公平論議と期待成長率
客員研究員(日本大学教授) 円居 総一
1998年10月
日本経済は回復への兆しが一向に見えず、引き続きデフレスパイラルの淵をさ迷っている。消費や設備投資が低迷する中でますます悪化する景気。度重なる景気刺激策の結果として拡大を続ける財政赤字。資産デフレと金融の危機的状況の継続。加えて、経済のグローバル化と市場化の進行の中で、オープンな市場主義とは相容れない要素を抱えた旧来の経済システムの構造的な息詰まりと、このままでは、80年代の中南米のように、「失われた10年」となりかねない情勢だ。
だが、その一方で、国民経済計算でみれば、日本経済は、約3,700兆円の純資産を持ち、2,000億ドルの外貨準備と120兆円の対外資産を有している。個人金融資産も約1,200兆円ある。また、これまでの労働の質の高さが突然消失したわけでもない。技術水準も引き続き高く、技術貿易で黒字を計上しているのは、現在、米国、英国、日本の3ヵ国のみである。このように人、カネ、技術を擁していながら、経済が出口の見えない閉塞状況に呻吟しているのは何故か。その重要な問題の1つが、期待成長率の低下であり、リスクテーク意欲の減退であろう。企業や家計の経済の先行きに対する不安が高まり、期待成長率が低下すれば、現在消費は抑制され、リスクをとるような投資も抑制される。そのような状況下では、景気対策もその波及効果は中断されてしまう。リスクマネーの供給を担うべき金融機関も、不良債権問題の増殖から本来的機能を果たしえていない。
景気はある意味では、経済のリスクテーク余力の変化が織り成す循環ともいえ、それが落ち込んでしまうと、豊富な経済資源を有機的に結び付けるメカニズムも働いてこない。そして、この落ち込みに深い関わりを持ってきたとみられるのが、政府のフローの財政バランスに固執した政策対応、制度改革論議であり、それを煽ってきた財政負担をめぐる公平論議の横行であろう。橋本前政権下における財政均衡化法をベースとする政策対応が正にこの典型例である。均衡財政への正当性を、世代間負担をめぐる公平論議で押し通しつつ、経済の落ち込みを決定付けた消費税の引き上げ、国民医療保険の負担拡大などを強行してきた。すなわち、「今の政府財政赤字を放置すれば子孫の世代に多大の借金返済負担を強いることになり、世代間の不公平を招く。だから赤字解消は至上命題で、減税は論外で、増税もやむを得ない」といった主張がそれである。現在検討中の年金法の改正においても、専業主婦と働く女性間の負担の公平化ということが、1つの焦点になっている。専業主婦に年金負担がなく、働いている者が負担しているのは不公平との主張である。これら主張は一見正論と写りがちで、財政の危機感を煽るには都合が良い。だが、それらは、一方的で、その横行が結果的には政策対応をも金縛りにし、将来不安を煽ってきたという点で罪が深い。
周知のように、政府財政赤字は国債という借金証書によって賄われ、それには橋や道路などの投資的資金に当てられる建設国債と、消費的経費の穴埋め財源となる特例国債、いわゆる赤字国債がある。まず、建設国債だが、それは現世代が作った借金としても、それで作られた社会インフラは次世代に残され、次世代はその便益を享受できる。その一方、赤字国債は未来に資産を残さない。この限りでは、不公平が生じるように見える。だが、これもそうではない。赤字国債が国内で消化されている日本の場合、その国債を買っているのも現世代である。その償還が次世代だとすれば、償還を受ける権利を有した国債は次世代に引き継がれる。償還期がきて、国がその財源手当てのために増税したとしても、次世代全体としては、増税された分を償還として受け取るため、その収支は変わらない。変化するのは、国債を受け継いだ者と受け継げなかった者の間における同世代間の負担の格差だけで、現世代から次世代への負担転嫁とはなりえない。
厚生年金の負担論議も同様で、専業主婦からの新たな徴収が公平だとは必ずしもいえない。共稼ぎで子供のいない女性と、子供を持つサラリーマン家庭の専業主婦という例で考えてみると、わかりやすい。専業主婦が年金を負担していない以上、働いている女性はその分も負担している理屈となり、この限りでは明らかに不公平だとなろう。だが、もう少し広い視点でみると、現在の年金システムは、賦課方式と呼ばれるものである。現世代の拠出基金で前世代の年金を賄う仕組みであり、現世代の年金は、子の世代が負担する。すると、サラリーマン家庭の主婦の立場からみれば、苦労して育てた自分の子供が、そうしなかった人たちの年金を負担することになることこそ不公平ではないか、ということになろう。子育ての費用が高くなり、それが少子化の一因ともなっている現状では、なおさらその感が強かろう。さらに過去の制度改革の経緯に照らすと、そもそも、サラリーマン家庭の専業主婦が保険料負担を免除されたのは、85年の全国民共通の「基礎年金」制度の導入に伴う特例措置に負っている。その改革により、それまで独立していた厚生年金勘定から、基礎年金、そして国民年金勘定へというルートで援助金が支出されることになった見返り、つまり自営業者を対象とする国民年金の資金不足のツケ回しの償いの一環として採られた措置であった。今や国民年金の給付費の約4割がその援助金で賄われているといわれる。こうした負担の歪みを差し置いての公平論議は、あまりに一方的すぎるということになろう。
