東アジアにおける多様な発展を求めて
客員研究員(拓殖大学教授)梶原 弘和
2000年4月
要旨
かつてアジアは貧困のなかであえいでいた。貧困を特徴的に現していたのが過剰人口であり、1家計当たり子供の数の多さがアジアのいたる地域でみられた。しかしいまや日本で問題視されている少子化現象がアジアでも生じてきた。NIESだけでなくアセアンでも近い将来にその可能性が高いことが明らかとなった。この現象はアジア経済発展の基礎構造の変化であり、日本、NIESで既に発生し、ゆえにこれら国・地域は周辺地域へ生産拠点を求めてきたのである。中国やアセアンでもその可能性を示唆することができる。なぜならば人口転換の命題は、後発国ほど人口構造変化が圧縮されて生じることを教えており、世界的にもこれを観察することができる。アセアンや中国の基礎条件が現在のNIESの状態に達するにはいまだ時間的余裕があるが、変化は急速であり、今回の金融危機を契機として将来の動向を考えた政策を重視することが東アジアにとって必要である。
少子化と高齢化
一国の人口構造は次のように推移する。死亡率が低下する多産少死型の第2局面では、全人口に占める子供の比率が多くなる。出生率が低下するとともに平均余命が延びる第3局面では、子供の比率が減少する一方で経済活動人口の比率が拡大する。更に出生率が低下する第4局面では経済活動人口の比率が減少する一方で老年人口比率が上昇を始める。こうした人口構造の変化の過程において経済に及ぼす人口の効果は異なる。子供の数が多いならば家計の所得は子供の養育のために費やされ、貯蓄へ回す余裕は少なく、経済に及ぼす効果は消費的な側面が大きいだろう。子供の数が減少し、家計の所得増加が伴うならば、家計の貯蓄はいっそう増加する。これが投資増加をもたらし、しかも経済活動人口が増加している時期であることから経済は急速に成長することになる。この過程が続いた後に社会は成熟化へと向かい、老年従属人口の増加から再度消費的な側面が強くなる。すべてを捨象した単純な考えであるが、人口構造変化が経済に及ぼす重要な視点をとらえている。日本は高成長から低成長の時代を経験し、その過程で人口構造は大きく変化してきた。増える人口を産業が吸収することで成長がもたらされ、成長は生活を改善して人口構造に影響する。つまり人口構造が経済発展の起爆材になるとともに、成長は人口構造を変化させ、成長を低下させる。しかし人口の成長に及ぼすプラス効果を永続させるために人口増加を続けることができるわけではない。増える人口を産業が吸収できないからであり、国民は貧困の中での生活を強いられることになる。
既にNIESでは少子化が生じ、老齢人口比率も上昇し、20世紀初頭に香港やシンガポールでは日本と変わらない老齢人口を抱えるという推計が示されている。経済発展と同様にアセアンや中国は日本、NIESの変化を急速にキャッチアップしている。人口増加予測では日本、NIES、中国、タイは世界平均を大きく下回り、アセアンの一部ではなお世界平均を上回る。しかし増加率の低下は大きく、今後の経済変化が急速であることを仮定するならば将来予測は更に下方修正される可能性が高い。
人口構造の急速な変化からこれまでのような要素吸収型の成長ではなく、技術進歩に牽引された成長へと転換しなければならない。そのためにはR&Dに関連する人材育成と投資が重要となる。人材育成に関しては東アジアの成果は著しく、高等教育機関への進学率は、NIES(4ヵ国・地域の単純平均で1994年に36%)では日本(1994年31%)を上回る水準に達している。アセアンでも高等教育への進学率は上昇し、インドネシアでは1960年と1994年に1%から10%、マレーシアは1%から1%、フィリピンは13%から28%、タイは2%から16%に格段に改善している。その内容は問題であるかもしれない。よく言われるように開発途上国の高等教育は文化系に偏りすぎており、理工系の人材が不足する事例が多い。たとえばR&D従事者は、日本、NIESに比較してアセアンでは研究者、技術者の供給がいまだ不十分である。アセアンにおける技術者不足を問題視する日系企業が多いことがこれを裏付ける。高等教育だけでなく中等教育における技術教育を含めて改善する必要がある。またR&D投資もアセアンではいまだ低水準である。アセアンにおける人材育成やR&D投資は日本やNIESの経験が役に立つ。日本やNIESでは政策支援によりこれを充足してきた。技術関係の中等・高等教育機関の設置、民間でこれを行う場合は資金、税制上の優遇措置を導入した。これら機関の卒業者の雇用を促進し、企業の技術蓄積、技術開発能力の改善をもたらすための税制上の優遇措置(たとえば技術者の給料を費用扱いにする、R&D投資の加速度償却を認める)を導入した。アセアンではいまだ労働人口が不足する局面ではないことから、R&Dへの関心は高くないが、確実に日本やNIESと同じ状況が到来する。台湾、韓国では1970年代末以降こうした政策が実施され、1980年代以降に加速化されて今日に至っている。中国やアセアンでも、こうした段階にさしかかっている。
多様な発展方向を求めて
