IT産業の国家戦略を考える
富士通総研研究顧問(慶応義塾大学教授) 林 紘一郎
1999年10月
本文
アンレギュレーション
去る7月末、FCC(アメリカ連邦通信委員会)のロバート・ペッパー企画政策室長が、アメリカン・センターの招きで来日した。私も夕食を共にすると同時に、21日にグローコム(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター)の主催したセミナーでは、司会の大役を仰せつかった。当日の話題は当然、FCCがその直前(現地時間19日)に発表した、インターネットに関する新しい政策提言「FCCとインターネットの非規制政策」(The FCC and the Unregulation of the Internet, available at http://www.fcc.gov)に集中した。ここでアンレギュレーションとは、おそらく辞書にもない新しい用法だが、既にある規制を緩和・撤廃するディレギュレーションとは違って、インターネットについては、アメリカ政府は一度も規制したことがないし、今後も規制するつもりがないことを示すために、敢えて使った言葉だという。
なるほど、アメリカの通信政策史の上では、コンピュータと伝統的な通信が融合する1970年から80年代中盤にかけて、「コンピュータ調査」(名前は調査だが、最終的には命令を出す)をめぐる長い歴史があったが、その過程でも狭義の通信(基本通信)以外は規制対象にしないという原則だけは、頑ななほどに守られてきた。この基本通信 / 高度通信の二分法は、その境界が曖昧なため、わが国では採用にいたらず、設備を保有するか否かで第1種・第2種という区分になったことは、ご承知だろう。社会的背景などが異なる国々の制度を、横断比較することには常に危険が伴うが、アメリカの教訓を生かすなら、せめて第2種電気通信事業は規制しない、という選択があったはずなのに、わが国はそのチャンスも逸してしまった。
好景気に湧くアメリカでは、何を言っても尤もらしく聞こえると言ったら、未練がましいかも知れないが、報告書ではアンレギュレーション政策こそインターネットの発展を支えたものであり、FCCがこの方針を堅持していくことが、アメリカ経済の発展のために不可欠だとしている。しかし意外に知られていないのが、アンレギュレーションの実態である。非規制と訳してしまえば、要は何もしないのだから、こんなに楽な政策はないと思われるかも知れない。しかし事実は逆で、何もしないことを合法化するのは、思った以上の努力が必要であり、かつ場合によっては非規制の名の下で規制さえ行っているのである。その実例を、アクセス・チャージとユニバーサル・サービス基金で示してみよう。
アメリカはわが国などと違い、国営で通信事業を行った経験は一度もなく、全歴史を通じて民営であった。そのためもあって電話事業者相互間で、通話の相互接続に要する費用を、精算する仕組みができ上がっていった。しかし、市外通話はコストが急激に下がったのに、市内部分は逆にコストは上昇していったから、本来なら(経済学的には)市外を値下げして、市内を値上げするのが当然であった。しかし、政治学の観点から見れば、当時は贅沢とも思われた市外を値下げし、生活に直結する市内通話を値上げするのは、公平に反することと考えられた。結局歴史的には政治学が勝ち、市外の余剰利益で市内サービスの赤字を穴埋めする仕組み(cross-subsidization)として、アクセス・チャージとユニバーサル・サービス基金ができあがった。そしてこの基本的枠組みは、AT&Tの分割などの激変でも抜本的に変わることが無かった。
インターネットが登場したとき、この新サービスは歴史的な基本通信 / 高度通信の二分法に照らして、どちらに属すべきかが議論になったが、その当時の実態から見れば、高度サービスだと見なされたのは当然とも言えよう。したがって、インターネットについては、同じ電話線を使っていても、アクセス・チャージを免除されている。しかし、既にパソコンを介したインターネット電話が可能になり、やがては普通の電話機からIP電話ができるようになるだろう。この際にも、インターネットは非規制という方針を堅持できるのだろうか。規制をするより非規制を貫く方が、よほどエネルギーの要る仕事のように思われる。
加えてFCCは、インターネットを発展させるために、アメリカ得意の「非対称的積極介入」(affirmative action)さえ取っている。学校・図書館・地域医療機関を対象にした、いわゆるE-Rate(教育用特別割引料金)である。これらの機関が1.5メガビット級の回線を引く料金を割引き、その分は市外料金で穴埋めするもので、国家戦略そのものとも言える。これがアンレギュレーションの中に入っているのだから、驚きである。
「リスク白書」
一方バブル崩壊以降の景気低迷に悩み、経済再生、グローバル・スタンダードへの対応、リストラなど、後ろ向きの事後処理にばかり追われている、わが国の場合はどうか。7月中旬に出た「経済白書」は、堺屋長官自らが相当手を入れたと言われるだけあって、50年余の歴史の中でも久しぶりの個性的白書と評価が高い。たとえば、田中洋之助「リスク白書の投げた波紋」(『総合政策研究』7月号)は、この白書の特色は「資本主義体制なら、本来企業や家計が、自らの責任で負担すべきリスクやコストを、社会的セーフティ・ネット整備の名の下で、政府が大きく肩代りしてきた」ことを明確にし、それとの決別を宣言したことにあるとする。
