富士通総研

構造問題への対応

富士通総研経済研究所理事長 福井 俊彦

1999年1月

先般理事長に就任した福井でございます。及ばずながら富士通総研の発展に全力を注いで貢献したいと考えております。よろしくお願い申し上げます。

さて新しい世紀への移行の局面で、わが国の経済や金融は大きな構造変化を余儀なくされています。当面喫緊の課題である景気の回復や金融システムの再生にしても、構造問題への対応抜きには新しい時代の経済へ真に強固な懸け橋を築くものとはならないでしょう。

ところで構造問題というと、根深く対処し難いという印象が前面に出がちで実際にも着手が遅れる傾向があることは否めません。少しでも対応を早めるためには、企業・金融機関等の民間経済主体や政策当局が何に焦点をあてて現実にどう対処すべきか、具体的な項目として整理し認識することが有益と思われます。例えば、主として企業について言えば、

(1) 内外経済の一体化が進む中での競争激化に対しては、企業は従来に較べ遙かに効率的に資本を使うことが求められています。子会社や関連会社がある場合はそれを含め、連結ベースでみても資本の非効率な使用があってはならないということです。そしてその一つの帰結として賃金や雇用の面にまで相当な工夫が必要な状況となってきています。

金融機関についても、全く同じことが当て嵌まります。ところで金融機関に対しては、いわゆる健全化法に基づき公的資金が追加的資本として投入されようとしています。公的な投入であっても資本は資本です。金融機関はこの資本についても十分に収益が上がるよう最も有効な使い方をしなければその金融機関の株価は先行き高くはならないでしょう。株価が高くならないと公的資金を国にお返しすることが出来ません。従って金融機関としては借手のリスクに見合った金利を付けて貸出をするとか、場合によっては貸出以外の有利な資金運用を図る必要がある訳です。貸渋り問題との関連でいえば、全面的に過去と同じパターンで貸出を続けようとしてもある限界に逢着する可能性が強いと思われます。

(2) 企業にとって創造的な技術開発の必要性が一段と高まっています。消費者の商品・サービスに対する選択肢は益々厳しくなり、つれて商品・サービスのライフサイクルは短くなっています。マーケッティングと情報処理技術の向上、人の心を魅きつける新商品、新サービスの絶えざる開発が必要であり、他社の出方を見てから急いで追随するというやり方では通用しなくなってきています。

(3) 企業にとっては財務戦略についても相当の見直しが必要となっています。生産や販売あるいは投資等の組立て方が決まると、そのコスト構造やリスクプロファイルに応じて、財務面では銀行借入や市場調達、ヘッジ取引等最適の資金調達構成を築くことが必要となっています。従来のように金融機関借入に大きく依存してレバレッジを効かして事業の量的拡大あるいはシェアーの拡大を図るというやり方は早晩修正を迫られることになるでしょう。経営戦略や財務戦略の転換が遅れた企業の場合には、金融機関からいわれなき貸渋りではなく、理由のある貸渋りに直面する可能性があります。

(4) 企業や金融機関にとっては、その企業価値を出来るだけ客観的に表示しうるよう透明な会計基準を採用するとともに、市場や格付機関から厳しいチェックを受ける前に経営の適切な転換が図られるよう意思決定と執行の体制を整えること(コーポレート・ガヴァナンスの見直し)が必要となってきています。

以上のような企業等の民間の経済主体の課題のほか、政府や中央銀行の取組むべき項目も数多くあることは申すまでもありません。このうち政府については、スモールガヴァメントの方向を目指して税制を改め(例えば所得税の最高税率の引下げ、課税ベースの拡大等)、財政支出についてもとくに事業的支出に関して効率性の評価をしっかりと加えることが避けられない課題となっています。また中央銀行にとっては企業や金融機関の新しい経営戦略、財務戦略の展開が容易になるよう短期、長期の金融市場を整備すること、及びアーリーウォーニングメカニズムを構築することが大きな課題と目されます。

冷戦終了後、世界的にいわゆる「平和の配当」への甘い期待が高まった時期がありましたが、世界の市場が一つとなり、その参加者が飛躍的に増えるという状況は、かつてない厳しい競争社会の到来こそが予定されていたということではないでしょうか。

最後に、私の感じているところをちょっと付け加えさせて頂きます。一つは、日本のみが厳しい課題を背負っているのではないということです。米国も、欧州も、アジアその他の発展途上国も、グローバライズドマーケットの中で生きて行こうとする限り、今の段階でたまたま有利なポジションにあるかどうかに関係なく、将来に向っては同じ厳しさを乗越えて行かざるを得ない訳で、正に誰がどのようにチャレンジし続けるか、に鍵は託されています。

また、このように資本の論理が一段と厳しく貫かれる競争社会は行き着くところ無味乾燥な冷たい社会なのでしょうか。ここから先は正直なところ私にはよく分かりません。ただ、そういう冷たい社会は人間としては誰しも望まないところです。経済の論理は経済の論理として冷徹に通用させながら、同時に社会の規律を高め、かつ、ぬくもりを求める。心の裕りやうるおいを保ち、文化の香りを添える。人間のキャパシティーはこれらを満たす程に十分大きいのではないか、と密かに想像いたしております。