1996年の日本、NIES、中国、アセアンの輸出合計は1兆3,170億ドルで、世界輸出総額の25.0%を占めた。また日本、NIES、中国、アセアンの総輸出に占める地域内向け輸出は、1985年の34.8%から1990年に40.4%、1996年には48.0%に増加し、ほぼ半分を域内で消化できるようになった。東アジア域内需要はこれからも確実に増加する。所得増加とマスメデアを媒介にしてアジアで生じてきた消費のデモンストレーション効果は消費増加と同質化・高度化をもたらし、製造業品の域内需要を増加させる。またアジアの人口構造は急速に転換し、先発国では人口増加率の低下と高齢化から製造業だけでなく、これまで国内で調達できた一次産品やその加工品を周辺国からの輸入に依存しなければならなくなっている。後発国は先発国から競争力を奪った産業に増加する人口を吸収し、これが国内需要の増加をもたらす。アジアの重層的構造に新たに参入したインドシナへの投資と貿易の拡大もアジア市場の拡大と域内需要の増加をもたらす。既に各国の民間最終消費支出の基本的な傾向は食糧、衣類・履物等の生活必需品ともいえる項目への支出は相対的に減少し、教育、医療、その他(各種娯楽等への支出)が増加している。所得水準の増加と人口構造に示された少家族化、老齢人口化は各国の消費構造を多様化している。
経済発展に伴う人口構造の成熟化ともいえる変化は都市中産階層を増加させ、この階層の需要が国の需要構造に大きく反映されるとともに、彼らのライフスタイルが一国内で一般的となる。日本では耐久消費財の需要が増加して3C時代、海外旅行ブームをもたらし、日本人一般に普及した。特にマスメディアは所得増加に伴う消費構造変化に大いに貢献した。日本の白黒テレビの普及率は1957年の7.8%から1960年に54.5%、1965年には95.0%に急速に普及し、これが都市ライフスタイルを全国的に普及させた。応接セット、ステンレス流し台、テーブル式食卓、既製服は瞬く間に日本全国で一般化された。同様の傾向はNIESにも及び、更に中国やアセアンでも生じている。たとえばテレビはアセアンや中国でもかなり普及し、既にタイでは農村でも一家に一台の時代に突入した。テレビの普及はマスメディアによる宣伝から、都市消費スタイルを全国的に普及させ、東アジア域内需要を増加させるとともに、東アジアの将来的な発展に影響することになる。
中国やアセアンは日本やNIESが発展した時代と異なる東アジア域内需要を生かすことができる状況にある。たとえば海外旅行は生活にゆとりができた大衆消費社会の典型とみなすことができるが、日本だけでなくNIESからの海外旅行者も急増している。東アジア諸国の国際収支のうち旅行収支の受取と支払は、日本の大きさは例外として、NIESの支払が急増し、NIESからの海外旅行者が増加している。かつて旅行収支が黒字であった韓国、台湾は赤字となり、台湾の旅行支払は輸入額の8%強に相当する規模に達している。これに対してアセアン、中国は黒字であり、観光資源が豊富なタイ、インドネシア、フィリピンの旅行受取は輸出の10%を上回る額となっている。旅行者の増加は旅行収支の受取増加から外貨収入の増加をもたらすだけでなく、観光関連のサービス産業を発展させる。また地域の特産品の需要も増加させ、伝統産業にもインパクトを与えることになる。観光を主要産業とすべきであるといっているわけではない。製造業だけでなく、アジアの発展はこうした産業の発展を可能にし、工業化イコール重化学工業化だけが発展経路ではなく、多様な可能性が追求できるようになったのである。
またアセアンは一次産品生産国としての特徴を生かすことができる。日本における農産物の製造業化のように需要をうまくキャッチできれば一次産品加工品は大きな需要を期待することができる。日本では経済の先進国化に伴って日用品である非耐久消費財や加工食品及び食材を国内から海外への調達に代えてきた。NIESも同様であり、一次産業がほとんど欠けている香港やシンガポールは以前から輸入に依存していたが、韓国、台湾でも輸入が増加している。雑製品はかつてNIESが供給者であったがこれを輸入に依存するようになり、日本と同様にNIESもまたアジアへ需要を提供する側に変わった。かつては域内にこうした需要が無いことから欧米に市場を求め、日本をはじめとしてアジアのすべてが労働過剰状態であったがゆえに一次産品生産国は生産能力がないことから未加工で日本やNIESに輸出していたのである。しかし東アジアの変化は加工品の域内輸出可能性を高め、需要にマッチした商品を開発できれば域内需要に基づいて同産業が発展できる状況が生まれた。もちろん既存製品の提供により域内需要を充足するだけでなく、域内需要を喚起させることができる新たな製品を開発する努力が重視されねばならない。1997年7月以降の金融危機を急速に回復させてきた大きな要因として輸出増加があるが、中でも国内で調達可能な投入財を使用している資源加工型のそれがアセアンの経済を支えてきた。1980年代中期以降にアセアン経済を牽引してきた輸出志向工業化は輸出増加が輸入増加を伴い、輸出が輸入を大幅に上回り貿易収支を改善するにはNIESのように輸出構造が高度化しなければならない。アセアンはいまだ輸出志向工業化の期間が短く、輸出構造の高度化にはいまだ時間を要する。したがって輸出志向工業化を継続しながら、他方で一次産品加工品の輸出や観光資源による外貨獲得がアセアンにとって重要となる。高度製品から低加工製品に及ぶ製造業品だけでなく、食品加工、食材、サービス産業を含む多くの産業分野において域内需要に依存できる状況はアセアンの発展にとって大いなる支援となる。
NIES、アセアン、中国で大型空港、コンテナ港、通信網等のインフラ建設が進んでいるのは、こうした東アジアの変化を自国に取り込むことが更なる発展をもたらすとみなしているからである。
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