日本経済の「危機」 - 時間的不整合性の視点から
富士通総研顧問(日本経済研究センター会長) 香西 泰
1998年4月
本文
日本経済は、現在、厳しい局面にある。国内面に限っても、財政の行き詰まり、金融不安と貸し渋り、さらには消費や投資の低迷など、半世紀ぶりに「危機」の声が聞かれる。日本経済をこうした困難に追い込んだ理由には多くの要因が介在していようが、以下では仮に「時間的不整合性time inconsistency」というコンセプトを借りて日本経済の現状を考察し、困難解決の方途を手探りしてみよう。
財政政策のジレンマ
この間に景気情勢の判断ミスがあったことは否定できない。しかし財政再建自体が日本にとって間違った政策目標だとはいえない。高齢化の進展を考えると、それは日本経済にとって不可避の課題だといえる。簡単にいえば、長期的には望ましい財政再建が目先の景気には大きな負担となったわけだ。逆に、短期的な財政拡張は長期的には負担を残す可能性がない訳ではない。こうした状況に置かれた上で政策の選択がなされたのであり、その状況は今後も続くことになる。ここに「時間的不整合性」の問題が露呈されている。
さらに言えば、日本の場合、財政緊縮にとって不幸な条件が重なった。そのデフレ効果を相殺するメカニズムが十分には作動しなかったからである。財政緊縮は通常は金利を引き下げ、民間需要を刺激する。これは財政赤字が減れば政府の資金需要が減り、それだけ民間金融が楽になるためと考えてもよい。あるいは教科書風にIS曲線を左シフトさせれば金利は右上がりのLM曲線に沿って低下するためと言ってもよい。また財政緊縮は通常は自国通貨の為替安をもたらし、輸出増加、輸入減少を通じて国内生産を刺激する。これは先述の低金利が資本流出を招き、自国通貨安を来すと考えてもよく、経済学のマンデル・フレミング・モデルを想起してもよい。しかし日本の場合、金利は既に底値に張り付いていたし、更に金融不安が逆に貸し渋り懸念を強めて、金融逼迫をすら招いた。更に円はドルに対しては理屈通り下落し、輸出が増加したが、この円の下落が一つの背景となってアジア通貨の大暴落が生じた。対米円安でも対アジア円高で、実効円レートは昨年夏以降反転上昇している。円安で財政デフレを相殺するやり方は、成功すれば貿易摩擦を引き起こしかねないものであるが、アジア危機の前に成功する可能性自体を狭められている。下手をすれば対アジア貿易不振と対米摩擦の二重苦の危険もなくはない。
バブルの後始末
金融不安の根元はバブルの不始末にある。バブルが大失敗であったことは明白だが、近年アングロサクソン諸国や北欧諸国、それにアジアの多くの国でもバブルを経験した。ただバブル破裂後7-8年も経て、なおその後遺症に悩んでいるのは日本くらいである。アジアではそんなに長く持ちこたえる力がなく、破綻と同時にIMF管理下におかれることになった。他の先進国と比較すれば、日本の場合バブル後の処理にも問題があったと言わざるを得ない。
90年代に入ってから東京株式市場は何度か安値をつけ、金融不安が繰り返し表面化した。そしてその度に「市場が政策を要求している」という叫び声が高まり、政府は財政出動に踏み切った。市場は確かに危機を警告していたが、その変動は気まぐれと見えるほどボラタイルで、それだけにその警告も曖昧にしか理解されなかった。危機の本質はバブルの不始末=不良債権問題にあったとすれば、その処理こそが急がれなければならなかったのに、公共投資拡大に全力を傾けたのは、傷があるのに手術を避けてホルモン剤で元気をつけていたような失敗である。だがそれでも市場は簡単に持ち直し、すべてが平静化するように見えた。不良債権の処理には当事者の金融機関が一番危機感を持ってリストラを進めるべきであるが、市場関係者の多くが「市場の警告」は政府宛で、金融界へのものだとは自覚していないように振る舞った。気まぐれ市場の独裁と専横的な政府の介入。この二つの悪への依存を避けて自由経済をまもるには企業自身の先見性に富んだ果敢な行動こそが重要であるのに。
こうした先送りの限界がはっきりしたのは昨年11月の山一、北拓の破綻によってである。この間の経緯も「時間的不整合性」のケースだと言っていえなくはない。公共投資拡大は目先の情勢安定化をもたらしたように見えたが、財政事情を悪化させ、前述した財政政策のジレンマを深めた。株価の立ち直りは息継ぎの時間を与えたようでいて、実は金融秩序再建を遅らせた。
金融安定関係法の運用
山一・北拓破綻の後、さすがに政策対応の焦点は金融安定におかれ、金融機関のリストラにもようやくエンジンが掛かり始めた。当面は2月16日に成立した金融安定2法の運用、特に金融機関の資本充実への公的資金投入の進め方に多くの関心が集まっている。これには二つの考え方があるように見える。