それにも関わらず偏った論議が繰り返されてきたのは、結局、抜本的な改革へのシナリオを持たないままにフローの財政収支の埋め合わせを優先し、そのための新たな財源探しの説得手段として便利であったことに拠るものであろう。それが期待以上の効果を発揮した結果として、際限のない負担拡大に対する不安を助長し、経済の落ち込みと財政状況の一層の悪化を招くという悪循環を引き起こしたことは、皮肉といわざるを得ない。実際、景気支援のために一時的減税が実施されたり、恒久減税が検討されても、その減税分は近い将来の増税で必ず財政のバランスが図られるとの認識が広まった結果、消費の拡大どころか、むしろその抑制を助長することになったことは、政府自身の経済白書でも認めるところである。
将来不安の拡大から景気が低下し、その低下が不安の一層の拡大と景気の落ち込みを招くいう閉塞の罠、そこからの脱却を図るには、まず政府の政策対応を根本的に変えていくことが不可欠だろう。その1つが、資産の有効活用への発想の転換だろう。そもそも政府の制度改革や政策対応は、常にフローの財政バランスをベースとし、ストックとしての資産の活用への視点を欠いてきたのが実態だ。政府関連財政はフローでは確かに危機的状況ともいえるが、例えば、国、地方、社会保障基金を含めた政府全体の貸借対照表でみれば、96年末で、負債が471兆円に対し、資産が894兆円と大幅な資産超過にある。社会保障分を除いた正味資産だけでも約200兆円を有している。ばら撒き的な公共投資の見直しと、これら資産の有効活用をセットにすれば、際限のない税負担への懸念を緩和しながら政府部門の構造改革も同時に推し進め、減税等の景気対策の実効性も高まる環境も醸成していける。橋本前政権で導入された財政改革法は、OECDあるいはEUの財政赤字削減への流れを強く意識した結果でもあったが、せっかく海外の事例に学ぶなら、むしろ英国の経済、財政の再建に成果を挙げたサッチャーの改革に学ぶべきであったろう。サッチャーの改革は、広範な規制の撤廃や労働市場の改革もさることながら、国有企業の民営化、国有財産の民間売却を柱とする小さな政府への大胆な移行と民活によって、英国経済をスタグフレーションの泥沼から救い上げている。また、OECDの経験にしても、財源拡大などの全体としての赤字削減の方向より、支出面の削減を重視した方策の方が、経済の活性化や財政再建に成功している。
財政問題以上に今や国民の将来不安を高め、消費マインドの低下と企業コンフィデンスの低下を招く元凶ともなっている年金問題についても同様だ。既述のような賦課方式という現在の制度の下では、退職世代、老齢人口の増加とともに、フローの年金収支が悪化していくのは避け難い。将来的には、それを自分の年金は自分で積み立てるという「積み立て方式」に変えていかなければならないとしても、現行制度ですでに年金の受給権が発生している以上、変更は容易ではない。このため、政府の提示する年金制度の改革は、現役世代が耐え難いような保険料の大幅引き上げか、保険料の引き上げと給付水準の引き下げの組み合わせしかないという選択メニューに終始している。また、そこへの繋ぎ、ないし補完策として、先のような専業主婦への新たな負担の導入といったツギハギ的なび縫策などが繰り返し提示されているわけだが、これでは制度自体への不信感と老後への先行き不安を煽るだけであろう。
ここでも、現在ある資産としての積立金の活用という発想は完全に欠落している。例えば、厚生年金の積立金は、約130兆円と、現行年金の年間給付費25兆円の5倍、5年分以上を有している。他の先進国でもこのような例はなく、せいぜい給付費の1年分にすぎない。こうした積立金をうまく取り崩しつつ、保険料負担の上昇抑制や制度の移行に活用していくべきであろう。その上で、例えば、国民年金の未支払い者、あるいは支払い不能者の増加と、その財源不足を一方的に厚生年金からの支援金に頼るという歪んだ構造を改めるためにも、基礎年金部分は老後の社会保障として税金で賄い、ミニマムの老後保証と自己積み立ての組み合わせを年金制度の基本とするといった、将来の道筋が見えるような改革シナリオの提示を行っていく必要があろう。
小渕政権に変わり、さすがに均衡財政主義に固執した財政改革法は取り敢えず棚上げされた。だが、肝心な政策の枠組みや発想には何ら変化は見られない。もちろん、期待成長率の低下、リスクテーク意欲の減退の原因が全て政府の政策対応の問題に帰せられるわけではない。市場化、グローバル化と後発経済国のキャッチアップの進行という新たな環境の下で、民間部門も人、金、技術を十分擁しながら、それらを有機的に生かしうる制度、組織への改変は遅れている。リスクマネーを十分供給できない金融システム、企業の運営や意志決定メカニズムの制度疲労に対する組織改革の遅れ、それらが新しい技術を体化し、新しい需要を開拓するための投資を妨げ、潜在生産能力と期待成長率の低下を助長してきたのは事実だ。しかし、安手での公平論議と狭隘や財政バランスの発想に立った政策対応が繰り返されては、例え民間サイドの改革が進み始めても経済の再起動は難しかろう。場当たり的な政策対応の繰り返しに走る前に、まず期待成長率の低下を増幅するような政策からの脱却を図り、改革の筋道、将来展望を開きうる政策を急ぎ打ち出し、実行に移していく必要があろう。それらが、民間の変革努力と合わさってくれば、新たな成長パスも自然に見えてこよう。日本経済は、それだけの基盤をまだ十分有しているはずだ。
