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新しい知的基盤と生産性

評論家 田中 直毅

1997年10月

知識産業という業態があるのだろうと考えたひとは多い。しかしその活動水準を測ることも難しかった。またその内部の規律のメカニズムも、あるいは伝播の仕組みも定かではなかった。原理論はついに成立しなかったのではないか。

このことは伝統的な尺度が今日まで生き残っていることを意味する。「地代」や「準地代」という概念によって、限界生産力の逓減や、供給制限にともなう超過利潤の発生を説明してきたが、そもそも「地代」とはリカードが農業を説明しようとするなかから登場させた概念である。

地味の豊かなところから農業生産が行われることは当然だろう。そして追加的な開発投資が行われるたびに、しだいに割の悪い土地がその対象となる。限界的な投入単位に対して収穫率は逓減することになる。このため、当初に行われた投資の対象となった土地については、「地代」が発生するというわけだ。超過利潤の部分が「地代」の受けとりに転換されることになる。競争状態ならば行われるはずの投資が何らかのかたちで抑制される場合には、それまでの供給の担い手に超過利潤が生まれる。これが「準地代」として認識されるのだ。

限界生産力の逓減は農業の世界で認識された。それでは工業の世界ではどのような認識が生まれたのか。「分業」がこれにあたる。アダム・スミスが「分業」の意味を問うたのはよく知られている。綿工業を中心として、製造業の勃興の息吹が背後にある。またリカードは国際貿易において「分業」の意味を問うた。「比較優位」という概念はここから生まれた。交易に参加した主体は、すべて自らの立場を改善できることを証明したのである。

工業の生産力の急発展、そして自由貿易の提唱は、こうした概念の形成と表裏の関係にあった。産業革命とリベラリズムの流れは、その後のいわゆる帝国主義とは区別される源流として自らを維持してきたといえよう。「分業」の成立は、活動水準を一つひとつ計測できるところから始まっているといえる。投入と産出との間に、どこかに漏れてしまうものがあったわけではない。成果は専有できる、という前提が成立していた。

農業と工業のあとに登場した産業形態はいまだに十分に定義しきれないでいる。中国が20年近く前から提唱した近代化の分野は、「農業、工業、科学技術、国防」という4つの分野であった。まさに近代化とは投入と産出とにかかわって定義できる領域であったといえるだろう。そして近代化を目にみえるように体現したのが米国であったことに疑問はないだろう。先頭を走った米国に、ポスト・インダストリアル・ソサエティ(脱工業化社会)の模索が始まった事情は見易いといえる。

知識産業はこうした流れのなかで論じられることになった。そしてその骨格をなすものが何なのか、については今日まで諸々の認識上の試みがなされてきているが、どうやらオープン・ネットワークがカギになりそうだ、とする見解が有力になっているように思われる。

それでは「オープン」は何を変えたのか。きっかけは外に開くことによってはじめて自らを位置づけられる、とする考え方が生まれる土壌が特定のところにあったことだ。いわば新しい文明の発祥である。スタンフォード大学、そしてゼロックスの研究所がセンターとしての役割を果たしたとのちに総括されるようになったといえるのではないか。「オープン」とは知的集団の一部に、排除的(エクスクルーシブ)という考え方のない一団が存在し、そのなかでの発酵作用を通じて形成されたものといえよう。文明の発祥のところで、偶然が作用するかもしれない、という仮説は決して無視できない重みをもつ。

「地代」や「分業」を成立させた背景と異なり、「オープン」は融合の作用を果たすことになる。もちろん開かれた大学や研究所が、いわばスーパー・ストラクチャ(超構造)として存在し、このスーパー・ストラクチャにつなぐ、という行為を通じて、日々新しいものを、自らの内側に発見するという過程が観察されることになったといえよう。生み出す(オリジネイト)ということに価値を見い出すひとが、多方面、また多国籍から集まってくるという土壌が、米国の、またその西部にあったという歴史のなかに、「偶然」を生み出す何かがあったといえるだろう。

「ネットワーク」としてこれが組み上げられていく過程では、新たな産業運動という性格が生まれることになった。どうやら「地代」と「分業」の時代を超えるメカニズムが生まれ、これが投入と産出とを対比する生産性という指標に大きな変化が生まれ始めた気配がある。「ニュー・エコノミー」と呼ばれる概念が登場した背景に私はこのような見当をつけている。「ポスト工業化社会」はどうやら掬することができるようになったのだ。

日本にとっての問題はスーパー・ストラクチャの形成だ。これは最初からつくろうと努力してできるものかどうかも定かではない。しかし「オープン」を推進する何かが必要なことは明らかである。そして「オリジネイト」することに重い価値を認める土壌も欠かせない。単なる生産性向上運動ではない、ということは当然である。