その指摘はもっともだが、リスク・テークの行動に移る前に、処理しなければならない当面の課題がある。それは遂に史上最悪に達した4.9%という失業率の高さとその構成である。白書によれば、情報化投資が雇用に与える影響については、労働代替と雇用創出の両面があるが、日米の現状は別表のようになっており、「情報化による全体の効果で見ると、日本では22万人のマイナスの影響が見られるのに対して、アメリカでは340万人も増加する要因となり、雇用の増大の約3割が情報化に伴った産業の創出や、所得の増大によるものである」という。しかも、わが国の失業率は女性よりも男性が、若年層よりも中・高年層が高いのだから、再就職の道は峡しいと言わなければならない。
| 日米の情報化投資の雇用に与える影響 | 日本 | アメリカ |
|---|---|---|
| 情報化投資による雇用代替効果 | - 194万人 | - 248万人 |
| 経済成長による雇用創出効果 | 335万人 | 1,394万人 |
| うち情報化投資による雇用創出 | 172万人 | 588万人 |
| その他雇用創出要因 | 415万人 | - 69万人 |
| 合計 | 556万人 | 1,077万人 |
(出所)経済企画庁『平成11年版 経済白書』
私は、いわゆるマルチメディアが過熱気味だった1994年時点で既に「情報技術はホワイトカラーの生産性向上をもたらす」ことを指摘し、わが国もその備えをすべきことを主張してきた(朝日新聞 1994年5月14日号)。なぜなら、情報技術は、白書の指摘するように労働代替と雇用創出の両面に作用するが、時間的に見ればまず削減効果が顕在化し、やや間をおいてから創出効果が出てくるからである。また、かって産業革命の入り口で「囲い込み運動」(Enclosure Movement)が労働移動のきっかけとなったように、情報社会への移行にあたっても、同種の劇的事件が必要になるだろうと予想したからであった。
私の予想は図らずも的中したことになるだろうが、更に重要なのは、情報技術との相性の問題である。アメリカでリエンジニアリングがうまく行ったのは、仕事がモジュール化され、各モジュール毎に標準化されているからである。パッケージ・ソフトがそのまま使えるのは、その典型である。ところがわが国では、会計事務のように本来標準パッケージで十分なものまで、カスタマイズしようとする。そして一時は、そうした個性的な処理にこそ、ノウハウが込められているのだとして、「日本的経営」の優位を盲信していたふしがあった。
結果がどうであったかは、いまさら言うまでもあるまい。今わが国に必要と思われるのは、会社という現場を預かる経営者と学者・コンサルタントといった理論家の双方が、この「システム志向」こそ日米の競争力を分けたものだという、共通認識を持つこと。したがって一方で余剰要員の削減に努力するとともに、他方で「システム志向」を生かした雇用を創造することである。ところが、私も寄稿させたいただいた総合雑誌の「日米比較」の特集では、この点の理解に著しく欠けていて、やれ財政政策の運用を誤ったとか、金融システムの信頼性回復が鍵だとかいった議論が主流をなしていた。
しかし、時代は明らかに「情報社会」に向かっている。情報という無形の財貨が取引の大宗を占めるようになるのだとすれば、「眼に見えない」「触って確かめることもできない」財貨についての、十分な対処策を備えなければなるまい。前述の「アンレギュレーション」政策が、どれほど良く練られたものであるかは定かでないが、90年代における実践的知恵から判断する限り、案外当たっているような気がする。
コンセプチュアライゼーション
私のわずか3年余の経験で、アメリカを判断するのは危険だが、日本が暗黙知を生かすことに長けているのに対して、アメリカは暗黙知を形式知に変換するだけでなく、それにチャーミングな名前を付けて、共有し広める術に長けていることは間違いなかろう。ディベートの訓練、英語が国際語になった強味などが、これをバック・アップしている。
アメリカ経済が好調を維持している貢献者の一人、連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長は、95年10月にシカゴで講演し、技術進歩や知識・情報といった無形の要素が今日の経済活動を支えるうえで、フローとしてもストックとしても重要度が増してきていることを指摘し、「コンセプチュアライゼーション」(私流には「無形財を理解してもらうための概念化」)の必要性を訴えたとされる(経済企画庁経済研究所(編)『知識・情報集約型経済への移行と日本経済』大蔵省印刷局、1999年)。
われわれは今、この「コンセプチュアライゼーション」を不可欠としているように思われる。思えば「情報化社会」というキャッチフレーズを作ったのは日本であったが、当の本人がその時代に遅れを取っているとは、何と情けないことであろうか。IT産業の国家戦略を考えるとは、とりもなおさずわが国のアイディアを、世界に発信していくことであろう。
〈参考にしていただきたい拙稿〉
- 「情報ハイウエイと生産性向上 - ホワイトカラーに照準」
『朝日新聞』1994年5月14日号 - 「ITS資本主義による米国の優位」
『アスティオン』1995年春号 - 「情報エコノミーに適した新しい米国方式」
『世界』1998年7月号特集「アメリカは本当に強いのか?」 - 「システム思考と情報技術による『ヨコ社会』の強味」
『経済セミナー』1998年8月号特集「アメリカはニュー・エコノミーか?」 - 「インターネット資本主義」
『Inter Communication』1999年8月号特集「次世代インターネットが拓く世界」
全文はPDFファイルをご参照ください。
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