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銀行バランスシートの脆弱性と経営規律

客員研究員(一橋大学経済研究所助教授)渡辺 努

2000年1月

要旨

ニュー・アーキテクチャー

1997年夏のタイ・バーツの急落から2年半が経ち、アジア経済にもようやく回復の動きが拡がりつつある中、国際金融システム改革、いわゆるニュー・アーキテクチャー(New International Financial Architecture)を巡る議論が活発に行われている。1990年代後半にメキシコ、アジア、ロシア、南米等で発生した通貨・金融危機の経験を踏まえ、新興市場国にとって望ましい為替制度はどのようなものか、国際資本移動はどうあるべきか、IMFは国際的な最後の貸し手としての機能をもつべきか、国際的な破産処理制度を導入してはどうか等々、各国のポリーシーメーカー、学者、実務家が1944年のブレトンウッズ会議さながらに熱のこもった議論を展開している。

一連の議論の中で特に注目を集めているのは、新興市場国の政府は国際資本の流入、とりわけ短期資本の流入を規制すべきという提案である。新興市場の通貨・金融危機では、海外から大量に流入した短期資本が短期間のうちに流出し、それが新興市場国の通貨を急落させた。規制の導入により短期資本の流入を抑制することでこのメカニズムを遮断しようというのが提案の発想である。

実際、チリでは、こうした意図に基づき、1991年から98年の間、海外からチリに向かう投資の30%分は利子のつかない預託金として1年間寝かせておくことを義務づけるという資本流入規制が実施された。これは、資本流入に対する一種の課税であり、しかも、その税率は投資期間には依存しないところがこの措置のミソである。投資期間が短い投資ほど適用される実効税率が高くなるので、短期資本の流入を抑制する一方で、長期資本については流入を促進する効果があると考えられている。

海外からの資金を受け入れる新興市場国の銀行のバランスシートでみると、チリ型の資本流入規制の導入は負債サイドの満期を長めにする効果がある。通貨・金融危機の際には、国内企業向けの長期融資で固定化されている資産サイドとの対比で、負債サイドの流動性が高すぎることが問題視されたが、資本流入規制を導入することで資産と負債の満期のミスマッチが多少なりとも是正され、銀行バランスシートの脆弱性が改善されると考えられている。

チリの実験が一応の成果を挙げたこともあり、チリ型の資本流入規制をニュー・アーキテクチャーの目玉にしようという主張が少なくない。しかしその一方で、チリ型の資本流入規制には否定的な見方も根強く存在する。例えば、米国ハーバード大学のロゴフ教授は、投資リスクの高い国がチリ型の資本流入規制を実施すると、満期構成に影響を与える以前の問題として、流入額自体が減少する懸念があると指摘している。また、仮に多くの新興市場国が同時にチリ型の規制を導入すると、国際資本移動が著しく細ってしまうのではないかとの見方さえある。国内貯蓄が不足がちで外国からの資本流入に頼らざるを得ない新興市場国の現状を踏まえると、これは経済発展を阻害しかねない問題である。

ロゴフ教授等の指摘は、銀行バランスシートの脆弱性と経済発展がトレードオフ関係にあることを示唆している。しかし実は、このトレードオフ関係は、チリ型の資本流入規制に固有の問題ではなく、もう少し根の深いものである。すなわち、満期構造のミスマッチによって生じる銀行バランスーシートの脆弱性には、金融危機の引き金になるというマイナス面の一方で、新興市場国の銀行に対する規律づけという望ましい効果もある。流動負債の比率が高く、いつ資本が引き揚げられるかもしれないという恐怖があるときには、新興市場国の銀行経営者は経営ミスを犯さないよう最善の注意を払うであろう。逆に、そうした差し迫った恐怖がない場合には、銀行経営の規律が弛緩し、場合によっては、海外投資家の目が届かないのをよいことに、海外投資家へのリターンを削り、経営者の報酬を不当に増やすということさえあり得る。海外投資家がこうした危険を察知すれば、資本流入は細り、その結果、新興市場国の経済成長が阻害されてしまうのである。

銀行破綻のリスクを削減するにはバランスシートの脆弱性を是正すべきなのは言うまでもない。しかし同時に、脆弱性には規律づけというプラスの側面もあるのだから、やみくもに脆弱性を解消する措置をとればよいというものでもない。通貨・金融危機の記憶が生々しく残る現時点では、金融システムの安定性を最優先の課題とみる風潮が強いのは当然のことではあるが、国際金融システムの再構築に際しては、リスクと経済発展の適度なバランスを保つという長期の視点を忘れてはならない。

ペイオフ解禁

国際金融から国内の金融問題に目を転じると、1996年以降凍結されてきたペイオフの解禁を巡って活発な議論が展開されている。金融審議会が10月に公表した「預金保険制度に関する基本的な考え方」では、1,000万円までの元本は保証するが、金利や1,000万円超の元本部分については金融機関を清算したときの配当分だけしか戻さないという原則が提示されている。ただし、決済性預金については企業活動と密接に関連するだけに全額保護すべきとの議論が根強くあり、結論が持ち越されているほか、地方自治体が税金などを預けておく公金預金についても特例扱いを求める声が強い。更に、ペイオフ凍結の解除そのものについても、完全なコンセンサスが成立しているわけではなく、凍結解除を延期すべきとの声も少なからず聞かれるところである。