一つの考えは、この措置が「金融機関を救済するものではない」という建て前を重視し、公的資金によるキャピタル・インジェクションは選別的に行うべきだとするものである。さらに極論すれば、預金が保証されている以上預金者に迷惑はかからず大規模の預金取り付けもないであろうから(ただし事業を行っている預金者は将来の借り入れを考えて当然預金を移動するであろうが)、この機会に弱体金融機関の整理を進め、残った金融機関を公的資金で一時テコ入れすることで、金融システムの病巣を除去して金融不安を一掃し、ビッグバンに備える体制整備を急ぐべきだと考える。
他方の考えは、公的資金は広い範囲の大規模金融機関の資本充実に当てようとするものである。これも極論すれば、大規模金融機関の破綻は金融システムを揺るがすのでどうしても避ける必要があり(too big to fail)、選別自体が金融不安を増幅するので、出来るだけ一斉に手を挙げさせて資金をまんべんなく供給することを考える。これは一種の護送船団方式の復活であるが、目前の危機を乗り切ることが先決で、必要な淘汰は事態が正常化した段階で行うべきだとするわけだ。
この二つの考えはいくつかの次元で対照的である。過去について言えば、三洋、山一、北拓と続いた金融大型破綻を、簿外資産の存在やコール市場での債務不履行など予想外の展開にも影響された点は別として、混乱が比較的少なく金融秩序再建への前進であったとみるか、無用の金融不安を増幅したとみるかの違いがある。現状については、弱体金融機関の経営悪化を深刻で整理は猶予できないと見るか、不安はもっぱら心理的な要因によると見るかの違いがある。あるいはこれは、システムが脆弱だからボートを少しでも揺するのは危険だという見方と、そうすることがかえってシステムの危険を高めるという見方の違いかも知れない。そこでは政府や金融機関への信頼も問われよう。
この二つの考えは、目先重視か長期重視かと言う点で、ここで問題にしている「時間的整合性」の問題に関連する。護送船団方式、too big too fail方式を復活させてでも目先を安定させることは、仮に短期的には考えられても(それも市場動向次第では困難になるが)、長期的にはまず持たない、と言うことになろう。日本経済はこうした先送りに何処まで耐えるだろうか。
そのほかにも地価の1回限りの時価再評価(時価評価の原則に立つなら継続的に時価評価すべきもの)や株式の原価評価(土地の時価評価と矛盾する措置)、あるいは公的資金による株価維持PKOの復活なども議論されているが、目先のご都合主義が目立つ。土地流動化促進にしても、税制や各種権利処理過程に合理化の余地は大きいにしても、地価が落ちつくところへ落ちつくことが取引量増大の前提であることを忘れてはならない。日本の先進国へのキャッチアップが終わり、グローバリゼーションが進んで競争が貿易財の範囲を超えて制度、インフラ、要素価格に及んできたメガコンペテイションの現時点では、日本だけが地価で特別の国ということはない。そうなるとバブル以前への復帰だけでは不十分で、均衡地価は価格形成の原則通り収益還元価格であり、同時にそれは国際的にも受け入れられる水準でなければならないのではないか。
時間的不整合という場合の一方は目先の利害であり、他方は長期の均衡である。その長期は財政の項で触れたように高齢化や人口減少であり、金融の項で見たようにビッグバン後であり、そしていま地価について見たようにキャッチアップ=高成長の終了やメガコンペテイションの進展である。それも実際には長期だといって先延ばしし得ない緊迫性を合わせ持っている。そこに時間的不整合性が重要となる現実的根拠がある。
時間的不整合を超えて
以上、日本経済の悩みの一端が時間的不整合性にあることを見てきた。この場合、話は勢い事態のきびしさを強調する結果になったかも知れない。事態を楽観して良いとは言えないが、打つ手がないと傍観する訳には行かない。時間的不整合のジレンマを突破する方途はないものだろうか。
あるとすればそれは、政策の順序sequenceを考えることであろう。長期的に必要なことで、短期的にも望ましいこと、少なくとも弊害の少ないことを優先的に着手することである。例えば国際的に見て割高な日本の法人税や同じく国際的に見て累進度のきつすぎる所得税をいつまでも維持することは困難である。こうした長期的に望ましい制度変更を当面の財政赤字を覚悟しても前倒しして実行し、その一方で財政支出の効率化、規制緩和路線を堅持することが考えられる。いわゆる新レーガノミックスである。また金融面でも問題のこれ以上の先送りを許さず、金融機関にビッグバンに生き残りうる自己再生努力を求める一方、不幸にして淘汰がやむをえないものがあれば秩序ある退出を可能とするよう周到な準備を怠らないことが重要と思われる。
最後に本稿では、当面の事態に追われ、日本経済再生への産業的課題に触れる余裕がなかった。しかし最後の鍵を握るのは産業である。金融改革は従来の土地担保中心の間接金融に代わる新たな産業金融システムの創生なしには完結しない。そして産業の技術革新による経済成長なしには真の財政再建もない。そのことは近年のアメリカ経済が不完全な形ではあっても示唆している。
