものだ。

首相と蔵相に代表される内閣は投資家に対して説明責任を負っている。このIRが不十分にしか果たされない場合は、国債が狙撃の対象になる可能性がその分だけ高まる。IRには、除く、絞る、締める、埋める、の4点についての表明が不可欠だ。

一 意欲的な企業活動に対し障害となる経済的規制を除く。

一 政府投資は経済の生産性を向上させるもののみに絞る。

一 社会保障支出についても、項目と対象を見直し、既得権擁護につながるものは排除し、全体として締める。

一 課税ベースに空いた穴を、税率から税収が直接推計できるほどに埋める。

一見当然のようだが、政府の全活動についてこうした原則が横断的に確認されたことはない。コーポレートガバナンス(企業統治)については、株主責任や経営者責任が明瞭に論じられるに至ったが、本来のガバナンス(政府統治)については、いまだしだ。IRとは投資家に対する気配りではなく、組織の責任者による明瞭な言語を通じての現実への関与姿勢の表明である。政府の責任者が投資家との対話にあたり間違ってはいけない三つの筋がある。

一 たとえ国債価格の値崩れの兆候が出たとしても、日本銀行の政策を非難しない。
市場における値付けの変化は市場参加者の将来見通しの修正に基づく。日銀に問題があるのかどうかは市場が判断を下すことで、日銀の金融政策を口実に政府は逃げをうったと市場がみれば、結局は財政赤字の貨幣化に帰着するとみなされよう。政府と日銀との亀裂ほど、狙いすまされているものはない。

一 家計の貯蓄が巨額だから国債の追加発行の余地は大きい、などと述べない。
荷もたれの品物の貯蔵を決断するためには、仕入れ値はよほど下落していなければならない。荷が更に市場に、ということならば、なおのこと仕入れ値の調整幅は大きくなる。海外の金融資産を含め、自由に持ち分の変更ができる家計にとって、自己規律をよそごとに、ひとの懐具合に言及する手合いは願い下げだ。

一 日本には豊富な外資準備があるから国債への信頼が揺らぐはずはない、などと言ってはならない。
支払いのための準備が永年にわたって国際比較したうえで多いということは、国内で積極的な未来につなげる投資の渦ができていないことの裏返しである。国内での秩序形成についての無能力の証明かもしれないという視点をおよそ持ち合わせていない、とすれば、これは「売り」という理解が拡がろう。

内閣による説明責任の発揮を促すような国民の知恵は十分だろうか。この判定にあたっては評価者や職種としてのエコノミストの役割が大きい。民間の債券発行者の評価にあたっては、アナリストがその任を受け持ち、また格付け機関も頼りにされている。国債の場合はエコノミスト、そしてやはり格付け機関がその担当者であろう。違いは評価の受け止め手である。民間の発行者の場合については、その発行当事者や投資家及びその予備軍にとどまる。しかし国債の場合はひろく国民一般も受け止め手にならざるをえない。それは納税者にとっては自己負担の問題になるからである。

ということは経済ジャーナリズムが内閣による説明責任の発揮の問題について討論する土俵づくりを行い、問題点の絞り込みを行うべきであろう。しかし実際にはその役割は十分には果たされていないし、逆に問題点を結果として逸脱させることも少なくない。たとえば日銀の政策決定会合で「ゼロ金利からの離脱」がテーマとなった7月17日、及び8月11日の前後の新聞紙面をとってみよう。日銀と政府与党との間の見解と見通しの食い違いにのみ大きな紙面を割いているのだ。

景気の上昇局面にあるにもかかわらず、「ゼロ金利」からの離脱ができないようでは、ずっと後であることを望むものの、次の局面は景気の下降なのだから金融政策は本当に八方塞がりになってしまう。政府与党は「ゼロ金利」にこと寄せて問題点の拡散をはかる、というその場凌ぎをしているに過ぎないとなぜ論断しないのか。

もちろん日銀の動向も国民の信任を獲得してきたわけではない。これはボルカー、グリンスパンの米国の二代にわたる21年間の中央銀行家の役割と対比してみれば明らかだ。財政赤字に対する警告を続け、経済の内部に規律をもたらす努力を行ったのがボルカーである。また景気の拡大のなかで、過熱現象の意味を実践的に再問し続けたグリンスパンは、その腕前によって経済構造の変化を明示的に引き出す役割を果たした。この二人のいずれもがIRを果たしつつ、結果として国民教育も行うことになったのだ。この到達度のゆえに今日の米国経済の活性化があるという見方は、米国内ではもはや通説である。

内閣と日銀とを代表する責任者による説明責任の履行を通じて、市場の理解が得られるかどうかに日本経済の先行きがかかっている。

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