ペイオフ凍結という緊急避難的な措置を解除し、平時モードに切り替える作業がこれほどまでに難航している背景には様々な要因があろう。例えば、銀行の不良債権問題が本当に終結したのかどうか、見方が分かれていることも一因であろう。しかし、議論の混乱の多くは、そもそもなぜ預金保険のカバレッジは部分的でなければならないのかという点について明快な説明がなされていないことに由来するように見受けられる。

預金の全額保護を続ければ銀行システムの安定性に万全を期すことができる。このメリットは誰の目にもわかりやすい。これとの対比で、預金の全額保護に伴う副作用としては、モラルハザードの発生が挙げられることが多い。しかし、保険実務から経済学に輸入された、このモラルハザードという用語は、理屈ではわかっても、実感としてはなかなか理解しにくいものである。モラルハザードは、人知れずじわりじわりと長期に亘って発生するものであり、銀行取付けのように短期間で目に見えるかたちで発現するものと比べると、実感が伴わないのはある程度仕方のないことかもしれない。しかし、だからといって軽視してよいわけではなく、人知れず発生する問題だからこそ一層の注意深さが要求される。

預金保険のモラルハザード効果を理解するために、預金保険が全くない場合と預金保険で全額カバーされている場合を比較してみよう。預金保険が全くない場合には、預金者は、虎の子の預金を失いたくないという思いから、安全な銀行を血眼になって探す。そして、いったん預け先を決めた後も、その銀行が安全かどうか常に監視の目を光らせる。こうした預金者の視線を感じる銀行経営者は、気を緩めると預金取り付けの憂き目にあうので、真剣に経営努力を続けるはずである。この意味で、預金者からの監視が銀行経営者の規律づけになっている。一方、預金保険で完全にカバーされている場合には、預金者は安全な銀行を選別する必要も、また預け先の経営状態を監視するインセンティブも持たない。預金の全額保護は、預金取り付けが起こらないという意味で金融システムの安定性を高めるが、その一方で、銀行経営者の規律が弛緩し、適切な経営努力がなされなくなるというコストが発生する。

しかし、預金全額保護の長期的なコストはこれにとどまらない。シカゴ大学のダイアモンド教授等による最近の研究によれば、預金の全額保護を長期にわたり続けることは、経営規律の弛緩を通じて、銀行の預金取り入れを細らせる危険がある。そして最終的には、銀行の流動性供給機能に重大な支障をきたすことにもなりかねない。これは、新興市場国の銀行のバランスシートを強固にすることが国際資本移動の阻害要因になるのと全く同じ理由によるものである。銀行の流動性供給機能が損なわれれば、家計は要求払預金という流動性の高い安全資産を失い、企業家は投資プロジェクトの資金調達に支障をきたすことになる。もちろん、資本市場を通じた資金の流れがこれを代替する可能性はあるが、借り手と貸し手の間に情報の非対称性が存在する以上、資本市場への振り替えは一部にとどまらざるをえず、経済全体の厚生は著しく低下するであろう。

やや逆説的ではあるが、銀行が流動性サービスを提供できるのは、まさに、銀行のバランスシートが脆弱だからである。銀行のバランスシートが脆弱であるがゆえに銀行経営者は取り付けの恐怖に晒され、それが規律を与えている。この意味で、銀行バランスシートの脆弱性は銀行が銀行業務を営むのに必要不可欠な要素である。預金の全額保護は、危機に対する緊急避難的な措置としては容認できるとしても、これを長期に亘って継続することは銀行の流動性供給機能を弱体化させ、銀行産業自身の首を絞めかねないということは正しく認識されるべきである。

この立場に立てば、ペイオフ解禁で最も得をするのは銀行産業自身である。もちろん、預金取り付けのリスクに晒されるのは銀行経営者にとって気持ちのよいものではないであろうが、そこから生まれる緊張感こそが預金者の銀行への信用を生む源泉であり、長期的にはこれなしでは銀行産業は成立しない。また、その銀行から流動性サービスを受ける企業、とりわけ銀行への依存度が高い中小企業も長期的には大きなメリットを受けるといえる。ペイオフ解禁を巡る最近の議論では、中小企業の決済性預金の保護を主張する声が優勢であるが、中小企業にとって長期的な観点からそれが望ましいかどうかは必ずしも自明ではないのである。

バランスのとれた発想を

ここ数年の内外における金融危機は、金融システムの安定性の有難さを改めて我々に教えてくれた。同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればよいのか、いかにして耐久性の高いシステムを作るかは、内外で進む金融システム再構築の重要なテーマである。しかし、安全第一主義も度を越すと、無用なコストを生じさせてしまう。銀行バランスシートの脆弱性にもプラスの役割があり、それはもしかすると、無視できないほどに重要なものかもしれない。新たなシステムの構築に際してバランスのとれた発想を期待したい。

全文はPDFファイルをご参照ください。

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